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34.休息
ガシュウは引き寄せられるようにソファへと座った。
フレアの家のソファは、相変わらずふかふかしている。
体を沈めれば、とても、心地が良い。
「待っていろ」
フレアは広間の奥の部屋へ消えた。あの先はお風呂だ。何度かシャワーを借りたことがある。
目で追っていたが、見えなくなって、目を伏せた。
息を深く吐く。
昨日からずっと病室にいた。ポフが熱を出して、フレアに抱え込まれて入院した。
目まぐるしい一日だ。いや、二日か。
瞼が重くなる。
体を起こしていられなくて、ソファに倒れ込む。重い。眠りたい。
……駄目だ。フレアの役に、立たないと。
自分がここにいる理由は、それしかない。
浴室からフレアが戻ってきた。ソファから、上体だけ何とか起こした。
「湯を沸かした。入れ」
「……お湯、ですか」
「そうだ」
「お茶を、入れるんですかね」
口に出してから、自分でも何を言っているのか分からない。
「違う。湯船だ。湯につかれ」
……湯船。どうしよう。
「あの。あたし、シャワーで十分です」
「俺が入れと言ってる」
拒否権はない、という声だった。
「そんなボロボロの顔でどうする。隈がすごいぞ」
目を細めて、金色の瞳が鋭く光る。
怖くて、目を、逸らした。
「あの、あのですね。フレアさま。あたし、あの、湯船につかったこと、なくて……ですね。その…」
……不安だ。
こんなに弱った状態で、水中に入る自信がない。湯船にどう入ればいいのかも分からない。
「分かった」
フレアの息を吐く音がする。あきれられたのか。
それでもホッとして顔をあげた。フレアが思ったより近くにいて、驚いて身を引いた。腕が伸びてきて、体に絡まった。引き寄せられ、宙に浮く感覚がして、フレアの肩にしがみついた。
フレアに抱き抱えられている。
「俺も一緒に入る」
何を言っているのか、理解できない。抱えた位置がずいぶん高くて、落ちないように必死だった。
運ばれた先の脱衣所で、ゆっくりとおろされた。
広くないこの場所で、フレアがシャツを脱ぐ。鍛えた筋肉が立派で、照明で陰影が落ちる。男の体は、こんなに厚いのか。思わず自分の胸に触れた。
恥ずかしげもなく下も脱いだフレアの裸が、近い。
明るいところで、こんなにはっきりと見るのは初めてで、上から下へとまじまじと眺めた。よく見ると、切り傷の痕が、ところどころにある。騎士の職の過酷さを知る。
「何をしてる。早く脱げ」
不機嫌そうな声に怯むと、ローブの裾を掴まれた。そのまま上に引っ張られ、万歳をする格好で脱がされる。ローブの下のシャツも、続けて脱がられる。
「下も俺にやらせる気か」
「い、いえ……」
見られていて、脱ぎにくい。散々、自分が見ていたくせに。
脱いだのを確認すると、フレアは浴室の扉を開けた。湯気が上がり、石鹸の匂いがする。
桶で湯を浴びてから、フレアは湯船につかった。跳ねたお湯が掛かり、温かい。
……どうすればいいのだろう。
立ち振る舞い方が、分からない。
「ドアを閉めろ」
そうだ、脱衣所に水が飛んでしまう。浴室の扉を閉めると、いよいよ密室だ。心臓がドキドキ鳴ってて、息苦しい。
「ほら、かけろ」
湯船の縁から、湯を張った桶を突き出された。
手を伸ばすのが遅れると、フレアは湯船の中で腰を上げ、桶のお湯を肩に掛けてきた。
思ったよりも熱くて、自分でも大袈裟だと思うほど体が跳ねた。
「熱かったか」
大丈夫だと、首を左右に振る。
先ほどよりもゆっくりとお湯が流されて、体がじんわりと温められる。
空になった桶が床に置かれて、カコン、と音が反響する。
「片足ずつ、入れ」
手を取られる。転ばないように、支えられ、やさしく導かれる。
言われた通りに、片足を大きく上げて、湯船に入れる。
じんわりと熱くて、でも急に足を上げたら転んでしまいそうだ。
熱さにじっと耐える。
「慣れたか?」
うなずいて、もう片方の足も、今度はゆっくりと入れた。
お湯に入ると、自分の体が冷えていたことに気づく。
肩を掴まれて、フレアに背を向けるように体を回される。
「そのまま、座れ」
ゆっくりとしゃがむ。お湯が、温かい。お湯に体が慣れていく。肩に触れたフレアの手が熱い。
フレアもしゃがみ湯に浸かる。自分の細い体の両側から、フレアの足が伸びる。
「そのまま、寄りかかれ」
そう言われても、どうすれば。
肩を掴んだままの腕が、体を引き寄せられる。
フレアの胸に、背中があたる。フレアの顔が、すぐ後ろに、ある。
肩まで湯に沈めるように誘導されて、腕は首元に回された。
フレアが深く息を吐くと、自分の体はさらにフレアの胸に沈んでいく。
肌の密着。呼吸。体温。お湯の熱さ。
どれも刺激が強すぎて、頭の中は真っ白で。
それでも、息がほどけて、体の力が抜けていく。
「ふっ」
フレアの胸が上下して、自分の体も揺れる。
「珍しく、静かだな」
声を出すたびに、振動が体に伝う。
どうにも、瞼が重くて、そっと閉じた。
フレアの呼吸に合わせて、湯の中をたゆたった。
瞼の裏が白く霞んで、湯気の匂いが遠のいた。
――――フレアの熱が移って、胸の奥までぬくぬくする。ふわふわの中にいて、気持ちいい。
……ふわふわ?
違和感を覚えて、ゆっくりと目を開ける。
裸で、背中を預けている体勢は同じだけれども、ここは湯船の中ではなくベッドの中だった。
ふわふわした毛布が、ふたりを包んでいる。
ここは、フレアの寝室だ。前に酔ったとき、一度だけ入れてもらったことがある。
いつ移動したのか、記憶にない。覚えてないだけなのか。あるいは、寝てしまい湯船から運んでもらったのか。
振り向こうとしても、首元に回されたフレアの腕が重くて、うまく動けない。
「起きたか?」
みじろいだ動きに気づいたのだろう。フレアの声が背後からする。
「……あたし、寝てました?」
「ああ、寝てろ。ずっと気を張っていたんだ」
そういえば、張り詰めていたものは随分とゆるんでいる。
今、何時だろう。窓の光が差さない。まだ夜だろう。
「帰らないと……」
「弟のいない家に、か?」
その言葉に、ゾッとする。息の吸い方を忘れる。
誰もいない、家に、帰る。
怖い。
ひとりは、怖い。
小さく、首を振った。
「……寝ていろ」
フレアの腕の力に閉じ込められる。
鎖骨に、鎖の輪が食い込んだ。
鍵はずっと掛けたままだったと、今、気が付いた。
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