30 / 59

30.いい子

 フレアは任務を終え、自宅へ帰った。  扉を開ければ、慣れた様子でガシュウが出迎えた。  いつものように手を広げ「おかえり」のハグをしようとしてきたが、その甘さに触れるのは不相応に思えてしまった。避けて通り過ぎた。  ガシュウは空に浮いた腕をどうするか、考えあぐねている様子だった。  ソファに身を落とすと、ガシュウも寄ってくる。 「昨日は、家まで来てくださってありがとうございました」  ガシュウは深々と頭を下げ、礼を言った。乱雑に散らかったこの部屋で、礼儀正しく振る舞うのは不恰好だ。 「ポフもとても喜んでいましたよ」  フレアは背もたれに沈み、ゆっくりと息を吐いた。任務のあとは、気が抜ける。 「座れ」  命じればガシュウは隣に座った。  目をつむり、昨日の記憶を辿る。  仲睦まじい兄弟はずっと寄り添っていて、いつもそうなのだろうと思わせた。そこだけ色が灯っていた。  揃いのケーキを皆で食したが、おいしいと笑い合う兄弟の空気が甘ったるくて、自分のケーキの味がしない。  兄弟の家には窓ガラスが無い。室内は外の気温と変わらなくて、寒くて、だからこそ温かい存在の側から離れたくない。  その温かさは弟に向けられていて、自分に向いていないことなど分かっているのに、安心してしまう。    そういえば、弟は12歳と聞いていたが、年齢より体つきが幼く見えた。質素な生活で、栄養が足りてないのだろうか。あれでは家にひとりにするのは心配に思うだろう。  自分が12歳の時はすでに背が高く、13歳からは士官学校に入り鍛えていたので、大人に近い体格だったように思える。  それに、あの弟は――。 「弟の、あの髪型はなんだ」 「なんだとはなんです?」 「おかしなところで、まっすぐに揃えている。自分で切っているのか」 「いえ、ポフの髪はあたしが切っています」 「…なるほど」  その言葉だけで説得力があった。  細くて長い指が、ハサミを不器用に操る光景が浮かんで、おかしく思う。  ガシュウは指に髪を絡めて言った。 「ポフは身だしなみをとても気にする子でしてね。うちの鏡は割れていますけど、うまく角度を合わせればきれいに写るんですよ。ポフは毎朝、髪を、何度もくしで丁寧に整えていますよ」 「なるほど」  やはり、弟もあの髪型は納得していないのかもしれない。  もう少し生活が整ってくれば床屋にも行けるだろう。それだけの金は与えている。  ガシュウが覗き込むように顔を傾げた。 「ポフはいい子だったでしょう?気品があって、礼儀正しい。あたしとは大違い」 「人を褒めるときに自分を下げるのは止せ」 「でも、事実ですよ」 「やめろと言っている」 「…やめます。ポフはいい子です。以上」  人さし指を口の前で交差させて、バツを作って言い直した。 「上出来だ。いい子だ」  出来の悪い犬がたまに成功した躾を褒めるように、髪を撫でた。硬い髪質が指に絡む。  ガシュウが身を縮め、強張るのを感じた。指を通すのは止めなかった。 「フレアさまの言うとおりです。ポフはいい子だし、…ガシュウもいい子」 「ふっ。そうだな」  馬鹿正直なところに、表情が緩む。 「そして、フレアさまも…いい子です」  指が止まる。動かせない、どうしてか。  頭を撫でられるために下を向いてたガシュウが上目遣いをする。目が合ったので反射的にそらした。  ――いい子。  母親によく言われていた。「あなたはいい子だ」と。 それは褒め言葉ではなく、強制の言葉だった。いい子であるべきだと。幼い自分はいつだって「いい子」だったはずだ。そう演じるのに、必死だった。   息が、しづらい。 「フレアさま」  名を呼ばれて、我に返る。  目の前にガシュウがいる。  過去に飲み込まれる自分が弱い存在のように思えて、腹立たしい。  ガシュウの声はいつも、現実に引き戻してくれる。 「もう一度、呼べ」  名前を呼んでほしい。子供のような願いだ。 「何をです?」  分からない顔をされて、もう一度願いを言葉にする勇気はない。 「…いいや、何でもない」  自傷的に笑い、浅く息を吐く。  馬鹿なことを言った。  ガシュウは「そうですか」と言うと続けざまに「ポフが」と口にする。  ガシュウの顔が近くにある。そのまま近づいて、口をふさぐ。それ以上しゃべれないように、深く口付ける。  ガシュウは体を固くして、両手を握りしめた。  その緊張は自分が与えたものだと思うと愉快だった。  腕を伸ばして後頭部を囲う。閉じられた歯の並びに舌を差し込めば、すんなり受け入れたので、遠慮なく中を楽しむ。  口付けたまま上を向かせ、唾液を流し込む。  舌を伝い、ガシュウの口内へ流れていく。上向きに固定したまま様子を見る。  飲み込むしかないだろう。片手で喉元に触れる。  ガシュウは体を引いたが後頭部を押さえているので、逃さない。  ガシュウの喉が上下するのを指の腹で感じて、唇を離した。  体を離し、固定を解いたのにガシュウは上を向いたままだ。浅い呼吸を繰り返している。  耳まで赤いのが、白い髪のすき間から見えた。  飲みきれなかった唾液が口端から流れ落ちていたから、指でぬぐってやる。  潤んだ瞳と視線が交わることはなく、どこか遠くを見つめていた。 「もっと、目の前の俺に興味を持ったらどうだ」  そう言って肩を押すと、細い身体は簡単に倒れて、やわらかいソファに沈んだ。  覆い被さりローブをまくる。いつもより質のよい布触りに、新しく買ったものだと気づく。  金色のチェーンに繋がれた鍵が首に掛けてある。  ガシュウの身に付けているもの全てが、自分が与えたものだ。  胸の奥が満ち足りるようだ。  ローブと服を剥ぐと、これだけは外さないと言うように、鍵を両手で握り込んだ。  えも言えぬ満足感が広がる。  口付けて、吸って離して、また吸って。唇を滑らせて目元に寄る。流れた涙を舐め取った。泣いている姿さえ、今は惹きつけられる。  なぜ泣いているのか、見ないふりをした。  満足するまで打ち付けて、最奥で出した。  やけに興奮していたようで、息が上がる。  ガシュウも小刻みな浅い呼吸を繰り返している。  身を離して、ソファの端に座り直す。ゆっくりと息をつくと、ガシュウものろのろと体を起こした。  ふらふらと揺れながら服を着て、ローブをまとう。まだ呼吸は整っていない。 「体がつらいなら、泊まっていけばいい」 「いいえ、ポフが待っているので帰…」  言い淀み、ガシュウがこちらを向く。 「騎士さまの、ご命令に従います」  命令に従えと言ったのは自分であり、その許可を確認される行為に苛々する。 「…いや。帰りたければ、帰ればいい」  そう言うと、ガシュウは頷いた。  いそいそと帰り支度を始めて、身を引きずりながら帰っていった。  熱を求めたのがつい先刻で、熱の持ち主がいなくなった部屋はすぐさま冷えていく。  ガシュウには帰る家がある。この家はガシュウの家ではない。当たり前のことだ。  そんな当たり前の事実が、気に食わない。

ともだちにシェアしよう!