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8月2日 1
『現地集合でよくない?』
「現地集合云々の話じゃなくて早く着きすぎるなって話してんだよ」
ちぇ、と遥の不機嫌そうな声が聞こえる。
今日は動物園に行くために朝から電話で連絡を取り合っていた。普段ならしないのだが、遥が少し早めに行ってるね!などと連絡してきたからだ。それも一時間前に。確かに連絡が早いこと自体はいいが、遥の場合本当に三十分〜一時間前から待ち合わせ場所で待っていそうで、慌てて電話をかけてそこにいろと止めた。案の定遥の電話からは車の音が聞こえてきていて、本当に一時間前にバスに乗ろうとしていたようだった。バス停の近くにコンビニがあったためそこに入ってろと伝え俺は少し早歩きでそこに向かっている。今日行く動物園は水族館よりは大分近くバスで三十分程であり、これくらいの距離なら現地集合にしようと昨日決めたていた。にもかかわらずわざわざ一時間前に乗るバカ。もしそのままバスに乗っていたら、動物園に着くのは待ち合わせの三十分前だ。しかも乗るバス自体は各々近場にしようと言っていたのに、さっき遥が送ってきたバス停は俺の駅の近くだ。家の場所をバレないようにするためなのか、なんなのか。
『早く着くことはいい事じゃないの?』
「お前の場合は少し遅れてくれた方が安心できる」
『遅刻じゃん!』
「暑さで倒れられるよりはいい」
十時に開園だから十時頃に着けばいいねと話していたのに、九時半頃に着こうとする奴がいるか。……実際ここにいる訳だが。
「次から現地集合なしだな」
『えーー!』
徹を待ってる時間が楽しいのに、と遥が抗議を入れてくるが無視した。
ようやくついたコンビニに入ると、遥はのんびりドリンクの棚を眺めていた。人の気も知らないで、とため息をつく。遥に近づくといつもの様にすぐ気づき近寄ってきた。
「おはよう!」
「お、は、よ、う、バ、カ」
「ひっど!」
口をへの字型に曲げて不服そうな遥。飲み物が買いたいというのでレジについて行き会計を見届けた。今日は暑さ対策のためか帽子を被って日傘をカバンにぶら下げている。
「徹がだんだん先生に似てきた」
「自業自得だろ、てかそれ…」
未だに文句を言う遥は…よく分からない飲み物を買っていた。思わずそれなにと聞いてしまう。遥が首を傾げながらペットボトルのラベルを見せてくれて、そこにはミックスジュースと書かれていた。ミックスジュース…だろうか?中に入っているのは茶色の、しかも某茶色の炭酸ジュースのような透明感はない液体だ。言っては悪いが汚い茶色だし飲むのに勇気がいる。正直に言うと、不味そう。コンビニから出ると遥はそれを平気な顔で飲んだ。
「…なんの、ミックスジュース?」
「買って飲んで見ればわかるよ」
いや、いや…これはちょっと。躊躇していると遥はまたキャップを開けてまた飲みだした。結局何なのか教えてはくれない。おいしいか?と問うと顔を顰めてまずいと返ってきた。
「まあそりゃその色だとな…」
「健康一日これ一本、青汁とトマトと緑黄色野菜のミックスジュース」
それで納得した。トマトの赤みと青汁、その他野菜ジュースの緑が合わさってなかなかにインパクトのある見た目になっていたようだ。それなら買って飲めばわかると言ったのも納得できる。でもその組み合わせで、色はともかくまずいということがあるだろうか。どろっとした液体をさらに一口、二口飲んで遥は空を仰ぎ見てため息をついた。
「僕野菜ジュース嫌いなんだよね」
「なんで買ったんだ」
「体にいいかなって」
