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8月12日 2

 観覧車はちょうど俺たちのゴンドラが一番上の時に、がこんと不気味な音を立てて緊急停止した。俺も遥も、そんなことより今起こったことを整理するので手一杯だった。  キス、した。  遥が急に顔を上げるから、俺が遥に近づきすぎたから。  フリーズした遥はまるでロボットのようにガチガチになりながら姿勢を戻し、触れ合った唇を自分の指で触った。俺も俺で、その遥の姿を見て口を手の甲で押さえて視線を逸らした。  キス、した。  雰囲気もなにもない、ただ唇が触れ合うだけの行為だった。本当に一瞬の出来事だった。それでも遥の唇の柔らかさを感じることは十二分にできてしまった。先ほどとは違う意味で気まずい空気が流れる中、ゴンドラのスピーカーから点検中であるという旨のアナウンスが流れる。その途端遥は息を吹き返したかのように顔面を赤面させた。 「あ、待って、や、今の……」 「キス…だな」 「ノーカン!」 「……は?」 「き、キスはもっとこう、ロマンチックな雰囲気でって決めてたのに…今のなし!ただの間違い!」  遥を睨んでしまった俺は、悪くないと思う。こっちだってファーストキスだったのに、それをロマンチックが足りないだなしにするだ間違いだなどと言われればこっちだって気が悪い。つまりロマンチックで、尚且つしっかりキスであればいいのだろう。  俺はゴンドラが傾くのも厭わず遥の隣に座った。遥は恥ずかしさからか尻でずりずりと端に逃げていく。それに伴い俺も近寄ると遥がまた逃げる。狭いゴンドラの中、そんなに逃げ場があるわけでもなく遥は簡単に壁際まで追い詰められた。そのまま俺は遥の両サイドに手を置いてさらに追い詰める。所謂、壁ドン。遥は視線をどこに向けるべきなのかとキョロキョロしている。 「遥、ルールで聞きたいことがあるんだけど」 「なん、ですか」 「キスって三回までだったよな。その数え方ってワンセット一回?それとも一回ずつ?」  遥は俺を見上げて何を言ってるの、という顔をした。そして、ワンセットと答えた。多分これはワンセットってなにっていう意味だったんだろうけど、俺は気にせず遥の顎に手をかけ再びキスをした。 「?!」 「ワンセットってことは、十回しても一回って計算でいいよな」  ようやく意味を理解したらしい遥は目を見開いて、ぶんぶんと首を振った。 「ち、違う!普通に一回ず、」 「今答えたからなしで」  聞きたかっただけなのにと言いそうな遥の口を塞ぐために、もう一度キスをする。遥がやめてと手を突き出してくるから窓に手を押さえつけて、もう一度。首を振って逃げようとするから、後頭部を押さえつけて、もう一度。身動き取れないこととを良いことに、もう一度。 「や」 「ちょっと静かにしてろ」  もう一度。  計六回、キスをした。その頃には遥は見たことがないほどに泣きそうな顔をしていて、手を離したらゴンドラであろうと逃げ出しそうだなと思ってしまった。そのまま遥を腕に仕舞い込むと、遥が小声で死ぬと呟き続けていることに気づいた。 「これは流石にノーカンにはしないよな」 「うるさいばか」 「あはは、可愛い」 「うるさいばか!」  どうにかして離れようとする遥を押さえつけていると、ゴンドラが先程と同じように音を立てて動き出した。その音にびっくりして俺が腕を緩めると、遥は俺が座っていた方の席にさっと逃げ出した。 「逃げた」 「ばか徹!ばーか!」  言葉の幼稚さに笑っていると、遥はさらに顔を真っ赤にして罵ってくる。それすらも可愛くて、もっと顔が見たくてそっちに行っていい?と聞いたが拒否されてしまった。  帰ってから電話をかけると、五回ほどコールした後に低い声で遥が出た。 『……はい』  ……めちゃくちゃ不機嫌じゃん。 「えっと、お疲れ様…?」 『ありがとう』 「体調は…」 『今ベッドで点滴つけれ寝かされてる。