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35.どんな関係

 朝、任務へ向かうフレアと一緒にガシュウは家を出た。  別れたら、ひとりで自宅へ向かう。いつもは、ポフが待ってるから早足で帰っていた。  今は、足が重い。誰もいない家に帰りたくない。  この足で病院に向かいたいが、まだ早朝だ。  それに、入院に必要なものを準備しなければいけない。着替えに、タオルに……。あとは、なんだろう。  今朝、フレアに教わったけど、あまり覚えていない。とにかく、一度、家に帰らなければいけない。  何かに頼りたくて、首のチェーンに掛かる鍵を握りしめた。  家の扉を開けると、風の音がした。静かだ。  ポフはいなくて、誰もいない。狭い部屋が広く感じる。広くて、息が詰まる。  毛布を重ねた巣のような寝床に体を横たえた。  昨夜、寝たはずなのに、体が重い。  冷たい毛布に自分の体温が移って、慣れた肌触りの布地に安心する。目を閉じた。  もうずっと、眠っていたい。  入院に必要なものをまとめたら、病院へ行く。その後は、フレアの家にも行く。  明日も、きっとそう。胸の奥が休まらない。  疲れている、そう言いかけて、飲み込んだ。口に出したら崩れてしまいそうだった。  陽が少し上がった頃、やっと体を起こした。  必要なもの……。着替えとタオル。歯ブラシ。下着。コップも必要だと言っていた。そうだ、あとは、ポフの好きな本も持っていこう。  荷物をまとめて、家を出た。病院の廊下は冷えていて、消毒の匂いが喉に残る。  昨夜の白い灯りの下で見たポフの顔が、まだまぶたの裏に貼りついている。  病室の扉をノックして入ると、ポフは半身を起こしていた。顔色は昨日よりずっといい。頬の赤みが引いて、目に力が戻っている。  それを見ただけで、ガシュウの肩から何かが抜けた。 「おはよう、ポフ。お元気かしら」 「おはよう。お元気だよ」  そう答える声が、もう掠れていない。ガシュウは笑ってみせた。笑うと頬がひきつる。  疲れが抜けていない証拠だ。でも、ポフの前ではそれを見せたくなかった。  ベッドサイドのテーブルに運ばれてきた病院食を見て、ガシュウは椅子を引いた。ポフの皿を整えて、スプーンを渡す。  ポフは自分の皿から小鉢に取り分けて、ガシュウに渡した。それを当たり前のように受け取った。兄弟で分け合って食べることに慣れている。  「あら、おいしい」  何を食べても味がしない。それでも病院食を褒める。ポフが少しでも喜ぶように。  食事の時間は好きだ。  頭の中の不安が静かになる。もぐもぐすることに集中して、脳に蓋をする。  黙々と食べていると、ポフがポツリと言った。 「ガシュウが、『騎士さまは優しい人だ』って言ってたの、ようやく分かったよ。フレアさんは、とても親切だね」 「……そうでしょう、そうでしょう。ポフったら、今頃わかったの」  ガシュウはふふんと鼻を高くした。  演技みたいに胸を張って、わざとらしく腕を組む。ポフが小さく笑うのを見て、胸の奥が少し温かくなる。 「ふふっ。本当のことを言うとね、最初の頃は少し苦手だったんだ。口数が少なくて、何を考えてるのか分からなくて。どうやって接しようか悩んでた。……それに、目がちょっと怖くて」 「あら。ガシュウも思ったわよ。フレアさまは、目が怖い」 「だよね。少し怖いよね」  ふたりで顔を見合わせて笑った。  笑いながら、ガシュウは思う。  怖いのに、頼ってしまう。怖いのに、そこにいてほしい。そんな自分を、ポフに見せていいのか分からない。 「でもね、フレアさま、たまに笑うの。目が、柔らかくなるのよ」 「へえ。僕は見たことないな。フレアさんが笑うなんて、想像できないや」 「ポフもそのうち見れるはずよ」 「そんなことないよ。きっとガシュウは特別なんだよ」  ポフの言葉が、ふっと胸に刺さった。特別。もしそれが本当なら、嬉しいはずなのに、息がぎゅっと詰まる。 「ガシュウの特別はポフよ」 「うん、分かってる。ありがとう、ガシュウ。……ねえ、本当のところ、ガシュウとフレアさんの仲はどうなの」  控えめな声だった。  探るというより、慎重に触れてくる感じ。  ポフはいつもこうだ。相手の痛いところを避けながら、それでも必要な話をしようとする。  フレアとの仲。仲、とは何だろう。  セックスは痛い。怖い時もある。呼吸が乱れて、終わったあとに立ち上がれなくなる日もある。けれど一緒に食事をして、短い言葉を投げ合って、笑って、そして何より、頼っている。  出会ったころは、恋を、していた気がする。  今はどうなのか、分からない。分からないまま、今日もフレアの家へ行く。 「あたしが言うことを聞けば、お金をくれる仲よ」  それしか思い浮かばなかった。いちばん正確で、いちばん寂しい答えだ。 「そんな寂しい言い方しないでよ」  ポフが困ったように笑った。笑っているのに、目が少し曇っている。  そんな顔はさせたくないのに、そうとしか言えない関係が、切ない。

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