自分の状態が悪いということは理解しているようだ。良薬口に苦しとは言うが、それでもわざわざ自分からまずいものを買って嫌そうな顔しなくてもいいだろうに。俺は遥が手にしてるペットボトルを奪い、曰く不味いミックスジュースを勢いよく飲み干した。まずい、たしかにまずい。これは遥の味覚の問題というより、合わせ方が悪い気がする。青汁の特有の風味とトマトの酸味と野菜ジュースの甘味、どれも主張が激しいせいで結構飲みにくい。あと野菜ジュースの方にある野菜独特の苦味が後味を悪くさせている。思わずまっずと呟いてしまう程に美味しくなかった。これを作った人は本当に売れると思って作ったんだろうか…。飲み終わったペットボトルを遥の方に返すと、遥はなぜか口を開けたまま固まっていた。名前を呼ぶとビクッと肩を揺らした。
「どうした?」
「え、い、いや……徹ってそういうの気にしないんだね」
そういうのって、と聞こうとして気づいた。俺いま普通に同じ飲み口で飲んだな。
「あー、間接き」
「いいい言わないでよ!徹には羞恥心ってもんはないの?!」
「遥は気にするんだな」
「ぐ、う…」
返したペットボトルが音を立てて凹むほど遥は強く握って羞恥に耐えている。トドメの一撃に、これはキスに入りますかとわざと聞いてやった。
「〜〜〜〜!!!」
振りかぶられたペットボトルが俺の二の腕を直撃した。
この一週間で遥とはさらに軽口を叩ける仲にまでになった。水族館の一件から遥は遠慮をあまりしなくなり、むやみやたらに気にしすぎるのことはなくなった。電話も大丈夫かと逐一聞かなくなったし、昼間に連絡を取り合うことは無かったのに時折メッセージを送ってくるようになっている。それでも遥はどこか一線を引いていて、絶対に俺に好きだと言わせることは無い。だから俺も何も言わずこれが遥の望んだ関係だと思うことにしている。
毎日連絡を取り合い、夜は電話繋げているおかげで遥のことをある程度知ることが出来た。たまねぎが嫌いで、シチューにほぼ溶ける寸前の状態で入っていても避けて食べるほど嫌いだとか。入院中ずっとやってたせいで知恵の輪が得意だとか、髪の毛が癖毛だから雨の日はあまり外に出たくないだとかも聞いた。あと、意外にも一人暮らしをしているらしい。じゃあ先週遥の部屋に入ってきた人物は誰だったのかという話だが、聞いてもそれ以上は言いませんとばっさり切り捨てられてしまった。どこからがプライベートなのかが難しい。そんな他愛ない会話は尽きず、なにか用事があるとき以外はほぼメッセージを送りあっていた。
停留所で待っている時も本来乗る予定だったバスが来て乗り込む時も遥はずっと黙っていた。先程の間接キスを揶揄ったことがまだ残っているらしく俺と目が合うとすぐ目を逸らしてしまう。なんだか目を絶対に合わせようとしないところは動物みたいだな、とじっと見つめていると優先座席に座った遥が俺の足を軽く踏んできた。まだ不貞腐れているらしい。
「そんな不貞腐れなくても」
「不貞腐れてなんてないけど?」
口調が不貞腐れてるんだが。きっとこれ以上は何を言っても刺激してしまうだろうから動物園で見たいのはあるのかと聞いた。遥はちらっとこっちを見たあとカバンから携帯を取りだし、ホームページを見せてくれた。動物触れ合い体験と書かれた見出しに、モコモコなアルパカと触れ合っている人の写真が載っている。そういえばここの動物園はアルパカの毛を使ったぬいぐるみやセーターなどが有名だと聞いたことがある。
「じゃあ最初はアルパカのとこに行くか?」
「うん」
ようやく機嫌が治ってきたようで遥は俺の方を向いて頷いた。
「それ以外は何かある?」
「ライオンと、あと徹が平気ならイグアナとか見てみたい」
「あー…」
爬虫類は苦手だ。どうしてもあのてらてらと光る鱗が受け付けない。微妙な返事をしていると遥がやめとこうと言ってきた。
「無理して見るものじゃないし」
「…いや、遥優先だから」
