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30.いい子
フレアは任務を終え、自宅へ帰った。
扉を開ければ、慣れた様子でガシュウが出迎えた。
いつものように手を広げ「おかえり」のハグをしようとしてきたが、その甘さに触れるのは不相応に思えてしまった。避けて通り過ぎた。
ガシュウは空に浮いた腕をどうするか、考えあぐねている様子だった。
ソファに身を落とすと、ガシュウも寄ってくる。
「昨日は、家まで来てくださってありがとうございました」
ガシュウは深々と頭を下げ、礼を言った。乱雑に散らかったこの部屋で、礼儀正しく振る舞うのは不恰好だ。
「ポフもとても喜んでいましたよ」
フレアは背もたれに沈み、ゆっくりと息を吐いた。任務のあとは、気が抜ける。
「座れ」
命じればガシュウは隣に座った。
目をつむり、昨日の記憶を辿る。
仲睦まじい兄弟はずっと寄り添っていて、いつもそうなのだろうと思わせた。そこだけ色が灯っていた。
揃いのケーキを皆で食したが、おいしいと笑い合う兄弟の空気が甘ったるくて、自分のケーキの味がしない。
兄弟の家には窓ガラスが無い。室内は外の気温と変わらなくて、寒くて、だからこそ温かい存在の側から離れたくない。
その温かさは弟に向けられていて、自分に向いていないことなど分かっているのに、安心してしまう。
そういえば、弟は12歳と聞いていたが、年齢より体つきが幼く見えた。質素な生活で、栄養が足りてないのだろうか。あれでは家にひとりにするのは心配に思うだろう。
自分が12歳の時はすでに背が高く、13歳からは士官学校に入り鍛えていたので、大人に近い体格だったように思える。
それに、あの弟は――。
「弟の、あの髪型はなんだ」
「なんだとはなんです?」
「おかしなところで、まっすぐに揃えている。自分で切っているのか」
「いえ、ポフの髪はあたしが切っています」
「…なるほど」
その言葉だけで説得力があった。
細くて長い指が、ハサミを不器用に操る光景が浮かんで、おかしく思う。
ガシュウは指に髪を絡めて言った。
「ポフは身だしなみをとても気にする子でしてね。うちの鏡は割れていますけど、うまく角度を合わせればきれいに写るんですよ。ポフは毎朝、髪を、何度もくしで丁寧に整えていますよ」
「なるほど」
やはり、弟もあの髪型は納得していないのかもしれない。
もう少し生活が整ってくれば床屋にも行けるだろう。それだけの金は与えている。
ガシュウが覗き込むように顔を傾げた。
「ポフはいい子だったでしょう?気品があって、礼儀正しい。あたしとは大違い」
「人を褒めるときに自分を下げるのは止せ」
「でも、事実ですよ」
「やめろと言っている」
「…やめます。ポフはいい子です。以上」
人さし指を口の前で交差させて、バツを作って言い直した。
「上出来だ。いい子だ」
出来の悪い犬がたまに成功した躾を褒めるように、髪を撫でた。硬い髪質が指に絡む。
ガシュウが身を縮め、強張るのを感じた。指を通すのは止めなかった。
「フレアさまの言うとおりです。ポフはいい子だし、…ガシュウもいい子」
「ふっ。そうだな」
馬鹿正直なところに、表情が緩む。
「そして、フレアさまも…いい子です」
指が止まる。動かせない、どうしてか。
頭を撫でられるために下を向いてたガシュウが上目遣いをする。目が合ったので反射的にそらした。
――いい子。
母親によく言われていた。「あなたはいい子だ」と。 それは褒め言葉ではなく、強制の言葉だった。いい子であるべきだと。幼い自分はいつだって「いい子」だったはずだ。そう演じるのに、必死だった。
息が、しづらい。
「フレアさま」
名を呼ばれて、我に返る。
目の前にガシュウがいる。
過去に飲み込まれる自分が弱い存在のように思えて、腹立たしい。
ガシュウの声はいつも、現実に引き戻してくれる。
「もう一度、呼べ」
名前を呼んでほしい。子供のような願いだ。
「何をです?」
分からない顔をされて、もう一度願いを言葉にする勇気はない。
「…いいや、何でもない」
自傷的に笑い、浅く息を吐く。
馬鹿なことを言った。
ガシュウは「そうですか」と言うと続けざまに「ポフが」と口にする。
ガシュウの顔が近くにある。そのまま近づいて、口をふさぐ。それ以上しゃべれないように、深く口付ける。
ガシュウは体を固くして、両手を握りしめた。
その緊張は自分が与えたものだと思うと愉快だった。
腕を伸ばして後頭部を囲う。閉じられた歯の並びに舌を差し込めば、すんなり受け入れたので、遠慮なく中を楽しむ。
口付けたまま上を向かせ、唾液を流し込む。
舌を伝い、ガシュウの口内へ流れていく。上向きに固定したまま様子を見る。
飲み込むしかないだろう。片手で喉元に触れる。
ガシュウは体を引いたが後頭部を押さえているので、逃さない。
ガシュウの喉が上下するのを指の腹で感じて、唇を離した。
体を離し、固定を解いたのにガシュウは上を向いたままだ。浅い呼吸を繰り返している。
耳まで赤いのが、白い髪のすき間から見えた。
飲みきれなかった唾液が口端から流れ落ちていたから、指でぬぐってやる。
潤んだ瞳と視線が交わることはなく、どこか遠くを見つめていた。
「もっと、目の前の俺に興味を持ったらどうだ」
そう言って肩を押すと、細い身体は簡単に倒れて、やわらかいソファに沈んだ。
覆い被さりローブをまくる。いつもより質のよい布触りに、新しく買ったものだと気づく。
金色のチェーンに繋がれた鍵が首に掛けてある。
ガシュウの身に付けているもの全てが、自分が与えたものだ。
胸の奥が満ち足りるようだ。
ローブと服を剥ぐと、これだけは外さないと言うように、鍵を両手で握り込んだ。
えも言えぬ満足感が広がる。
口付けて、吸って離して、また吸って。唇を滑らせて目元に寄る。流れた涙を舐め取った。泣いている姿さえ、今は惹きつけられる。
なぜ泣いているのか、見ないふりをした。
満足するまで打ち付けて、最奥で出した。
やけに興奮していたようで、息が上がる。
ガシュウも小刻みな浅い呼吸を繰り返している。
身を離して、ソファの端に座り直す。ゆっくりと息をつくと、ガシュウものろのろと体を起こした。
ふらふらと揺れながら服を着て、ローブをまとう。まだ呼吸は整っていない。
「体がつらいなら、泊まっていけばいい」
「いいえ、ポフが待っているので帰…」
言い淀み、ガシュウがこちらを向く。
「騎士さまの、ご命令に従います」
命令に従えと言ったのは自分であり、その許可を確認される行為に苛々する。
「…いや。帰りたければ、帰ればいい」
そう言うと、ガシュウは頷いた。
いそいそと帰り支度を始めて、身を引きずりながら帰っていった。
熱を求めたのがつい先刻で、熱の持ち主がいなくなった部屋はすぐさま冷えていく。
ガシュウには帰る家がある。この家はガシュウの家ではない。当たり前のことだ。
そんな当たり前の事実が、気に食わない。
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