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29.蜂蜜水

 ポフはケーキを口にしながら、ガシュウとフレアの会話を聞いていた。 「フレアさま、おいしいです、このケーキ。このぶにゅぶにゅしてるところがおいしいですねえ。初めての食感です」 「そうか」  敬語は使っているものの、ガシュウの口調が砕けている。この場で緊張しているのは自分だけみたいだ。 「不思議な味ですね。ぶにゅぶにゅしてるところ。甘いのと、甘くない別の味を感じます」  考えた素ぶりを見せたフレアが言った。 「ジャムのことか?」 「ジャムですか。ジャムおいしいです。ぶにゅぶにゅおいしいです」  スポンジの層に無糖のムースが挟まっている。そこの事だろう。  自分の方が合っていると思い、会話に入った。 「ムースが入っているんだよ。お砂糖を使ってないから甘くないんだ」 「へえ、ムースっていうのね」  ガシュウは身を屈めてスポンジの層を観察し始めた。 「ムースが入ってるのは、気が付かなかったな」  ケーキに興味がなさそうなフレアは一口を運んだ。 「トルテには無糖のクリームを添えることが多いんです。それをムースにしたんですね。繊細な食感になってる」  フレアが短くうなずいた。 「そうだな。言われると、分かる」  ようやく会話が成立したような気がして、肩の力が少し抜けた。  フレアの視線がガシュウに移る。 「言うほどぶにゅぶにゅしてないだろう」 「してますよ、ぶにゅぶにゅ」 「不味そうな言い方だ」 「そんな!不味くないです。おいしいですよ!だって、フレアさまが選んでくださったものですもの」 「そんな話はしていない」 「どんな話ですか」 「言い方の方だ」 「言い方…ぶにゅぶにゅですか」 「そう、ぶにゅぶにゅだ」 「ガシュウは良いと思いますよ、ぶにゅぶにゅ」 「なら、いい。食べろ」  フレアがフォークを置いた。 「はい!」  ガシュウが元気よく返した。ふたりのやり取りに聞き入ってしまう。  フレアと会話が続くのも凄いが、ガシュウの独特な言い回しに物怖じせずに返事ができているのも凄かった。ガシュウの言葉はポフですら悩むことがあるのだ。  あしらっているように見えて、きちんと会話をしている。このショコラトルテのように絶妙なバランスだ。  ぶっきらぼうで目も合わないフレアを、正直、苦手だと思っていた。それでも、フォークの入れ方だけは、妙に丁寧で。ガシュウの「ぶにゅぶにゅ」に付き合って、言葉を返している。突き放すだけなら、最初から黙っていればいい。 「フレアさんって騎士なんですよね。騎士になるのは難しいと聞きます。凄いですね」  会話に入ろうと職業の話題を出すと、フレアの表情が曇った。眉間に皺が寄る。細めた目が鋭い。 「そんな立派なものじゃない」  空気が冷えた。顔が怖い。近づき方を間違えると刺さる。でも、刺すための目じゃない気もする。  言葉がうまく出なくて黙ると、ガシュウが「騎士さまは立派ですよ」とカラカラと会話の続きを楽しんでいる。  フレアは短い言葉で相づちを返していた。会話が途切れることはない。  …この人は、不器用なんだ。  圧はあるが威嚇はされない。返しはしないが受け止めてくれる。  「完璧な騎士さま」ではないようだ。  そう思った瞬間、胸の奥が少しだけ軽くなった。ガシュウの胸元で鍵が揺れている。あれを渡した。信頼の形が、もうここにある。  ポフはふたりの会話を心地よく聞いていた。 「…そろそろ、帰るか」 「もう?まだ居てくださいな」 「もう随分といる」 「ええ?…まだ、二時間くらいしか経ってませんよ」 「随分だろ」  ポフは会話に入ろうと格闘していたが上手くいかなかった。寡黙なフレアが黙ると今度はガシュウとポフだけが喋るような時間が過ぎていた。ガシュウはずっと楽しそうに見えたから、なんだかんだで時間が過ぎるのは早かった。 「あたし送っていきます」 「遠慮する」 「送ります」 「どうせ明日もうちに来るんだ。家にいてやれ」 「そうします」  今日はガシュウの従者の仕事も休みになっている。「家にいてやれ」は、たぶん自分に向けた言葉だ。胸の奥がふんわり温かくなる。 「フレアさん、今日はありがとうございました」  フレアに深々と礼をする。 「こちらこそ、お邪魔した」 「ぜひ、また遊びに来てくださいね」 「ああ」  一貫した短い返事をすると、フレアは立ち上がった。 「やっぱりそこまで送りますよ」  ガシュウがフレアの周りを落ち着きなく回る。首の鍵が跳ねて、金属音が鳴っている。 「ポフ、すぐ戻るからね」  そう言って二人は玄関から出ていったから、見えなくなるまで見送った。  ガシュウは何度も振り返り手を振るが、フレアが振り返ることは一度もなかった。  ふたりの姿が見えなくなると、ホッと息をついた。気を張っていたのがほどけたようだ。  ガシュウにあのような気心知れた相手ができたのは純粋にうれしい。今までそんな人はいなかった。  だけど、少しだけ妬けてしまう。ガシュウの良さを知っているのは自分だけだと思っていたから。  子供っぽい独占欲なのは自覚している。ガシュウが戻ってきたら甘えてしまおう。「家にいてやれ」とフレアが気遣ってくれた言葉に甘えるのだ。ガシュウが戻ってきたら、まずはいつもより長いハグで出迎えよう。  家の中に戻り、テーブルの上に残された3セットの食器。  ガシュウのコップを手に取って、残っていた蜂蜜水を飲む。ケーキの甘さに隠れていたが、こうして蜂蜜水だけを口に含むと、とても甘く感じた。

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