「さすがに徹が苦手ーって顔してるのに連れていくのは僕としても良心が痛むよ」
「それは最初の時に思って欲しかったな」
「……じゃあ、僕が死ぬからって言ったら言うこと聞いてくれた?」
上目遣い気味に聞かれて、少し考える。もし遥が普通に手紙で俺を呼び出して、余命わずかだから付き合ってほしいと言われたら…俺は、断るだろうか。受け入れるだろうか。多分俺は他の奴に頼めとあっさり断っていたと思う。わざわざ俺を選ぶ理由なんてないし、そもそも女でいいだろと。そういえば、いまだに遥は女じゃない男の俺を選んだ理由を話してくれていないことを思い出した。プライベートなことではないはずだがカフェでナイショと言われて以来そういう話にもなっていない。聞かれたくなんだろう、でもどうして。
「聞いただけだから気にしないで。それより徹は見たいのある?」
遥は俺が断ると答えを出したことを察しているのか、遥は俺に携帯を差し出してきた。動物園にいる動物の紹介ページだ。俺は適当にページを開いて遥に見たいものを伝えた。
これが見たいこれと触れ合いたいと話しているうちに、水族館の時とは比べ物にならないほど早く目的地に着いた。そのおかげで今回はは遥も体調を崩すことはなく落ち着いてる。着いてすぐに遥は日傘をさして俺に前と同じように手持ち扇風機を渡してきた。バス停から動物園までは徒歩たった五分程度だが、バスを出るとすぐに暑さに目が眩んだためありがとうと扇風機を素直に受け取った。そして今朝わざわざ鞄に入れた冷感グッズがあることを思い出した。遥が前を向いたタイミングでそれを取り出しフィルムを剥がしてぺたっと首に貼ってやると、急に襲いかかる冷たさになにこれっと遥が飛び上がった。冷却シートだと説明してやると一言言ってよ!と遥は苦言を呈してきた。けどすぐに首を後ろに傾け気持ちよさそうに目を細める。
「……気持ちいい、ありがとう徹」
「ぬるくなったら取り替えるから」
「なんか徹が優しすぎて怖いんだけど…」
訝しげに俺を見つつ遥はチケット販売所に向かって歩いて行く。この動物園はチケット予約を行っていなかったため販売所に行かなければならない。すでに結構な人数が並んでいて、買うのに十分以上はかかりそうだった。その光景を見て、だから遥は先に行こうとしていたんだと気づいた。先に買っておけば楽に入園できるし、何より暑さに呻くこともない。さっきは徹を待っているのが楽しいなんて言っていたが、あれは建前だったんだろう。若干本音も紛れていそうだが、それでもちゃんと考えていてくれたことには変わりない。頭ごなしに叱って悪かったなと思い、列に並んだ遥にさっきはごめんと伝えた。遥はキョトンとした顔をしてなにが?と首を傾げる。
「先にチケット買おうとしてくれてたんだな」
「あ、あー…バレちゃった?徹この間暑いとすぐバテちゃうって言ってたから、すぐ入れるようにしとこうかなーって思ったんだけど…」
推測は正しかったようで遥は少し目を伏せて照れるような仕草をした。なんていうか、そういう行動は、
「かわいい…」
「…………な、に、」
口に出していたと気づいて後悔した時にはもう遅い。遥は可哀想なほど顔を真っ赤にさせて体をふるふると震わせている。
「ちが、今のはその、俺の苦手部分を覚えて行動してくれるのが嬉しいしかわいいっていう意味で」
「事細かに説明しなくていいよ馬鹿!」
テンパってかわいいと言った理由を説明してしまい、列に並んでいるために逃げ出せない遥は顔を手で覆い隠してしまった。
「ほんと馬鹿、場所考えてよ!余命じゃなくて恥ずかしさで死んじゃうじゃん!」
「ごめん…でもかわいいと思ったのは本当だから」
「っ言わなくていいって言ってんの!」
