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7月29日 1
七月二十九日、今日は二回目のデートの日だ。ここ一週間で俺の遥への印象は大きく変わっていた。遥は最初の手紙が嘘かのように謙虚で、とにかく気にしすぎる性格だった。電話の際は必ず時間が大丈夫か聞いてきて、尚且つその上で体調はどうだとかしんどくないかとかも聞いてくる。自分から持ちかけた話なのだから好きにすればいいのに、それを嫌がる。あと、リップサービスを嫌がる質なのか、遥が俺に好きだと伝えることもなければ、俺に言って欲しいと強要することもない。それでも一応はちゃんと恋人のフリはするつもりだ。あの夜調べた“恋人らしい言動“からいくつか役に立つものを拾った。相手を気遣う素振りを見せること、相手を心配すること、相手の喜びそうな言葉をかけること、相手をが好きだという雰囲気を出すこと……最初の三つはいいが、最後の一つはお互い気まずいだけになりそうだ。それに…そういう雰囲気を出して周りにバレたくない。だからせめて、気遣うことくらいはしようと思う。
待ち合わせを水族館前にするか電車で会うかで悩んだが、電車の方を選んだ。電話の時に遥がさらっと、初めてのデートの時緊張しすぎて三十分前からあそこで待ってたんだよねとポロッと溢したからだ。もちろんそのあとはもうすぐ死ぬ人間が生い先さらに短くするなと叱り、せめて五分前にしろと言い聞かせた。正直そこまでする理由はなかったが、ある日突然連絡が来なくなって実は家で死んでましたはこっちとしても気分が悪い。ちゃんと八月三十一日まで付き合うというルールがあるんだから守らないと。
朝起きて、念の為酔い止めを飲んでおく。今日行く水族館は電車を二つほど乗り継いでさらにバスに乗るような距離にある。俺は昔から乗り物酔いしやすく、なぜか絶叫マシーン系は乗れるものの、電車や車、バスにはとことん弱い。正直酔い止めも効く時と効かない時がまちまちで今日はどこまで耐えられるだろうかと考えてしまうほどだった。その旨は既に遥にも伝えており、無理なら途中で降りようねと言われている。
遥に言われた通りの車両に乗り込むと、前回同様鏡で髪をいじっている遥が座席に座っていた。そういえば遥はいつもどこからくるのだろう。初めてのデートの時も今回も、遥は俺より先にいるからどこの駅から来ているのかどこに住んでいるのかも分からない。最初に至っては俺より後に来たものの、どうやって帰ったのかを知らない。ルールのせいで聞く事もできないし、きっと尋ねても先週のようにナイショと少し意地の悪い顔で言われてしまうんだろう。聞くだけ無駄だな、そう思いながら隣に座ると、遥は俺の方を向いて笑顔でおはよう!と言いいそいそと鏡をしまった。
「はよ。体調は」
「気にしなくていいのに〜。大丈夫だよ、それより徹はどうなの?」
「今乗ったところだから流石に酔っていない」
俺の答えに良かったーと答え、今日見たいものいっぱいあって!と元気よく喋り出した。聞くところによると水族館は行ったことがないらしい。というかそういうレジャー施設に赴いたことがないらしい。小学校の時の遠足は毎回休みか入院で行けず、中学校や高校は飛行機を使うこともあり、遥の体調を考慮して主治医が許可を出さなかったらしい。
「先生もさ、過保護すぎると思うんだよね。俺だって友達と遊びに行きたかったし、色々体験したかったのにさー」
「でも実際行ったら行ったでホテルから出れなかったんじゃ」
「……有り得る」
だろうな、と少し笑って頷く。今の所気分も悪くなく良好だ。それからなんの気無しに周りを見渡すと結構人が多くなってきていた。その光景を見て遥にそういや人混みは平気なのか?と問う。外に出ることは初めてではなくても、人混みに慣れていなのなら今日は休み休み行動した方がいい。遥は首を捻ったあと、わかんないと答えた。
