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56.ありがとう

 兄弟たちの家の家具は運搬の手配をしてある。届くのはまだ先だ。  フレアの荷物はほとんどない。生活に必要なものを揃えなければならない。  テーブルと椅子。調理器具。寝具。照明。日用品。  最低限必要なものを、紙に書き出していく。 「ガシュウは、くまちゃんのぬいぐるみを飾るのが夢だったんです」 「僕、プランターが欲しいな。花を育てたい。バルコニーに置くんだ」  横から兄弟が口を挟んでくる。 「……先に、生きる道具だ」  言いながら、リストの一番下に小さく書き足した。  ・ぬいぐるみ(熊)  ・プランター  覗き込んだポフが笑う。  見なかったふりをした。  街の南側には、大きな商業施設が並んでいる。観光地らしく派手で、たいていのものは揃う。  地元の人間ほど、あまり寄りつかない場所だ。  街を巡回するフレアにとっては、見慣れた一帯だった。  一度に買うなら、ここが早い。  店に入るなり、ガシュウが売り物のお玉を手に取った。 「見てください。これ、武器みたい」 「やめろ。戻せ」  横でポフまでターナーを持ち上げる。 「いいね」 「おまえも乗るな」  道具を棚に戻させて、先へ進む。  次は園芸売り場で足が止まった。 「あっ、お花売り場だ」  ポフが駆けていき、ガシュウもそのあとを追う。 「ポフ、どれにするの?」 「まず、プランターから決める」  しゃがみ込んで本気で選び始めた。  長くなりそうだと思った。 「俺は先に他を買う。おまえたちはここにいろ。一時間後に戻る。絶対に動くな」  主にガシュウに向けて言う。 「はーい」  返事だけは素直だった。  ひとりになると、買い物は驚くほど早かった。  寝具、照明、タオル、食器、鍋、洗剤。必要なものを順に揃えていく。持ち帰れないものは配送の手続きをした。  段取りを組むのは得意だ。  こういう時だけは、騎士という仕事も悪くないと思う。  両手に袋を抱えて園芸売り場へ戻ると、兄弟は並んで待っていた。  ポフは袋を抱えている。どうやら納得のいく買い物ができたらしい。  ガシュウが駆け寄ってくる。 「フレアさま、すごいお荷物です。ガシュウがお持ちしますよ」  細い腕が伸びてくる。  カーテンとタオルの入った、一番軽い袋を渡した。 「わっ、結構重いですね」 「それが一番軽い」 「んんっ?」  それでも「頑張って持ちますね」と言うから、「頼む」と背を押した。  家に戻る頃には、陽が傾いていた。  西日が坂道をまっすぐ照らしている。 「なんですか、この坂は……!」  ガシュウが息を切らして遅れてくる。 「こんな場所に住むなんて、おかしいです」 「おまえの決めた家だ」 「い、言い返せません……」  ようやく登りきると、ガシュウは膝に手をついたまま動かなくなった。 「疲れたよね。中で休もう」  ポフが鍵を開ける。  フレアとガシュウもそのあとに続いた。  居間の隅に買い物袋を置く。  ガシュウはその場で力尽きたように床へ倒れ込んだ。まだ絨毯もない、硬い床だ。 「人も多かったし、疲れたよね」  ポフがその横に腰を下ろす。  フレアも少し離れて床に座った。  照明はまだ付いていない。薄暗くなる前には出るつもりだった。  住み始めるのは、家具が届いてからでいい。 「少し休んだら、解散だ」 「やだ」  寝転んだまま、ガシュウが首を振る。 「泊まってく」 「いいね。泊まっていこう」 「ね」  兄弟だけで話がまとまっていく。 「ダメだ。今日は帰れ」 「フレアが決めることじゃありませんからね。ここはガシュウのおうちです」 「ふふっ、ポフのおうちでもあります」  どうしたものかと見ていると、ポフが立ち上がった。 「僕、ちゃんと準備してきたから平気だよ」  階段下の部屋から毛布を抱えて戻ってくる。  蝋燭とマッチまで出して、火を点けた。薄暗かった部屋に、小さな光が広がる。 「泊まるかもしれないと思って、持ってきたんだ」  用意がいい。  ふたりだけ残して帰るのは嫌だった。  置いていくのも、置いていかれるのも、嫌だった。 「……俺も泊まる。ここは俺の家でもある」  一瞬しんとしたあと、兄弟が顔を見合わせる。 「やったー!」  手を取り合って喜んでいる。  フレアは小さく息を吐いた。  無断外泊の始末書くらい、あとでどうとでもなる。  持ち込んだ毛布を広げ、三人で適当に床へ並べていく。  まだ家具も何もない部屋なのに、今夜だけでそれなりの形になっていくのが不思議だった。  フレアは買い物袋のひとつを引き寄せた。 「おい、ガシュウ。これ」  中から取り出したものを投げると、ガシュウが「あわっ」と間の抜けた声を上げて受け取った。 「くまちゃん!?」  くまのぬいぐるみだった。  ガシュウは目を丸くしたまま、両腕の中のくまを見つめている。 「それと、ポフ。これ」  ポフには小さな袋を渡した。  受け取ったポフが中を覗き込む。 「……種だ。これは、ひまわりの種ですか」 「ああ」  ポフは自分で育てる花を決めているかもしれない。けれど、ひまわりが似合う気がして、買っておいた。 「ありがとうございます」  ポフが笑う。  その顔は、やはりひまわりのようだと思った。  それから、やけに静かなガシュウの方を見て、ぎょっとした。  くまを抱えたまま、泣いていた。 「こんなの……嬉しい」  ぽろぽろと大粒の涙が落ちる。  泣き方のわりに、抱えているのがくまなのが少し可笑しい。  ポフがすぐにガシュウへ抱きついた。 「嬉しいね、ガシュウ」 「うん」  鼻をすすって、ガシュウがフレアをまっすぐ見た。 「ありがとう、フレア」  ありがとうは自分の方だった。  何に対してなのか、まだうまく名前にできない。  家に入れてくれたことかもしれない。  こうして最初の夜を一緒に始めてくれることかもしれない。  嬉しいと泣く顔を、見せてくれたことかもしれない。  うまく言えなくて、いつものように短く返す。 「ああ」  それだけで、今は足りる気がした。

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