列が前に進み、遥がずんずんと先に歩いて行く。これ以上言うと多分遥は爆発するだろうから大人しく着いていった。その間も遥は、徹には羞恥心がないだの馬鹿だの人じゃないだのずっと呟き続けている。でも一度かわいいと思ってしまうと全ての行動が可愛く見えてしまい、この文句も照れ隠しの一種だと思うとやけてしまう。再度かわいいなんて言えば今度は殴られる可能性があるから言わず心の中に留めておいたが、もしここに二人しかいなかったらかまい倒していただろう。そこまで考えて、かまい倒すってなんだよと自分に突っ込んだ。確かに恋人のフリをするルールだが、そこまでする必要はないだろと。遥にはルール期間中だけでも満足してもらいたいとは思っているが、今のこの会話はまるで本当の恋人のようだ。そうだ、節度は守らないといけない。遥の文句だって照れ隠しのように見えるが実際は嫌がっているのかもしれないんだから。
ある程度前に進むと遥は止まって、はぁとため息をついた。
「あんまり言うと本気で殴る」
やっぱり嫌だったんだろうかと邪推したがそうでも無かったらしい。でもさすがに入園どころかチケット売り場にたどり着く前にくたばりたくはないので、俺は口を引きしめた。
入場ゲートをくぐって真っ先に目に飛び込んできたのは、ペンギンの行進だった。ちょうど入園した時間がペンギンの行進のタイムスケジュールと被っていたらしい。水族館の時はガラス越しでしか見ることが出来なかったが、実際に目の前で歩き回る姿は一瞬で暑さを忘れるほど可愛かった。遥はその可愛い行進見た途端ぽかんと口を開け固まり、そしてさっそく携帯で写真を撮り始めた。
「かわいー!」
てとてと、と俗に言うペンギン歩きをしながら数十匹のペンギンたちが歩いていく。遥は早くもご満悦といった感じで同じように後を追いかけていく。動物園に入ってすぐはドーム状になっており、左右にはお土産ショップが並んでいる。その構造のお陰でペンギンたちは火傷することなく地面を歩けているようだ。なぜか同じ歩き方になりつつ遥に、先導している飼育員がペンギンに餌やりしてみますか?問いかけている。遥は俺の方を見て、ペンギンをちらっと見て、どうしようという顔をした。俺にも餌やりさせたいんだとすぐ気づいて遥の隣に並んだ。
「お2人ですね。ペンギンたちはまだ朝ごはんを食べていなくてお腹がすいています。バケツを渡しますので均等になるようにあげてください」
均等、と言われても素人には見分けがつかないが…と困っていると腕にそれぞれ色違いのアームバンドをつけていることに気づいた。これなら誰に餌をあげたのかが分かりやすい。飼育員に餌やりの方法を簡単に伝授してもらいバケツを貰うと、ペンギンたちはすぐに俺と遥を取り囲んで腕をバタバタさせながら餌をねだり始めた。
「わ、ひゃ、まってまって、いまごはんあげるから!」
足をつつかれた遥は慌てて青色のアームバンドの子に餌をやる。するとすぐにまた違う子がちょうだいとくっついてくる。その慌てぶりに笑ってると、今度は緑色のバンドをしたペンギンが俺の足をつついてきた。要求されるがまま餌を口に入れてやるといとも簡単に魚をごくんと丸呑みしてしまった。こうやって食べるとは聞いたことがあったが百聞は一見にしかず、ほんとうに一口で食べてしまうんだなと感心する。
「ごはんもうないよ!」
遥は先に全て餌をあげてしまったようだが、まだ食べたいペンギンたちに詰め寄られていた。バケツのをひっくり返したり中を見せたりしてもペンギンは納得せず、というか理解せず遥ににじり寄っている。俺が最後の一匹に餌をやり飼育員にお礼を言いながらバケツを返した後、遥はそくささと俺の後ろに逃げてきた。ペンギンたちは既に他に餌をくれる人を見つけてそっちへ歩いて行っている。
「い、勢いがすごい…!かわいいけど!」