「今までそんなとこ行ったことなかったし……でもまぁ、めちゃくちゃに暑くなければ平気かな」
その返事にじゃあ多分平気だろうと思い直す。水族館の中は夏休みもあって人でごった返してそうだが、冷房は効いてそうだ。水族館の話に戻ると、遥は携帯を取り出しこれが見たいんだと写真を見せてきた。水族館のホームページに書かれたイルカショーの時間だ。本当にベタなのがお好きなようで。
「十五時半とかどうかなって」
「十五時半か……昼をどうするかによって変わってくるな」
「え、お昼?お昼とイルカショー関係あるの?」
遥が首を傾げる。そうか、そもそも水族館を知らないから昼の混み具合や時間をずらすなど考えていなかったのだろう。俺は友人たちとたまに行くことがあり人混みの避け方を知っているが、遥は何も知らないんだ。少し気の毒に思い教えることにする。
「大体のレジャー施設はそうなんだけど、昼時はカフェテリアとかフードコートすごく混むんだよ。だから時間ずらして遅めに食べるか早めに食べたほうがいい。今日もし遅めに食べるならその時間は難しいな、イルカショーは人気だから席取りしとかないと立ち見になるんだよ」
「あ、そうなんだ…。どうしよ、徹は朝しっかり食べちゃった?」
「いや、今日は酔う前提で来てるからあんまり食べてない。食べてると余計に吐き気するし」
「じゃあ早めに食べてイルカショーに備えよう!」
ぐっとガッツポーズをする遥。そして俺の方をじっと見て徹は先輩だねと謎にニヤニヤしながら言った。なんだその笑顔は、と額を小突くとちょっ頭はやめてよと言いすぐに鏡を取り出して髪を整えた。そんなに強く突いてないんだが。それに毎回のことだがそんなに髪型が気になるものなのだろうか。じっと見つめていると、遥は俺から目を背けちょっと髪薄いから…と聞き取るのがやっとのレベルの小声で言った。それは、もしかして、
「若ハゲ?」
「ちょ、最悪!もうちょっと気遣う言葉ない?!」
思っただけだったはずが口に出していたようで怒った遥に肘で腹を突かれた。見事に脇腹にに入ってしまい、いててと腹を押さえる。対する遥はふん!と完全に顔を窓の方に背けてしまった。謝りながら遥の方へ少し寄ると薬の副作用なの!とこっちを見ずに怒られた。なるほど、きつい薬を使うとその分体への影響も大きいと聞く。確かにこれは俺が悪い。
「ほんとごめん」
「次言ったら鳩尾殴る!」
「……それはちょっと勘弁」
こいつ、思ったより暴力的かもしれない。いや俺が悪いんだけど。
色々と喋っているうちに電車は終点に着き、乗り換えをするために電車を降りた。一度改札を出る必要がありホームを歩いていると、この間と同じようにまた遥があくびをした。ふざけてまた楽しみで眠れなかったのかと聞くと事実だったようで頷かれた。もし、遥が普通の体だったら遠足や修学旅行は毎回眠れなくなっていたんだろうなと思う。そして友達に揶揄われ笑う…そこまで考えたところでそういえば遥は友達がいるのだろうかと疑問に思った。そういう話を聞いたことがない、というか自分の話はほぼしていないよな、と隣の黒い頭を見る。思い返してみれば遥は最初から俺の学校も名前も学年も知っていた。じゃないと俺の下駄箱に手紙も入れられなかっただろうし。話してくれるかはわからないが聞いてみることにした。
「お前って何歳なの」
「僕?何歳に見える?」
遥が自分を指差し首を傾げる。またこのパターンだ。答えてくれるのか答えないのかも分からない言い方にムッとして適当に五歳と答えてやった。
「ひどくない?」
「じゃあ真面目に答えろ」
