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42.無気力
フレアは、窓の外を見ていた。
王宮付きの騎士団員用寄宿舎。談話室を兼ねた食堂の、端のテーブル。背中を壁に預けられる席を選んだのは癖だ。視界の端に人が入るのが落ち着かない。掌の下に木目があり、そこに指先を置いているだけで、まだ自分がここにいると分かる。
窓の向こうは訓練場だ。砂が光り、槍の穂先がちらつく。休暇日でも誰かは動いている。誰かの号令、誰かの笑い、誰かの靴底が地面を削る音。面白いことなどないのに、視線だけが吸われる。見ていれば、考えなくて済む。
部屋の中には、暇を持て余した連中の声がある。笑い声。椅子の軋む音。食器が触れる音。誰かが冗談を言い、別の誰かが大げさに笑う。フレアに向けられる声はない。
人間関係が希薄な自分には、それが都合がいい。輪に入る気もない。自室にこもるには天気が良すぎる。静かすぎる部屋は、考えが勝手に湧いてしまう。
――自宅を売り払った。
生活に必要な荷物だけ持ち、全てを置いてきた。処分は騎士団の運営が受け持った。自分でやるには、骨が折れる。終わってみれば、あの家に何を抱えていたのか分からない。
母が出ていき、父が出ていき、息子が出ていった。
あの家には誰も残らなかった。
それだけのことだ。
そう言い切ろうとして、喉の奥がつっかえる。
唯一、あの家に招き入れた人物の顔が浮かびかけた。白い髪。首の鍵。あの声。
フレアは視線を窓へ戻し、頭の中の像を押し流すように息を吐いた。
関係ない。
もう、関係ない。
全部、壊してしまった。この手で、壊した。
手加減もできず、止まることもできなかった。
同じ街にいても会わないだろう。広い街だ。偶然は、そう簡単に起きない。
万が一、出会っても、見なかったことにすればいい。
そういう生き方なら、昔から得意だ。
決められた場所を歩き、決められた言葉だけを使う。決められた顔で立てば、褒められる。
街の警備から王宮の警備に配属変更を願い出た。却下された。最近、配属を変えてもらったばかりだ。簡単に動かせるものではない。
逃げる先を作ろうとして、失敗しただけだった。
ひとりの男から逃げようとして、騎士団にまで情けない姿を見せた。
何も考えたくない。
後悔も、罪悪感も、謝罪も。自分の内側を覗くことをしたくない。覗けば、どこまでも崩れ落ちる。
もう、考えない。規律だけを守る。任務だけをこなす。呼吸だけをする。
それで生きていけるだろう。そうやって生きてきた。
くだらない。
自分によく似合う。
談話室に人が増えて、声が濃くなってきた。
フレアは席を立とうとした。椅子が擦れる音がやけに大きい。
その時、上官が入ってきた。
空気が一斉に締まる。私語が止み、視線が集まる。上官は真っ直ぐフレアへ歩いてくる。フレアは反射で立ち上がり、敬礼した。
「今は私用だろ。かしこまるな」
「はっ」
休暇日に用件。嫌な予感だけが先に立つ。
「王宮の門番に絡んでくる不審な男を捕らえた。長時間しつこく絡むので、公務執行妨害で拘束した。今、取調室にいる」
「はっ」
それが、なぜ自分に。
「その男は、取り調べに一切答えず『お前を呼んでこい』の一点張りだ」
「……私、ですか?」
声が滑った。上官の前で、余計な息が混ざった。自分でも分かる。
上官は眉を寄せ、続ける。
「知り合いか。細身の男で、ガシュウと名乗っている」
「……っ」
心臓が一度、変な打ち方をした。
胃が沈む。耳の奥が遠くなる。談話室の声が、布を被せられたみたいに聞こえなくなる。
「はっ。……おそらく、私の関係者です」
「なら行ってやれ。取り調べが困り果てている」
関係者。
そんな言葉で括れるのか。
括らないと、立っていられない。
「はっ」
フレアは一礼して歩き出した。談話室の好奇の視線が背中に刺さる。早く抜けたくて、足を速めた。
――ガシュウ。
会わないと決めていた。
決めたつもりだった。
ここは王宮の敷地内。気を引き締めろ。
そう言い聞かせても、足元が揺れる。床が軟らかい。踏んだ感覚が遅れてくる。
本当にガシュウなのか。
人違いであってほしい。
人違いで済む条件ではない。
取調室へ続く廊下に、フレアの足音だけが響く。
この廊下は、こんなに長かったか。どこまでも伸びている。
一歩ごとに、見ないふりをしてきた景色が浮かぶ。片付いた床。倒れた白い髪。自分の手の熱。
それが喉の奥を押し上げて、吐き気になった。喉を締めて、飲み込んだ。飲み込む癖だけは、昔から身についている。
取調室の前に衛兵が立っていた。
「来たか」
衛兵はフレアを見ると、やれやれと手を振った。
「あの白髪の男、お前の客なんだろ」
「……そうだ」
違うと言えない。
違うと言った瞬間、自分が嘘でできているのが露呈する。
「手を焼いている。何とかしろよ」
「ああ。すまない」
フレアは背筋を伸ばした。姿勢だけは裏切らない。
息が吸えない。吸うと、胸の奥が痛む。
手が震えないように、指先に力を入れた。指が白くなる。
ノックをした。
「失礼します」
扉を開けるのが怖かった。
怖いと悟られるようには、生きていない。
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