「遥みたいだな」
「どういう意味?」
「よく食べるとことか似てるだろ」
食い意地張ってるって言いたいの?!と遥が俺の背中を叩いてくる。別にそうは言ってない、言ってないけど軽く含ませはした。思わず大きな声で笑ってしまうと遥に睨まれた。
「ほら、目当てはアルパカだろ。行くぞ」
「アルパカ!」
アルパカの話を出すと遥の機嫌はすぐに治り先ほどもらったパンフレットを開きアルパカ牧場の場所を調べ始めた。自分のを出すのが面倒だったため遥のパンフレットを覗き込んで確認すると、アルパカ牧場は一番奥に位置していて今いる入場ゲート辺りからするとかなり遠いことがわかった。アルパカ先に見て戻りながら色々見るか?と聞くと、触れ合いが午前中しかやっていないから最初はアルパカ牧場に行きたいと言う。
「そのあとは?」
「近くにレストランあるからそこで先に食べる」
パンフレットのアルパカ牧場の近くを指差す遥。昼時は人が多いとしっかり学んでいるらしい。そしてパンフレットの隅に“スタンプを全部集めると素敵な景品ゲット!“と書かれているのを見かけて、今更ながら水族館のスタンプラリーをしていないことを思い出した。
「そういや忘れてたんだけど、前に行った水族館でスタンプラリー結局してないよな」
「え、あ…」
遥もすっかり忘れていたらしく、俺と同じくパンフレットの隅を見て思い出したようだ。キョロキョロと辺りを見回し、すぐ近くにあったスタンプ台に駆け寄ってパンフレットに付属している台紙にスタンプを押した。今度は絶対クリアしてやるという気持ちがありありと見える。
「あと8つ!」
俺にわざわざ押したスタンプを見せてくる姿がかわいい。スタンプのヒントを見ると、入場ゲート付近、肉食動物エリア、草食動物エリア、小動物エリア、ペンギンエリア、レストラン街、アルパカ牧場、水鳥エリア、アヒル池と示されており、全部を集めるにはほぼ全てのエリアを回らなければならないことがわかる。今日は結構暑いし、全部集められるかは遥の体力次第だ。遥の体力が底をついてどうしようもなくなったら俺がスタンプだけでも集めてこよう。そんなことを俺が考えているとは露知らず、遥は素敵な景品ってなんだろうねとはしゃいでいる。
腕を摩りながら、アルパカに餌をやる遥を眺める。先ほど自販機で飲み物を買った時に、今朝のことを思い出したのか、遥が飲むのを躊躇しているのを見て思わずかわいいと呟いてしまった。結果、割と本気で腕を殴られた。嫌ではないと言っていたが、それでも言われるのは恥ずかしいようだ。その後遥に、そのかわいいは本気なのかそれともフリなのかと聞かれた。フリ、つまり恋人のフリで言ってるのかということだろう。俺はその問いにすぐ本気だと答えた。その後耐えきれなくなったのか走って逃げようとするので慌てて手を掴んで引き留めたが、触ったせいで遥はフリーズしてしまった。手を繋ぐのがすごく恥ずかしい行為だと思っているらしい。じゃあ、キスは?ルールに自分で書いたくせに、どうせならしたいなとか思ってるくせに、手を繋ぐだけでそんな初な反応するならキスなんて絶対できないだろ。そう思ったけど多分そんなこと言うと今度は倒れそうだから口には出さないでおいた。そして当の本人はそんなこと忘れて、楽しげにアルパカと戯れている。俺もやってみようと思ったが、何故かアルパカに威嚇され挙句唾まで吐かれてしまったので諦めた。その時の遥の爆笑具合は忘れない。かわいいと思った方じゃなくて、覚えてろって意味の方。
こうして笑ってはしゃいで、楽しそうにしている遥を見ているとどうしても思ってしまうことがある。こいつ死ぬんだよな、って。今日は八月五日、遥の死ぬ日まで…あと二ヶ月くらい。俺たちが別れるまで、あと三週間ちょっと。これを短いととるか、長いととるか。毎日会っていたら長く感じるかもしれない、でも俺たちが会うのは水曜だけ。そのせいでやっぱり短く感じてしまう。毎日する電話だって、三十分程度だ。会っている時間に比べれば全く短い。
