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45.余裕もない

 翌日。任務終了の時刻。  フレアは更衣室で私服に着替えた。昨日、騎士の制服は人目を引くと学んだ。  今日は目立ちたくない。目立てば、噂が増えるだけだ。  昨日の事情聴取で、ガシュウとの面会を控えるように釘を刺された。  従えばいい。それが、規律だ。従えば楽になる。  なのに、会いに行く。見つかれば、また追及されるだろう。  もう十分にやらかしている。  次は減点だろうか、降格だろうか。罰則がつくだろう。  ガシュウに会う。自分の意思で、そう決めた。決めないと何も動かない。  噴水広場。露店の並び。ベンチ。昨日と同じ場所。  ガシュウは、いた。 「フレアさま!」  こちらに気づいて立ち上がると、両手を大きく広げる。抱きつく形になりかけて、すぐ引っ込める。  そして、眉根を寄せて睨む。  昨日と同じ動き。昨日と同じ顔。  ガシュウが座ったので、隣に座った。  昨日と同じ。  ガシュウは何も言ってこない。  今日は渡す書類がない。用件がない分、言葉がない。  何がしたいのか、よくわからなくて、怖かった。 「……さ、む」  ガシュウの小声が漏れたのを聞き逃さなかった。 「外は寒いだろう」  もう冬に差し掛かっている。空気は冷たくて、ベンチに座り続ける者など他にいない。 「何の用事か知らないが、話があるなら聞く。そこの喫茶店に入るぞ。立て」  フレアは立ち上がった。  店に入ってしまえば、昨日みたいに突然消えることもないだろう。  歩き出そうとしたが、ガシュウは立ち上がらなかった。  フレアは足を止めて、振り返った。  ガシュウは寒さで体を抱きしめながら、こちらを見上げている。  視線があって、ガシュウが口を開く。 「なんで、フレアが、勝手に、決める?」  息が止まる。ガシュウの広い白目が、やけに目立つ。  閉じた口をうまく動かせなくて、はっと息を吐いた。ゆっくり吸い直して、声を出した。 「……おまえが良ければ。喫茶店で、話さないか?」  慎重に、言葉を選ぶ。  ガシュウは小さく頷いた。 「……そうですね」  立ち上がって、歩き出した。 「喫茶店で、話しましょうか」  先に歩くガシュウの背中を、フレアは追った。小さな背中に従うしかなかった。  店の奥の席に通された。  ガシュウと向かい合って座った。  張り詰めた空気に、喉が乾く。  こんなに緊張するものなのか。  指が震えないように、メニューを掴んだ。 「……温かい飲み物にするか?」  ガシュウは文字が読めない。メニューの種類も知らない。  だから、いつもフレアが勝手に頼んでいた。  勝手に。  それは今はダメだ。  機嫌をうかがうように尋ねてしまう。 「……あ、あたたかいのに、します」  ガシュウも余裕があるようで、ないらしい。言葉がつっかえる。 「……紅茶でいいか?」 「……はい」  探るような会話。メニューを頼むだけなのに。  紅茶をふたつ注文する。店員が去ると、また沈黙になる。  紅茶がくるまで、手持ち無沙汰になる。  ガシュウも同じようで、指を絡ませて遊んでいる。  その指を見てしまう。細い。爪は短い。手の甲が白い。  指の奥で、首元の鍵が揺れている。  金色のチェーン。小さな金属の重み。 「……その鍵、もう捨てろ」  言葉が勝手に出た。  言った瞬間に、しまったと思った。  また勝手に決めた言葉だ。 「……勝手に」  ガシュウが言いかけてフレアは「いや、いい」と被せた。 「……処分は、任せる」  そう言って、息を吐いた。 「……処分は、しません」  ガシュウの指が鍵を絡めとり、静かに言った。 「これは、あたしの、宝物ですから」  ……何?聞き返す前に、紅茶が運ばれてきた。  テーブルに紅茶が置かれる。自分の前。ガシュウの前。  カップが置かれ、受け皿が鳴り、スプーンが震える。シュガーポットとミルクピッチャーの説明をされる。  ガシュウは分からない顔のまま、うんうんとうなずいている。  分かってないのに、わかった振りをする。そんなところは、自分と、似ていた。  店員が去って、また沈黙。  かちゃりと皿が鳴る。  ガシュウがカップを手に持った。ふうふうと、息を当てて、冷ましている。  口をつけると、まだ熱かったようで、すぐに戻した。カップを置いた。食器の音だけがする。  鍵が小さく揺れている。  それを宝物と呼んだ理由を、今更聞ける空気でもない。 「……あの」  ガシュウが口を開く。  声の振動が伝わるみたいで、体が硬くなる。 「……なんだ?」 「……フレアさまの、家って……あの……なんで……」  消え入りそうな声。また、鍵に指を絡めている。  聞きたいことが鍵の先にあるのが分かる。  家。空っぽ。鍵穴。青い札。 「……特に、意味はない」  嘘ではない。  意味は持たせていない。意味の先は、空洞だ。 「……そんなはず。あの……あたしの、せいですかね。あたしが……勝手に……」  鍵を強く握りしめた。  自分に向けたはずの言葉が、ガシュウを責めていた。 「いや。おまえは関係ない」  フレアは即答した。ここだけは、迷えない。 「……元から、出て行こうとしていた家だ」  出て行こうとして、出ていけなかった家だ。  出ていけてよかった、と思ってしまった家。  ガシュウが責任を感じることはひとつもない。  本当に、ひとつもない。  弱いのは自分だ。勝手なのも自分だ。守れなかったのも自分だ。 「……そう、ですか」  ガシュウの表情は晴れなくて、また会話が途切れる。  静かだ。  店内の賑やかさは、ふたりの間まで届いていないようだった。  紅茶の湯気だけが、揺れている。  気まずくて、息もつけない。  もう、逃げる余裕もない。

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