ちぇ、と唇を尖らせ遥は徹と同じ十七歳だよと素直に答えた。ある程度予想していた答えに頷くと、遥が口角を上げて僕に興味湧いてきたのー?と顔を覗き込んできた。ニヤニヤしていていかにもいじりたいという顔をしている。だんだんこいつの性格が分かってきた気がする。ここで俺が詰まればさらにいじってくるだろうから真顔で、そうだな、興味湧いたからお前のこと知りたい、と平然と言ってやった。すると遥が赤面し、え、だか、あ、だかよく分からない言葉を発し、たどり着いた改札をさっさと抜けて行った。遥は恥ずかしくなるとすぐ逃げる傾向があり、電話越しでもたまに恥ずかしくなると無言になったり電話を切ってしまったりする。電話を切られた時は掛け直すのだが大抵もごもご喋っており良く聞き取れない。本人はいじる方が好きだと言っているが、大体負けるし最終的に返り討ちに遭う姿はなかなか面白い。逃げた遥に追いつこうと思い早歩きをするが、想像より逃げるスピードが速く、さらに改札を抜けた先で急に人が多くなり姿が見えにくくなってしまう。まずい、このままだとはぐれる。何度か声をかけるも離れすぎていて俺の声は気づかれず、とうとう大声で遥!と名前を呼んだ。そうするとようやく遥は振り向き慌てて戻って来た。すぐさま腕を掴んで端の方に寄る。
「お前、照れるのはいいけど勝手に歩いていくなよ!」
そう言うも遥は惚けた顔をしていて話をあまり聞いていない。何かおかしいと気づき、顔の前でパタパタと手を振りちゃんと意識があるか確認する。遥は数度目を瞬かせた後、初めて名前呼ばれたと言った。確かに言われてみれば初めて名前を呼んだかもしれない。俯いた遥はちょっと嬉しい、と言い手の甲をカリカリと引っ掻いている。これは遥の照れた時の動作だろうか。なぜか俺も恥ずかしくなってきて頬を掻く。
「……別に名前くらいいくらでも呼ぶけど」
「じゃああと百回!」
「…もう二度と呼ばねぇ」
「えーーー!」
すぐに元の調子に戻った遥にため息をついて今度は俺が前を歩いた。
電車を乗り継ぎバスに乗りようやく水族館着いた頃には、俺ではなく、遥の方がダウンしていた。こんなに長時間乗り物に乗って移動することがまずないらしく、今は疲れと乗り物酔いのせいでベンチに座ってぐったりしている。何度も謝罪をする遥にいいからと言い聞かせ、自販機で買ってきた水を渡した。顔は普段より青白く本当に死人かと思うほどだった。
「……ほんと、ごめん」
「いいって言ってるだろ。それよりお前、酔い止めとか効かないタイプ?それとも飲んでなかった?」
これまで自分がこんなに酔う人間だと思わなかっただろうから飲んでいなくても責めはしない。そもそも俺も薬を飲んでも効かない時もあるし。
「えと、薬色々飲んでるから下手に飲むわけにいかなくて」
なるほど、と言いかけておかしい点に気づく。今日行く水族館はそれなりに遠いことは最初から分かっていた。それなら医者に相談すれば今遥が飲んでいる薬と合わせていいような酔い止めを処方してくれるはずだ。聞いた限り遥の主治医は結構しっかりしているように思われる。つまり、そこから分かるのは…。
「遥、主治医に今日出かけること言った?」
今日の外出の件を伝えてないということ。どうやら俺の推測は正しかったらしく、遥は無言になり気まずそうに水の入ったペットボトルを手の中でコロコロと転がした。確かにこの関係は秘密だ、でも友達と行くとでも言えば先生だってちゃんと処方箋を出してくれていたはずだ。そうしたら今こんなに苦しまずに済んだのに、だめだろ。そう伝えると遥は小さく首を振り、先生はそもそも僕が外出すると怒るからと泣きそうな声音で言った。
「僕を長生きさせたいのは分かるよ、でもどうせ余命宣告受けてるなら好きなことしたいんだ。病院で延命治療のために一日中ベッドに寝転がって窓を見る生活はもうしたくない」