生き物はいつか死ぬ。けど遥の場合それが普通の人よりだいぶ早い、いや、早すぎるわけで。……人は死ぬとどうなるのだろうか。俺は、正直死ぬのが怖い。体が生命活動を終えたら、目も、耳も、口も、動かくなる。見えないし、聞こえないし、話せないし、何も出来なくなる。それが怖い。自分がどこに行くのかも、死後どうなってしまうのかも分からない。遥は、怖くないのだろうか。遥自身は呆気からんとして気にしていない風だが、実際はそのように装っているだけかもしれない。遥は自分の思いをあまり告げない。死について、病気について絶対に語らない。自分が死ぬという事実を考えたくないのか、はたまた俺に気を遣わせたくないのか。どちらにしろ、俺は遥の最期が安らかなものであること願うのみだ。遥がなんの病気なのか分からないが、痛みにのたうち回り苦しみながら逝かないで欲しい。この数週間ですっかり遥に情が移ってしまった。ただ恋人のフリをするだけでよかったのに、気づけばそれ以上を遥にしてあげたいと思うようになっている。遥が望むことはしてあげたい、例えば、そう、ルールのキスとか。
キスのことについて考えていたその時、足にぽん、と軽い何かが当たってきた。なんだと見てみると四〜五歳程度の子供が俺の足にくっついて来ていた。俺の方を見て目を瞬かせている。自分で言うのもなんだが、俺の見た目は子供に受けが悪い。金髪に、それなりの身長、若干のつり目、ヤンキーという程では無いものの怖がられることが多い。だからこんなにじっくり子供に見られてもどうするべきか分からない。子供も何も言わずじっと俺を見上げるばかりだ。どうするべきか悩んでいると、遥がアルパカの群れの中から帰ってきた。
「楽しかったー!アルパカが僕の服の裾齧った時はほんとに焦ったけど、でもすごくいい体験だった!それにふわふわだった…って…あれ」
触れ合い体験の感想を話していた遥が首を傾げ、俺と子供を交互に見た。子供は近づいてきた遥を見て目を輝かせ、一言。
「ママ!」
「迷子かぁ」
「迷子だな…」
「迷子じゃないよ!ママがいるよ!」
子供がオレンジジュースを美味しそうに飲みながら言う。
俺の足に引っ付き遥をママと呼んだ子供は、話を聞く限り迷子のようだった。父親がお腹が痛くなりトイレへ、母親は電話をするからとどこかに行ってしまい、子供は探検と称してふらふらと歩いてきてしまったようだ。ちなみに今いる場所はアルパカ牧場の隣にあるレストランで、昼に近づくにつれて暑くなってきていたため避暑地としてレストランに入った。子供は無料でもらえるオレンジジュースを飲んでいる。
先ほどからママと呼ばれ続けている遥は苦笑しつつ、対面に座っている子供に話しかけた。
「えっと、お名前なんて言うのかな」
「しみずあいと!」
「あいと君か、いい名前だね。あいと君は迷子になったときこれ出しなさいって言われたものある?」
「んとねー」
あいと、と名乗った子供は肩から提げているポーチの中から薄い手帳のようなものを取り出して遥に差し出した。ありがとうと遥は受け取り、俺にも見えるように手帳を開いた。この子の親はかなりしっかりしているようで、手帳の中には名前、住所、連絡先、アレルギー、かかりつけの病院などが書き込まれていた。名前は清水愛斗というらしい。アレルギーが少しあって、喘息持ちのようだ。遥はそれをじっと見てなんとも言えない表情をした。
「どうかした?」
「あー、僕も似たようなもの持ってるなって…」
