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52.仮宿の次
今日も大きな事件はなく、任務の時間が終わる。
フレアがガシュウと待ち合わせるのは、もうすっかり毎日のことになっていた。
最近、場所が変わった。
寒くなってきて、外のベンチはもうきつい。喫茶店に毎回入るほど、ガシュウに余裕はない。
今は、騎士団員用宿舎のロビーで待ち合わせている。
受付カウンターのある広い室内に、黒い石のローテーブルと二人掛けのソファが向かい合わせに置かれている。入口のそばに大きな観葉植物がひとつある以外、何もない。
宿舎は、手続きを踏めば誰でも面会に来られる。
わざわざ騒ぎ立てるほどのことでもない。
フレアはガシュウの面会証を発行し、受付で必要な手順も教えた。
今のところ、問題は起きていない。
上官は眉をひそめた。噂がどう膨らんでいるのかは、もう考えないことにした。
テーブルを挟んで、ガシュウと向かい合って座る。受付の者は裏で作業しているのか、姿がなかった。
「ポフから聞きましたよ。何か、お金、出してくれたんですってね」
親の遺産のことだろう。
「俺は出していない。もともと弟の金だ。本人が引き出せるようにしただけだ」
「やはり、出してますね」
ガシュウが口の端だけ上げて笑った。妙に悪い顔だ。
「出していない。引き出せるようにした、だ」
言い直してやる。
「“引き出せるようにした”してくれて、ありがとうございます」
「礼を言われるほどのことじゃない。引き出すのは弟だ」
噛み合わない。
その噛み合わなさが好きなのだと、もう認めざるを得ない。
苦笑が漏れる。
感謝される理由もない。横領の事実を知って放置した方が問題になる。ただ仕事をしただけだ。
「……フレアさまって、今どこに住んでいらっしゃるの?」
「……ここだ」
ロビーに連れてきた初日に話した気がする。
「まあ、王宮暮らしなんですね」
「違う。王宮の敷地内なだけだ」
「王宮って高貴な暮らしです。憧れてしまいます」
「宿舎だと言っているだろう」
憧れるようなものは何もない。狭いだけだ。
苛立ちが先に立つ。
あれだけ反省したあとでも、きちんと苛立つらしい。自分に呆れてしまう。
人の気も知らずに、ガシュウは足を交互に揺らしていた。
深く息を吸い、ゆっくりと吐きだした。
「近いうちに、出ていこうと思っている」
ガシュウの足が止まった。
眉が寄る。白目の広い目が、まっすぐこちらを見る。
「で……出ていくんですか」
声が震えていた。動揺と不安が、そのまま出ている。
何に怯えているのかは分かった。
空っぽの家。回らない鍵穴。
「安心しろ。勝手にいなくなるわけじゃない。次の住処が決まったら、ちゃんと教える」
ガシュウは長く息を吐いた。眉が下がる。
「ここは、少し息が詰まる」
噂の的だ。上官の目もある。どこにいても落ち着かない。
全部、自分が引き起こしたことだ。
それに、ここは仮の場所でしかない。帰っても休まらない。
両親と暮らした家に戻るつもりはなかった。
あの家では、息ができない。
きっかけが何であれ、出られてよかったのだと思う。
どこへ行っても同じかもしれない。
帰っても、ひとりなのは変わらない。
「新しいお家、決まったら遊びに行きますね」
ガシュウの明るい声で、意識が戻る。足がまた揺れていた。
まだ少し不安そうなのに、もう笑っている。
「そうだな」
フレアは小さく息を吐いた。
ガシュウを招き入れる家なら。
今よりは、息ができる気がした。
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