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51.退院の日

 よく晴れている。今日は退院日だ。  ポフは荷物をまとめた。  ベッドのシーツの端をそろえて折りたたむ。  忘れ物はないか、もう一度だけ見て回った。  ノックの音がした。  振り返ると扉が開いて、ガシュウが顔を出した。 「おはよう、ポフ」 「おはよう、ガシュウ」  笑顔を向けると、それよりも大きな笑顔で返してくれる。  ガシュウが両手を広げて近づいてきたので、ポフも腕を広げた。  抱きしめ合って、いつもの挨拶をする。  そのすぐあとに、もうひとつ足音が続いた。扉を閉める音。  顔を上げると、ガシュウの肩越しにフレアの姿が見えた。 「フレアさん!? 来てくれたんですか」 「ああ。手続きがあるだろう。医師の話も聞いておきたい。荷物もある」 「ありがとうございます」  ガシュウから身を離して礼を言う。    フレアはいつもの顔で立っていた。平日の昼だ。わざわざ時間を作ってくれたのだろうと思う。  ふと、ガシュウとフレアを見る。距離が近い。けれど、前みたいに気安いだけではない。言葉にしづらいものが、その間にあった。何があったのかは知らない。けれど、悪い空気ではなかった。 「荷物、それだけか」  フレアが手提げ袋を見た。 「はい。これで全部です」 「意外と少ないな」  そう言うとフレアは手提げを拾い上げた。  ガシュウがすぐに取っ手を引っ張る。 「ポフの荷物なら、あたしが持ちますよ。ポフの保護者は、あたしなんですから」 「見た目より重い。諦めろ」 「持てます!」  フレアは何も言わず、袋を差し出した。ガシュウは受け取って、両腕で抱える。次の瞬間、体がぐらついた。 「あー……。なるほど?」  ガシュウは何かを理解したようだ。 「……やっぱり、フレアさまがお持ちになった方がよろしいかもしれません」 「最初からそう言っている」 「お譲りします」  フレアはため息をついて、袋を取り返した。  ポフは小さく笑った。  二人の間の空気は、やわらかかった。  医師の話を聞いて、看護師たちに礼を言って、病院を出た。  ポフとガシュウが並んで歩いて、フレアが少し後を歩いていた。  まるで見守られているようだと思った。  家の前まで来ると、ようやく帰ってきた気がした。  扉を開けようとしたらガシュウが「ちょっと待って」と止めに入った。  なんだろう。  ガシュウがノブを握ったまま、もったいぶる。 「じゃーん!」  勢いよく開かれた扉の先は、見慣れた部屋。それに見慣れないもの。 「わあ、ベッドだ」  近づいて、手で押してみた。端に座ると、柔らかく沈んだ。 「フレアさまが買ってくれたの」 「俺は付き合っただけだ。買ったのはおまえだろう」 「でも、あたしのお金は、もとはフレアさまのものですし」 「おまえが稼いだ金なら、それはもうおまえのものだ。俺の金ではない」 「その考えは、ありませんでした」 「今までどんな考えで生きていた」 「深く考えていませんでした」 「考えろ、馬鹿」 「つまり、買ったのはガシュウ」 「そうだ」 「なんかいろいろしてくれたのがフレア」 「そうだ」  会話がぽんぽん続いて、礼を言う隙がない。 「ありがとう、ガシュウ」  なんとか合間に言うと、ガシュウは満足そうに笑って隣に座った。 「狭いけど、一緒に寝ようね」 「もちろん」 「あれも見て」  ガシュウが指さしたのは窓だった。  板戸がついている。前にはなかったものだ。 「これはフレアさまが付けてくれたの。トンカチでトントンって」 「ええ、フレアさんが? すごい」  振り返ると、フレアは腕を組んで立っていた。 「寒さが防げるかは分からないが、ないよりはましだろう」 「ありがとうございます」  ポフは窓のそばへ行き、板戸を触った。開け閉めを何度か繰り返した。しっかりしていた。 「職人顔負けだ」 「そんな丁寧なものではない」 「でもね、フレアさまは、ひとりでぱぱぱぱって、やってね。すごかったんだから!」  なぜかガシュウが得意そうに言った。 「おまえも支えたり、釘を渡したり、いろいろ手伝っただろう」 「そう聞くと、あたしもなんかいろいろしてますね」 「していたな、なんかいろいろ」 「お役立ちガシュウ」  胸を張ったガシュウに、フレアは眉をひそめた。  それが可笑しくて、ポフは笑った。  部屋を見回す。ベッドが増えている。窓に板戸がついている。二週間前と同じ家なのに、少し違って見えた。 「二週間ぶりの家は、落ち着くなあ」  伸びをした。  自然と出た言葉に、なぜかふたりが目を丸くした。 「たった二週間、か……長かったな」  フレアが言った。 「……ですね」  ガシュウも小さく返した。  その言い方に、少しだけ引っかかった。  聞けば答えてくれるのかもしれない。けれど、聞かない方がいいこともある。何があったのかは知らない。ただ、二人の間で何かがあったのだと分かった。  前よりも、少しだけ深いところで。  こうして同じ部屋にいて、同じものを見ている。それで十分だった。  ポフは胸の中でもう一度、礼を言った。    退院してから一週間が過ぎた。  体調はすっかり戻っていた。午前中はいつも通り図書館へ行き、机に向かう。  しばらくして、司書のサカキが慌てた様子でやってきた。 「大変、フォレストくん。騎士の方が呼んでいるの。心当たりある?」  騎士。心当たりがあるとすれば、一人だけだ。 「よう」  ロビーから歩いてきたのは、フレアだった。  ポフは思わず立ち上がった。 「どうしてここに?」  ラフな服しか見たことがなかったから、制服姿は新鮮だった。胸には王家の紋章の刺繍があり、いつもより遠い人に見える。 「図書館にいると、おまえの兄から聞いた」  家に寄ったのだろうか。この時間のガシュウは、まだ寝ていそうだ。叩き起こされた顔を思い浮かべて少しだけ口元が緩む。  それを見てサカキがほっとしたように息をついた。 「よかった。事件か何かに巻き込まれたのかと思ったわ」  そう言って、カウンターへ戻っていく。 「僕に、ご用ですか」  ガシュウではなく、自分に用とはなんだろう。 「おまえの遺産を引き出せるようにした」 「ええ!?」  唐突なことを、平然と伝えられる。  頭が追いつかない。  以前、後見人の弁護士に遺産を騙し取られたことは話した。けれど、それをフレアが動かしてくれるとは思っていなかった。 「これから公庫に行く。確認に本人が必要だ。一緒に来い」 「僕のためにしてくれたんですか? いいんですか。お仕事中でしょう」 「ああ、調査中だ。横領事件のな」  ついでのように言う。けれど、それだけじゃないことくらい、ポフにも分かる。  胸の奥が熱くなる。返ってくるのだろうか。お父さんとお母さんが遺してくれたものが。 「行くぞ。……いいな?」  急かすような言い方なのに、最後だけ少しだけ確認するような響きがあった。 「はい。あの、ありがとうございます」  フレアはもう歩き出していたけど、聞こえているはずだ。  フレアは優しい人だ、とガシュウはよく言っていた。  その意味が、少しずつ分かる気がした。  黙って、必要なことを先に済ませる。そういう人なのかもしれない。  ポフは鞄をつかみ、フレアの背中を追いかけた。

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