そう言うと遥は自分の鞄から愛斗と同じような薄さの手帳を取り出してペラペラとめくってみせた。病気の詳細のページだけ綺麗に飛ばされたけど。手帳を見た愛斗は目を輝かせテーブルから少し身を乗り出してきた。
「ママとお揃いだ!」
「そこ喜んじゃいけない気がする…あと、なんで僕ママって呼ばれてるんだろう」
「…………」
チラリと隣の不満げな顔を見る。正直に言ってしまうと遥は女顔だ。ふっくらしている唇に若干の垂れ目、化粧でもすれば男とはわからないだろう。それに何より、かなり体が細い。身長はある程度あるものの筋肉も脂肪もついていない体は女性なのか男性なのか本当にわかりにくい。だからママだと呼ばれている、というわけではなさそうだが…若干それも原因だろう。あと考えられるのは、愛斗の母親と遥はそもそも似ているという可能性くらいだ。
そんなことを俺が考えているとは知らず、遥は愛斗の両親を連絡先見て電話をかける準備をしていた。電話番号を押し終えると携帯のコールが少し鳴って、すぐに電話越しに男性の声が聞こえてきた。いくつか言葉を交わした後、遥は見えないのに電話越しにペコペコと頭を下げた。どうやらお礼を言われているらしい。その後愛斗の持っていた手帳をパラパラと捲り、頷き電話を終わらせた。
「どうだった?」
「すごく探してたみたい、お礼言われたよ。あと、お金は払うから何か食べさせてもらえませんか、だって」
「手帳が役に立ったな」
愛斗のアレルギーの欄には小麦粉と書かれている。これ以外の物を食べさせたらいいだろう。
遥はジュースを飲み終えた愛斗に向かって、お腹すいた?と聞いた。
「うん、お腹すいたー」
「じゃあなんか食べようか」
意外にも遥は子供の扱いに慣れている。俺はさっきから一向に愛斗とコミュニケーションが取れていないというのに。若干驚きながら遥を見ていると、遥がニヤッと意地の悪そうな顔をしながら俺にテーブルに置いてあったメニューを差し出してきた。
「パパは何がいい?」
「は?」
「パパ何食べるのっ?」
愛斗が俺に向かってパパと言ってきた。自分だけママ呼びされるのが不公平だから俺も巻き込もうとしているらしい。こいつ…。
「ぼくね、このパンダのオムライスがいい!」
「うんうん、美味しそうだね!」
「パパはー?」
「………………俺は、このパスタで」
渋々指差すも遥は意に介さず笑ってじゃあ僕はカレーうどんと言った。
「お前…あとで覚えてろよ」
「パパこわーい」
「パパ怖い!」
きゃっきゃっと笑いながら二人は注文カウンターに赴いて行った。見た目が似ているのではなく、中身が似ているからママと呼ばれるんだぞとその後帰ってきた遥に小言を言っておいた。
食事が終わるころに愛斗の両親が来て、何度も何度もお礼と謝罪を言ってきた。遥も俺も全く気にしていないことを伝え、愛斗にも見つかってよかったねと言った。ちなみに、遥と愛斗の母親は全く似ていなかった。
「ママ、パパ、バイバイ!」
「バイバイー。今度は迷子にならないようにねー」
最後の最後まで遥はママ呼びされていて俺は笑いを堪えるのに必死だった。
手を振りながら違う道にへ歩いていく愛斗を尻目に、俺は遥に意外と子供の面倒見れるんだなと話した。
「病院だと小児病棟とかあるからね」
遥は愛斗の後ろ姿を見たまま言った。
「僕の入院してたとこって大きくてさ。それこそ一般病棟と小児病棟が一緒の階層に入れるほどなんだ。だから子供と触れ合う期間も多くて」
今日の行動を見るに、遥は子供が好きな方だろう。食事中もずっと子供の相手をしていたし、いいタイミングで俺に話題を振ってくれる。もし遥が普通の体で成長していたら、子供を作っただろうか。俺は…そもそも、ゲイだし子供は望めない。それに、今の日本では同性同士では養子を迎え入れることができない。もし、普通の体だったら子供欲しかった?
