55 / 59

55.これからの家

 それからの話は、早かった。  打ち合わせ、手続き、家の受け渡し。  フレアはガシュウとポフと共に、新居の前に立っていた。  玄関先で不動産屋と最後の確認をする。  選んだ家は、あのバルコニーのある家だった。  皆が、あの家がいいと言った。  誰の意見も置いていかれない家だ。  家はフォレスト名義で借りた。もともと兄弟はそのつもりで探していた。自分はそこに入れてもらう形だ。  不動産屋は契約完了として、新居の鍵を三つ渡すと帰っていった。  新しい鍵は傷ひとつなく、滑らかだった。光を受けて、小さく光る。  ガシュウとポフにひとつずつ渡し、自分の分を胸ポケットにしまう。  ふたりは揃いの鍵を見せ合って、嬉しそうにしていた。 「失くすなよ」  主にガシュウに向けて言った。  そういえば、ガシュウの胸元では古い鍵が揺れている。今はもう使えない、フレアの家の鍵だ。 「チェーンに……新しい鍵を付けるか」  ガシュウがフレアを見た。胸元の鍵を握る。 「いいえ。これは宝物だから、このままでいいです」  宝物。前にもそう言っていた。 「この鍵は、あたしが貰った物なので。もう、あたしのものです」  何が宝物なのか、今さら聞くのは無粋だった。  ガシュウの気持ちは、もう知っているつもりだ。 「そうだな」  それ以上は言わなかった。  役目を終えた鍵は、ガシュウの胸元で、役目とは別の価値を持っている。 「僕が最初に開けていいかな」  ポフが扉の前に立つ。 「もちろん!」  ガシュウがポフの両肩に手を置き、後ろから鍵穴を覗き込む。 「ああ」  短い返事のつもりが、少し弾んだ声になった。  ポフが鍵穴に真新しい鍵を差し込む。回すと、カチャッと金属の明るい音が鳴った。  鍵を抜いて、「開けるよ」とポフが言う。ゆっくり扉が押し開かれた。  陽が差し込んだ、明るい部屋がそこにあった。  高台の家らしく、窓の外には空が広く見える。 「うわあ、すごい」 「あら、すごい。あら、すごい」  内覧で一度来ているはずなのに、兄弟たちは初めて見るような顔ではしゃいでいた。 「……いい眺めだな」  外の景色だけではなかった。  この部屋にいるふたりを通して見えるものまで、明るく見えた。 「ふふ。まだ、何もない部屋だ。空っぽだ」  部屋を見て回りながら、ポフが浮き立つように言った。  その言葉に、ガシュウの動きが止まる。  自分も息を止めていた。 「二階も見てくる」  ポフは軽い足音を立てて、階段を上がっていった。  フレアはガシュウの隣に立った。窓の外の空は、雲ひとつない。 「この家には、これから物が増えていくだろう」  ガシュウが見上げてくる。 「そういうものが、ちゃんと残る家にしたい」  視線がまっすぐ合う。 「もう、勝手に触れて壊したくない。荒れた家にも、したくない。だから……」  体ごと向き合った。  ガシュウの白目が目立つのは、黒の瞳が純粋なせいだろうか。 「俺と一緒に、片付けてほしい」  他人が聞けば、ただの家事の話に聞こえるかもしれない。  けれどフレアにとっては、それだけではなかった。  ガシュウは身を固くして、胸元の鍵を握りしめた。 「……片付けたら、フレアは嬉しい?」  確かめるような声だった。 「ああ」  答える。 「もう、勝手に壊したりしない。二度と、あんなふうにはしない」  誓う。心から。  ガシュウは目を伏せた。 「あたしもね、片付け、苦手なんですよ」  小さな声だった。 「だから、フレア……」  伏せていた目が上がる。少し潤んだ目と、また視線が合った。 「一緒に、片付けていきましょうね」  ガシュウは頬におかしな力を入れて、不器用に笑った。いつもの、からからした笑い方とは違う。  フレアも笑った。うまく笑えているのかは分からない。たぶん、自分も不器用な顔をしているだろう。  腕を上げた。ガシュウを抱きしめようとして、その手が止まる。  触れていいのか、また迷う。  迷っている短いあいだに、ガシュウがゆっくり胸の中へ入ってきた。  フレアは遠慮がちに背中へ手を回し、抱きしめる。  ガシュウも、たどたどしく背中へ腕を回した。  体温が腕の中に収まる。  呼吸の速さが少しずつ揃っていく。  それだけで、胸の奥が静かになった。  この手の中の存在を、ずっと欲しかったのだと、今なら認められる。 「あっ」  階段の方から声がした。  振り返ると、ポフが途中まで下りてきていた。 「僕のことは気にしないで」  そう言うなり、ポフは慌てて二階へ駆け戻っていく。  次の瞬間、ガシュウが胸を押して離れた。 「待って、ポフ。違うの、そうじゃなくて!」  そのままガシュウも階段を駆け上がっていく。  一階にはフレアだけが残された。  取り残されたはずなのに、おかしくて、ふっと息が漏れた。  二階から兄弟の声が聞こえる。何を話しているのかまでは分からない。  けれど、誰かの声が、天井越しに落ちてくる。  ひとりで立っているのに、ひとりではなかった。  この家では、どこにいても、そうなのかもしれないと思った。

ともだちにシェアしよう!