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43.白熱
フレアが取調室の扉に手を掛けた瞬間、室内の声が漏れた。
尋問官の低い声と、聞き慣れた弾む声がぶつかり合っている。
「だーかーらー! フレアって人を呼んでくださいな! 病院のね、書類を書いてもらわなきゃいけないんです! 何度も言ってるでしょう!」
「身分が証明できなきゃ王宮には入れられねぇんだよ」
「身分はないです! 顔を見れば分かります!」
「だから正式に手続きしてから来い。帰れ!」
「あたしは手続き分かりませんから! まず会わせてください!」
「だから――」
同じところをぐるぐる回る言い合いだった。
背後の衛兵が呆れたように小声で言う。
「もう何時間もこれだよ」
フレアは息を吸い、扉を引いた。
中に入って扉を閉める。室内の空気が、外より重い。
まだこちらに気づいていない。尋問官が机を叩き、白髪の男が机を叩き返している。
フレアは、なるべく平坦に声を落とした。
「フレアが来ました」
同時に振り返り、視線が集まる。
「フレアさま!」
ガシュウの顔がぱっと明るくなる。次の瞬間、思い出したように口を結び、笑顔を引っ込めた。眉根を寄せて、睨むような顔を作る。
その表情もできるのだな。――と、どうでもいいことを思った。ここは王宮だ。
フレアは尋問官へ視線を移し、頭を下げた。
「ご迷惑をおかけしました」
「フレア、こいつはお前の身内か?」
「はい。私の……関係者です」
「はあ。困った関係者がいたもんだな。お前がどうにかしろ」
尋問官は椅子をずらし、部屋の隅へ移った。腕を組んで俯き、明らかに「勝手にやれ」という顔をしている。
逃げ場を塞がれた。
フレアは、尋問官が座っていた椅子に腰を下ろした。
机の向こう。ガシュウが正面から真っ直ぐこちらを睨みつけている。
同席者がいる。ここで不用意な言葉は使えない。
平静。規律。姿勢。呼吸。
フレアは喉の奥の乾きを飲み込んだ。
「……どうした」
「どうしたじゃありません! ガシュウがどんな気持ちで今まで……!!」
大声。感情の塊。部屋の空気が一気に熱くなる。
フレアは言葉を切った。
「落ち着け」
「落ち着け!? 落ち着けって、フレアさまが……!」
ガシュウはそこで一度、息を吸った。
唇を噛んで、言い直す。
「……いいや。フレア! おまえなんか、フレアだ!」
呼び捨てが落ちたぶん、距離が詰まった。
その近さが、喉を締める。息が浅くなるのを悟られないように、フレアは視線を逸らさない。
尋問官が軽く咳払いをした。衛兵が肩をすくめた。
フレアはため息を飲み込み、淡々と返す。
「好きに呼べばいい」
ガシュウが一瞬ひるんで、すぐに眉を吊り上げ直した。
「フ……フレアが、ポフの入院費を払ったと聞きましたよ」
「ああ。それは気にするな。おまえにやるはずだった契約金の余りだと思え」
「余りなんて……意味が分からない」
「なら慰謝料だ。おまえにもらう権利はあるだろう」
「そういうことじゃない!!」
ガシュウが机を叩き、立ち上がった。
机が揺れ、書類がずれ、音がやけに大きい。
フレアは横目で尋問官を見る。
尋問官は腕を組んだまま、俯いている。関わる気がない。
――腹をくくれ。
「……どうしたい?」
「どうしたいじゃない! ガシュウは、ガシュウは、怒っています!」
「だろうな」
「だろうです!」
おかしな言い回しだ、と冷静に思う自分がいる。
その冷静さが腹立たしい。
「ガシュウがどれだけ……どれだけ……今まで……ひとりで……悩んで……心細かったか! ガシュウは、すごく、今、怒っているんです」
「おまえの怒りはもっともだ。許さなくていい」
「許さなくていいなんて、フレアが決めることじゃない」
「そうだな。お前が決めろ」
「許さない!」
「そうしろ」
「絶対。絶対絶対絶対に許さない。ばーかばーか!」
幼い罵倒。けれど声は震えている。
「だから慰謝料をやる」
「だから勝手に決めるな!!」
その言葉が、胸の奥に刺さった。
勝手に。
頭の中に、紙の白と、玄関の音と、背中が一瞬で並ぶ。
息が詰まる。吸えない。
――ここは職場だ。
フレアは目を細め、声を低く落とした。
「……もう帰れ。この書類、病院絡みだろう。書いて出しておく。安心しろ」
机の上の書類へ手を伸ばす。
「だから、それが勝手なんだよ!」
ガシュウが大げさに腕を振り上げた。
バチン、と乾いた音。
伸ばした手を叩かれた。
皮膚が熱い。
痛いより先に、何かが内側から溢れた。
立ち上がっていた。
胸ぐらを掴んでいた。
引き寄せた勢いでガシュウの体がぶつかり、机が傾いた。書類が散る。椅子が鳴る。
「おまえが……それを言うのか……!」
鼻先が当たるほど近い。
ガシュウの目は揺れない。真っ直ぐ見返してくる。
「そこまでにしろ」
尋問官が間に割って入った。
フレアの手首を掴む力が強い。軍の手だ。
「冷静になれ、フレア」
その声で、我に返った。
王宮。取調室。人の目。職務。
フレアは手を離し、散った息を整える。
「申し訳ありません」
「そういう個人的な喧嘩は、よそでやれ」
「申し訳ありません」
姿勢を正し、頭を下げる。頭を下げれば、体が勝手に落ち着く。そういう癖だけは役に立つ。
尋問官が床の書類を拾い、フレアへ押しつけるように渡した。
「お兄さんも熱くなってるみたいだから、もう帰りな。渡したいものは渡せただろ?」
ガシュウはまだフレアを睨んでいる。
その睨みの奥に、泣きそうなものが見える気がして、視線を逸らした。
「はい、もう解散。こっちだって時間取ってるんだよ」
尋問官がガシュウの肩を叩き、出口へうながす。
ガシュウは一歩だけ下がり、最後に言った。
「明日、それ書いて持ってきてください。任務、終わる時間は知ってますから。その頃にガシュウは噴水広場にいますよ」
勝手に予定を決める口調。
フレアの喉が反射で動いた。
「おい、勝手に決めるな」
「勝手はそっちだ! ガシュウだって勝手にする! 絶対来てくださいね。これを買ってくれた時のベンチにいます」
ガシュウは首元の金色のチェーンを掴み、見せつけるように揺らした。
胸の奥が、ひやりとする。
……まだ掛けていたのか。
そのチェーンの先で、売り払った家の鍵が揺れていた。
もう役目のない鍵。
なのに、目の前の男の胸で生きているみたいに騒がしい。
ガシュウは踵を返し、衛兵に連れられて出ていった。足音が遠ざかる。
扉が閉まる音が、やけに軽い。
「今後、このようなことはないようにしろ」
尋問官の声は冷たい。
フレアは、今日何度目か分からない頭を下げた。
「……申し訳ありません」
謝罪はできる。
けれど、胸の奥の方は、まだ息ができていなかった。
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