「そう、なんだな」
「うん。結構賑やかで楽しかったよ」
でも聞く勇気がなくて俺は流してしまった。
その後遥と俺はスタンプラリーに奔走し、アヒル池にあるスタンプを見つけた際はついでにアヒルボートに乗ろうと言われ無理やり乗らされた。もちろん俺が漕がされた。乗っている間遥は常に大笑いで、降りた後に俺の足がガクガクと震えているのを見てさらに笑った。思わず遥も漕げよと悪態をついたが、それで僕の寿命短くなったらどうするの〜と言われて何も返せなかった。こいつ、俺がその手の話題を気にして話さないのを逆手に取ってきやがった。
次に行った肉食動物コーナーには二つスタンプがあって、一つはライオンの檻の前、もう一つは爬虫類コーナーの中だった。顔が引き攣る俺に、遥は大丈夫だから待ってなよと言ってくれたものの、今日がとことん付き合う気でいたため行くことにした。入った瞬間に見えたのはトカゲ類で、目こそまるっとしていて可愛いがやはり独特のテカリがあって受け付けない。なるべく中を見ないようにしているが、遥が可愛いと言って動かないためもはや目を瞑るほかない。その後さらに奥に進むと水槽の中に亀がいた。これは普通に可愛い。
「亀って爬虫類なんだな」
「甲羅と鱗があると爬虫類に分類されるらしいよ」
「意外と動物に詳しいな遥って」
この間水族館に行ったときも遥は魚の他にも、ペンギン、シロクマ、その他哺乳類全般に詳しかった。
「やっぱ病院にいる時本読んでた?」
「んー…身内に、そっち方面に進んでる人がいてね。そいつがよく話してくれるから物知りになったってゆうか」
そいつ、という砕けた言葉に相手とは親しい関係なのが伺える。初めて聞いた遥の身内の話にもっと聞きたいという気持ちが湧くが、答えてくれるかが分からない。
「仲良いの?」
「……仲良いけど、たまに腹たつ」
「遥でも腹たつことあるんだ」
「僕を聖人君主だと思ってる?僕だって怒ることもあるよ。そいつ結構倫理的っていうか、正論で殴ってくるからイライラしちゃって。それができたら苦労しないって言うと、頑張る努力した?とか聞いてくるんだよね。あー思い出したらイライラしてきた」
思ったより話してくれたことが嬉しくて、普段聞くことのない遥の身内の話にうんうんと頷きながら聞き役に徹する。ルールのことを思い出したらまた喋らなくなってしまう可能性があるから決して口を挟まなかった。
「まぁ、うん、別に嫌いじゃないよ」
「そうなんだな」
「うん…………ってこれ、家族の話じゃん。自分でプライベートに干渉しないルール作っといて忘れてた」
「詮索してるわけじゃないしいいんじゃない?」
「あ、そうだね。じゃあいっか」
頷いた遥は、徹って聞き上手だからすぐ色々話しちゃうなと言った。聞き上手、なんだろうか。中学の時から、他の男子がするようにどの女子と付き合いたいやAVなどの話ができないせいで聞くことしかできなかったからかもしれない。可愛いとは思う、でも付き合いたいとは思わないしそもそも性的に興奮しない。いつだって見てしまうのは、男の鎖骨や首筋で…そう、たとえば遥みたいな
「徹?」
「っどうした?」
「なんか急に黙っちゃったからどうしたのかなって思って」
「なんでもない。蛇に鳥肌立っただけ」
目の前がたまたま蛇のいるガラス張りの檻だったため話を濁した。遥は笑い、本当に爬虫類苦手なんだねと笑ってその隣にあるスタンプ台に紙を置いた。
俺は今、何を思った?確かに遥の首は細く、鎖骨もしっかり浮き出ている。少し病的であるもののそれは綺麗だ。でも、それを俺は興奮するに含めようとした気がする。
俺が苦手と知っていながらわざと蛇のスタンプが押された紙を見せてくる遥は、性的なものとはかけ離れている。その無邪気な笑顔を見て、さっき思ったのは気のせいだと思うことにした。最近抜いたりしてないし…そのせいだ、と。じゃないと、俺は自分自身を殴り倒したくなってしまう。
「あとどこ行ってないっけ」
「…ペンギン、かな」
「ペンギン!朝は気押されちゃったけど今度は負けないぞ!」
何に勝とうとしてるんだと軽口を叩き、俺は重だるい思考を振り払った。
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