言葉の端々から遥が今までの生活でどれだけ我慢を強いられていたかが伝わってくる。病気のことは聞かないと決められているから深いことを聞くことはできない。けれどここまで外に出ることを渇望するほど遥は衰弱していたのだろうか。今は、どうなんだろう。この仮のデートだって一週間一回だ、本当ならもっと色々と行きたい場所があるのかもしれない。でも外に出れる元気が七日のうち一日だけだとしたら…俺は、主治医に相談しなかった遥を責められない。ごめんなさい、と俯く遥の隣に座り自分も水を飲んだ。
「動けるようになったらすぐ行くぞ」
「……うん」
「今日は、楽しむんだろ」
「うん、今日のためにスタンプラリーの場所も把握してきたんだ」
あまりにも楽しそうに言うものだから、それは多分探すのが醍醐味だぞ…とは言えなかった。
意外にも遥は十分ちょっとで回復し、走りださんとする勢いで水族館に向かった。事前に買っておいたチケットでスムーズに水族館に入ると、館内は予想通り人が多かったが空調がしっかりしていたために暑さは感じらなかった。遥は人の多さに驚きつつも興奮の方が優っているようでキョロキョロと辺りを見回している。エントランスを抜ける時にもらったパンフレットを見ると、入り口を入ってすぐの右側にお土産コーナーがあり、正面を進むと大水槽があると書かれている。右に行くと川魚や小魚、熱帯魚、クラゲや海鳥のなどのエリアが二階まで続いている。左に行くとシロクマやペンギン、オットセイなどの生き物がいるエリアが三階まであるようだ。左の通路の奥はイルカショーの大プールがあり、フードコートは三階。そういえば電車の中で、この大水槽は三階まで突き抜けた吹き抜け構造になっていて海の生き物を見ながらフードコートで食事できると遥が言っていた。その遥は歩いた先にある大水槽を見た瞬間目を見開き固まってしまった。その姿を見て、俺も天井を突き抜けている水槽を仰ぎ見た。中は小魚の大群、ジンベイザメ、マグロ、他にも多種多様な魚類たちが優雅に泳いでいて、その姿に圧巻される。水は青く、けれど透明で、上にある照明のおかげで水底にも関わらずキラキラして見えた。上の方は水面が見えてもっと綺麗なのだろう。すごい、と呟く遥に頷く。ここの水族館は大水槽が一番綺麗だと聞き及んでいたが、確かにこれは他と比べ物にならないほど凝った作りをしていた。ぐるっと一周することができるため、固まったままの遥の肩をトンと軽く叩き進むことを促す。我に返った遥は俺の方を振り向いて、綺麗だねと改めて感想を言ってきた。
「行く前に何回か写真見てたけど、やっぱり実物とは全く違うね」
「そうだな…本物には勝てないな。それにここは初めて来たけどまた来ようって思える位綺麗だ」
俺がそういうと遥はびっくりしたかのように目を丸くした。
「徹ここに来たことあるんじゃないの?」
「ないよ。遥が初めてだ」
普通に言ったつもりだが、遥的には嬉しい事実だったらしく少し照れながら微笑んだ。なるほど、こういう言葉も恋人らしい振る舞いに入るようだ。水槽の方を見ると種類はわからないが大きい魚がこちらに突進してきて、ガラスに当たる寸前で右に曲がって行った。その光景に遥は驚きつつも楽しそうにし、すごいすごいとはしゃぐ。サメがいじめるように小魚の大群に突っ込んだり、数匹のマンタが競うように素早く通り過ぎたり、海底を這うように動く魚を見つけたり。初めての水族館だからこその感動もあるだろう、そのどれにも遥は目が釘付けになっていた。そして新しい発見があるたびに、子供のように俺に笑顔を向けてきた。