そこまでしなくて良いって言ってるのにあのヤブ医者』  遥がヤブ医者と呟いた時後ろからなんか言ったか!と男の声がした。  観覧車から降りた時ですら真っ赤だった顔は、帰る時には人ひとり殺せそうなほど凶悪な顔をしていて下手に刺激することができなかった。真っ赤になった理由は俺がキスしすぎたからだが、怖い顔をしていた理由は観覧車がもう直ぐ地上に着きそうな時くらいに遥の携帯に電話がかかってきたからだ。遥は着信の相手を見て至極当然といったふうに電話を切った。俺が驚いているとその後何度も電話がかかってくるため渋々遥は出たのだが、そこから聞こえるのは罵詈雑言。照れた遥の言葉なんて可愛いと感じるほど―実際めちゃくちゃ可愛い―恐ろしい言葉が電話から聞こえてきた。スピーカーにしてないにも関わらずその声量なのだから、耳に当てなかった遥はその相手にそんな電話をかけられ慣れているんだろう。どうやら遥は…今日も担当医に何処かに行くと説明していなかったらしい。家族の誰かから遥が出かけていることを知らされ、電話をかけてきたようだった。遥はうるさいと一言返し、また電話を切った。いいのかそれで…と呆然とする俺に遥は曖昧な笑みを浮かべて、ごめん、今日別で帰るね…と言った。流石に逃げられないと思ったらしい。 「まだ病院なのか?」  時間はすでに二十時を回っている。帰れないほど病状がよくないのかと心配していると遥はううん疲れて寝てたらこの時間になっちゃっただけと話してくれた。 「そっか…なにもないならいいんだけど」 『お昼ご飯の時びっくりさせちゃってごめんね。ほんとにただの飲み忘れだから』 「飲み忘れるなよ」 『ごめんって〜』  少し機嫌の戻ってきた遥の後ろで、バタバタと音がする。そして帰り際に聞いた男の声で、飲み忘れたなんて聞いてないぞあほんだら!と大声がした。 『言ってないし。  言ってないし、じゃないわ!少し時間がずれただけで処方変えなきゃなんだから申告せんかい阿呆!  うるさいな、先生僕今友達と喋ってるんだけど。  そのお友達が気づいてくれへんかったらとうにお前は天国行きやな!ちゃんと感謝しい!  だから声がうるさいんだって…。病院直行しただけでも偉いでしょ  それは当たり前やがな!』  先生は関西人なんだろうか。定期的に訛りが入った喋り方が聞こえてくる。  それよりも気になったのが、遥が俺のことを友達だと紹介したところだった。俺的には彼氏、恋人などと言われてゲイだなんだと言われるのが嫌なんだけど…なぜかモヤモヤする。遥も俺に気を遣ってそう言ってくれていることは理解できているのに。そもそもこれは恋人ごっこなのに。…俺が一方的に遥を想ってしまっているせいなのだろうか。 『ごめん徹、うるさかったよね』  先生との戦いから逃げたのか、電話越しに点滴スタンドと思われるカラカラという車輪の音が聞こえてくる。 「いや、大丈夫だよ。それより遥」 『なに?』  息を吸い込む。 「遥にとって俺は、友達?」 『………………え、』  こんなこと聞くのは卑怯だ。わざわざ遥が気にしてくれていることを掘り返すなんて。 「友達なの?」 『い、いやだって…でも、』 「恋人だよな」  電話の向こうでヒグ、と遥が息を呑む声が聞こえた。 『そ、そうです!そうですね!でも人前では友達って言うから!』 「うん」  なんとなく満足して頬が緩む。少し前の俺なら、男友達と一緒にいるだけでゲイだと言われるのが怖くてわざと女子とも話したりしていたのに、今ではバレるバレない関係なくただ遥が恋人だと言ってくれていることに安心できた。 「じゃあ、おやすみ遥」  今日はきっと遥も疲れているだろうから三十分程度で電話を着ることにする。でも明日からはもう、普通に話せるだろう。 『うん。おやすみ徹。今日もありがとう』  

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