そうしてひとしきり見終わると、遥は次に進もうと言ってきた。少し名残惜しそうだったため、館内マップを見せながらいつでも見ることができるのを伝えるとおとなしくこくこくと頷いた。そして迷った結果、魚やクラゲのいる右のコーナーに進むことを決めたようだ。右のコーナーを三階まで上がるとフードコートに繋がっており、先に昼食を食べやすくするためだろう。左のコーナーにも三階はあるもののフードコートとは繋がっておらず、行き来もできない。ちなみに二階は一階の構造と同じで左右のコーナーを自由に行き来できる。館内マップを見ていると遥が横から僕も見たい、と手を出してきた。マップを渡すと広いなぁと感慨深そうに言った。
「あ、そう言えば…知ってるか?さっきの大水槽にいた小魚たち、たまに一緒に入っているサメに食われてるらしいぞ」
俺も最近知った真実を言うと、遥はマップからものすごいスピードで顔を上げてえ?!と聞き返してきた。良い反応だ。
「えっ、あいつら食われてるの?」
「そうらしい。減ったら定期的に補充されてるとか」
「じゃ、弱肉強食だぁ…」
「そういやさっきサメがイワシの群れに突進してたな」
遥は耳を塞いで聞きたくないー!と首を横に振った。サメはわざと満腹にさせて食べないようにしているという説もあるが、遥の反応が面白いため言わないでおいた。
遥が定期的にあの魚美味しそうと言うのでツッコミを入れ、古代魚に張り付いて睨めっこをする姿に笑った。魚からすれば何だこの人間、と思ったこと間違いない。魚にそんな感情があるのかは分からないが。熱帯魚のコーナーではカラフルな魚たちと触れ合う事ができ、遥は擽ったいと身を捩っていた。そして俺にヒトデ触ってみる?と差し出してきたため軽く逃げた。何ともいえない見た目の気持ち悪さ…足の裏に大量に着いた吸盤…あんなのよく触れるなと今思い出しても鳥肌が立つ。右の順路で遥が特に気に入ったのはクラゲだったようで、俺が声をかけるまでずっと眺めていた。深海をイメージして辺りは暗く、その中で漂いながら輝くクラゲはまさしく幻想的で美しかった。
そうしてある程度クラゲを堪能すると、遥はフードコートに行こうと言ってきた。それに鷹揚に頷いてエスカレーターに乗ると、三階のフードコートについた。真ん中には下から見た大水槽があり、その周りを囲うようにイスとテーブルが並んでいる。遥は早速ショーケースに駆け寄って動物をモチーフにした食べ物たちの前で目を輝かせている。ホームページでちゃんと確認していたものの実際に見ると全部欲しくなってしまったらしい。遥は思ったよりよく食べるが…流石に全部は無理だろう。
ここの水族館で有名なのはウミガメとイルカ、あとクラゲらしくそれらのモチーフが特に人気なようだ。ウミガメに見立てて顔、手足があるカレーライス。胴体部分にカレーがかかっているんだろう。イルカの形にくり抜かれたパンケーキに、マカロンに飴細工を刺してクラゲに見立て、パフェに乗っけているもの。他にもチンアナゴのクッキーがついたクレープやシロクマの肉球ハンバーグ、カラフルな熱帯魚ゼリーの入ったフルーツポンチなどかなりいろんな種類がある。本当にどれも美味しそうで、遥が悩むのも頷けた。俺は少し考えた上、ウミガメのカレーにした。飲み物は海色ソーダ。遥は悩みに悩んだ結果、シロクマのハンバーグとクラゲパフェ、熱帯魚ゼリー、砂浜色のミルクシェイクに決めたようだ。だいぶ絞ったようだがそれでも量が多い。心配になって食べ切れるのかと聞いてしまったが、遥は笑顔でこれくらいなら大丈夫!と意気揚々と言った。まぁ最悪食べきれなかったら俺が食べようと心の中で決意し、鼻歌を歌っていかにも上機嫌ですと言わんばかりの遥を見てふとあることを思いつく。先に食券機に向かおうとする遥を追い越し、遥の分も合わせて先に食券を買った。俺のその行動を見た遥は予想通りに金を払おうと財布を取り出してきたから、財布をひょいと取り上げカウンターに進む。遥は財布を俺から奪おうと慌てて後から付いてきた。
「徹!財布返して!お金払えないじゃん!」
「要らない」
「要らないって…でも、結構僕食べるし申し訳ないよ」
「いいって」
でもだってを続ける遥を無視してそのまま食券をカウンターに出した。呼び出しベルを貰い席を探し始めるとようやく諦めたのかありがとう、とお礼を言ってきた。俺も大人しく財布を返す。
「これくらいいいよ。そこまで高いものでもないし」
「うん…ありがとう」
たまたま大水槽近くのテーブルが空いたためそこに座る。遥も対面に大人しく座ったが財布をギュッと握りしめ椅子の上で縮こまっている。まだ若干罪悪感が残ってそうな姿を見て、トークアプリを見るように促した。遥がちゃんと開いたのを確認して、“付き合ってるんだからこれくらい気にするな”と送った。その途端遥が硬直・赤面し、この間と同じようにトイレの方に逃げて行った。なんというか本当に、逃げ足が早いというか照れ屋というか…。
普通のカップルなら口頭で言えるセリフも、俺たちはできない。いや、俺が周りの目を気にしなければ簡単に言えることだ。…遥は、こんな関係でも満足しているんだろうか。本当にこれが遥が最後に望んだ関係なんだろうか。そうやって考え出すと止まらない。手は繋がない、キスも強要しない、好きと言い合うこともない。先週俺は「恋人のフリをすればいいのか」と聞いた。遥はおねがいしますと言い、俺も心掛けるよう色々と考えた。けれど今、俺は遥にそれを提供できている気がしない。しかし悩みこそすれ本人に伝えることは出来ない。遥は大丈夫、平気、気にしないで、フリをしてくれるだけで嬉しいと言うに違いないからだ。それでは意味がない。遥は死ぬ、だからこそちゃんと満足して死ねるようにしなければならない。やはりもう少しちゃんと恋人らしくしたほうが良いだろうか。でもそうなると周りに何を思われるか分からない。悶々と考えていると呼び出しのベルが鳴り思考がそこで遮られた。それからタイミングよく落ち着いた遥が帰ってきて意外と早く鳴ったね!と嬉しそうに言う。早速受け取りに行こうとする遥に…何故か違和感を感じ声をかけて止めた。
「ん?どうしたの徹」
「なんかお前、顔色悪くないか?」
遥は笑顔で俺の方を振り向いたが、その笑顔のまま完全に固まった。そして表情を引っ込めなんで分かるのと俯いた。遥の言う通り、なんで分かったんだろう。本当に、本当に微妙だが遥の顔色が通常より青白く見えたのだ。笑顔も無理しているように見えた。遥はちょっと気分悪くて吐いたと正直に話してくれた。
「気分悪いのはいつから?」
「ついさっき…」
「……帰るか?」
ぶんぶんと遥が首を振る。絶対に帰りたくないという意思表示にどうするべきか悩んでいると、遥がしんどくなったらちゃんと言うからと言うので帰さないことにした。本当にいつ体調が悪くなるか分からないんだな、と気まずそうに手の甲を指で掻くはるかを見ていた。
プレートが結構多いため何往復かして、先ほどまで吐いていた素振りも見せず遥は食べ始めた。俺も持ってきたカレーを食べてみる。亀の甲羅のようにホワイトソースが掛けられたカレーは普通に美味しい。遥のハンバーグの方はチーズを肉球形にくり抜いていて、どちらも可愛らしい見た目をしている。そうして食べ進めていくうちに、遥がピタと固まった。何か嫌いな食べ物でも入っていたのか、また体調が悪くなったのか。どうした?と聞くと鞄から恐る恐る携帯を取り出した。その瞬間察した。写真を撮りたかったのに忘れてしまったんだろう。既に遥はハンバーグを半分以上食べているし、俺もウミガメの手足部分を食べてしまって無惨な姿になってしまっている。これを撮っても……可哀想なだけだろう。でも一応聞いておく。
「撮るか…?」
「手足のないウミガメって惨すぎない?」
「そう、だな」
遥は頼んだものを平気な顔して食べ終え、シェイクもきちんと飲み干した。この細身の体のどこにこれだけの量が入るんだとパクパク食べる遥を見ていて思った。その後イルカショーを見るために一階まで戻り、早めに食事を終わらせたおかげでイルカショーの席取りで真ん中の一番全体が見渡せる場所を余裕で取ることができた。最前列にしようと遥に誘われたが肩を掴んでヤメロと言った。いくら夏とは言ってもずぶ濡れになるのは避けたい。俺的にも、遥の体調的にも。
遥はショーの間ほとんど無言だった。かなり集中して見ているようで、たまに感嘆の声を上げたり拍手する以外は特にアクションを起こさなかった。イルカが飛ぶたび歓声が上がり、水槽ギリギリで泳ぐと前の方に座っている観客から悲鳴が上がる。途中でトレーナーがイルカが尾鰭を使って客席に水をかけるよう指示したせいで、俺たちの座っている席はギリギリ濡れてしまった。水がかかった瞬間遥はこれまでにないほど大笑いし冷たくて気持ちいと顔を綻ばせていた。前の方の席だったらもっと喜んでいたかもしれないが…遥の体調が最優先だ。濡れて風邪を引いてこれ以上悪化されると本気で落ち込むだろうから。
終わってみんなが退場しだしても、遥は興奮冷めやらぬ様子でずっとショーについて話していた。
「イルカショー楽しかった!特にイルカが尾鰭で水をかけてくるところがすごくよかった!」
「少し濡れたけど寒くない?」
「寒くないよ、大丈夫。それにこれくらいならすぐ乾くし」
「タオル買うか?」
「心配しすぎ!」
遥は服をパタパタして乾かしている。濡れたのは上の服だけでズボンは無事だったが濡れていることに違いはない。心配しすぎと言われたがさっき吐いたと聞いて心配しない人はいないだろう。けれど遥的にはあまり気にされたくないことのようで明るく振る舞っている。
「着替え用にチンアナゴのTシャツでも買おうか?」
「徹が着てくれるなら着るけど?」
「……遠慮する」
そうやって無駄話をしているうちに左の順路も全て見終わった。そろそろお土産屋に向かおうとしたところで遥が最後にもう一度クラゲが見たいと言ったため、右の順路に戻ってきた。だいぶ歩き回ったせいで疲れたのか、遥はここにきた途端急に静かになってしまった。少し休もうかと壁際にあるベンチソファーに誘うと案の定疲れていたのか座った後遥はふぅと息を吐いた。
「疲れた?」
「うん、さすがに…」
暗さのせいで分かりにくいが、多分電気のあるところで見ると顔色は青白いんだろう。今のエリアは寒さのせいで人が少なく休むには最適だが、今度は寒すぎるようで腕を摩りここ寒いよね?と聞いてきた。
「深海をイメージしているとはいえ、ちょっと効きすぎだな。実際これ以上寒いんだろうけど…」
「徹は寒いの得意?」
「あんまり。でも暑いのよりは断然。俺は暑いと結構すぐバテルし」
僕も暑いの嫌い、と遥が頷く。それからまた水槽に目を向けたクラゲを見つめ始めた。
「…クラゲって今までは別にそこまで好きじゃなかったんだけど、いざ見てみるとすごく綺麗で可愛いね」
可愛い、だろうか。確かに触手を縦横無尽に伸ばしキラキラと輝く姿は綺麗だと思うが、どのあたりが可愛いかはわからない。首を傾げていると遥が僕クラゲになりたいなーと言った。
「クラゲになって海を漂いたい。何も考えずふわふわ泳いで、流されて…」
ぼんやりと水槽を見つめる遥は、クラゲではなくどこか遠くを見つめている気がする。…自分の境遇と、クラゲを比べているんだろう。一生を病気に捧げ、やりたいことも叶わず病院という狭い世界に囚われる。突拍子もない発言だが、遥のそんな人生からするとクラゲのように何も考えず何にも縛られず海を漂えるのは楽しい人生なのかもしれない。……でも、俺はそれに頷けなかった。
「クラゲって、天敵いるらしいぞ」
「あ、そうなんだ。美味しくなさそうなのに」
「マンボウとか亀とかが食べるって。あと共食いしたりもするらしい」
「うわ…弱肉強食だ」
「そう。しかもクラゲは流されることしかできないから食べられるばかりで逃げる術がない」
「なにそれ…」
遥が眉を顰め、なにが言いたいんだという顔をする。俺は遥の目をしっかり見ながら口を開いた。
「だからさ、クラゲにはなるなよ。ただ流されて、最終的には何かに食われて、そんなの楽しくなさそうだし。……それに俺が遥を見つけられなくなったら困るだろ」
「な、こま…る…」
「困る」
遥の顔が赤くなり、ふるふると震えている。人が少ないからこそできる会話だ。しかし次の瞬間には遥は元の顔色に戻っていた。クラゲの水槽から目を逸らし膝に置いた手を見つめている。それから、そうだね、僕がクラゲになって居なくなっちゃったらルール違反だもんね、と淡々と言った。思わず眉を顰めてそういう意味で言ったんじゃないと抗議してしまう。
「ルールとか関係なしに、遥を見つけられなくなるのは困るんだ。……付き合ってる身だろ」
「……徹は、無理して恋人のフリしてない?」
ぱっと遥の方を見る。暗くて、表情が見えない。
「それは、お前の方だろ。お前は俺に何も求めてこない。キスだってしなくていいとか言うし、好きだと言って欲しいとかも言わない。恋人のフリをして欲しいって言うならもっと強請れよ。最初に受け入れた時点で俺はある程度覚悟決めてるんだ」
最初は適当で良かった。でもあまりにも謙虚になられすぎるとこっちも対応に困る。どうせ死ぬから、そのうち死ぬからとなんとなく遥の諦めはよく伝わってきている。俺だって非情じゃない、こいつは死ぬんだから適当にあしらえばいいなんて思いたくない。…死ぬなら、満足して死んで欲しい。自分の思いを吐露するとくすくすと遥が笑った。少し空気が和んだ気がする。
「満足してから死ぬんで欲しいって、傍から聞くとやばいね。…ごめんね徹。僕やっぱり死んじゃうんだからいいやーって思う気持ちが結構あってさ。でも徹の話聞いてたら確かに相手に失礼だなって思ったよ。まあ脅した僕が失礼云々言うのはお門違いだろうけど…今は恋人だもんね。そうやって暗くなるのやめる」
「そうしろ。あと無茶苦茶な願いじゃなければ聞いてやるから」
「へぇ〜?」
じゃあ手でも繋いで貰おうかなーとまた意地の悪そうな顔で言ってきた。これは無茶なお願いだからどうせ出来ない、と言っている顔だ。そうやって油断している遥を壁際に追い詰め、周りに見えないようにしてから手を繋いでやった。遥は自分の手と俺の顔を二度見、三度見、四度見してようやく現状を理解したらしい。先程の赤面なんて可愛らしいほど顔を真っ赤に染めあげた。暗がりでも分かるほどで、耳も赤いのが分かる。
「は、はなし…てよ」
「お願いしてきたのは遥だ」
「いや……でも、だって、周りに人が…」
「ギリギリ見えてないからいいんだよ」
「……っ…」
一番人目を気にする俺がまさか手を繋いでくるなんて思ってもみなかったのだろう。下手に振り払うと繋いでいたとバレるし、追い詰められてるせいで逃げ出すことも出来ない。遥は面白いほどガチガチに固まって手汗をかき始めていた。自分から期間中は恋人のフリをしてして欲しい、と言っていた割にこういう行動を想定していないのが面白い。それはまあ、俺が外でこういう行動をしたくないと知っているからだろうけど…。
「水族館楽しかったか?」
「…はい」
なんで敬語なんだと笑う。遥の記憶に、今日のこの思い出が残るといいなと思いながら。
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