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8月31日

 正直、今日は家から出たくないと思っていた。家から、部屋から出なければ、俺たちが別れることもない。そんな俺を見越してか、遥は昨日の電話できっちり、最初に会った公園に来てよねと俺に釘を刺してきた。そう言われると俺も行かざるを得ない。約束の時間は十七時。俺はノロノロと十六時半ごろに家着から着替えて家を出た。  祭りの後、遥は俺にありがとうと言って帰っていった。今日まで電話も続けていた。でもどこか二人とも頭の中でどこか冷静な部分があって長く電話をすることができなくなっていた。俺も遥も、この日が来るのを知っていた。最初の頃は離れたくて仕方がなかったのに、気づけばこんなに離れがたくなっていた。でもそれは、遥の望む道じゃない。  俺が来た時、すでに遥は公園で待っていた。…遥が手紙を俺の下駄箱に入れて当日待っていたあの時、遥はどんな気持ちでこの公園に来たんだろう。 いつも通り遥は俺に気づくと笑顔で駆け寄ってきた。この姿も、今日限り。 「徹!」 「ちゃんと来ただろ」 「うん、ありがとうね」  ちゃんと来たのに、来いって行ったのは遥なのに、なんでそんな泣きそうな顔するんだ。 「……」 「…」 「…あの、今まで」 「まった。そんなしみったれた終わり方嫌だ」  遥はきょとんとして、ふふと笑う。俺の言いたいことをわかってくれたようだった。俺は遥の泣きそうな顔なんかより、笑っている顔の方が好きだ。こんな日は余計に、笑っていてほしい。  遥が一度下を向いて深呼吸をし、再度上を向いたときには、泣きそうな笑顔はなりを潜めていた。 「……徹、一ヶ月間僕と一緒にいてくれてありがとう」  その言葉に嘘偽りはないと知っていても、遥はこの一か月間幸せだったか、と聞いてしまう。 「すっごく幸せだったよ。今まで行ったことのない場所にたくさん行けた。たくさん色んなことを経験できた。…恋人として誰かと一緒にすごすのってこんなに幸せなことなんだって、嬉しくて、楽しくて」 「うん」 「初めての映画、楽しかった。水族館でクラゲになるなって言ってくれたの、ほんとは泣きそうなくらい嬉しかった。動物園で可愛いって言われたのは恥ずかしかった。遊園地でキスできたの…すごく、幸せだった。風邪を引いて家に連れて行ってくれて、休ませてくれたの今でも感謝してる。美術館は行けなくて悔しかった。…僕のわがままを聞いて夏祭りに一緒に行ってくれたことは、僕の今までの人生の中でいちばんの思い出」  風が吹いて、遥の髪が揺れる。ふんわりとした髪が風に靡いて、顔が顕になる。 「本当にありがとう。僕、もう悔いはないよ」  笑っている遥が綺麗で、泣いている遥があまりにも辛そうで。俺はその顔を隠すように遥を抱きしめた。こんな時なのに、言葉が出ない。抱きしめた遥はやはり痩せていて、それが死ぬという事実に直結しているようで余計につらくなる。本当につらいのは遥の方なのに。  遥は俺の腕の中でモゾモゾと動き、俺の背中に手を添えてきた。 「徹なら、きっと幸せになれるよ」 「そこにお前がいないと意味ないだろ…っ」 「僕は徹のおかげでもう十分幸せになったよ。だから今度は徹の番」 「俺だって、この一ヶ月幸せだった!」 「…そっか、そうだとしたら僕も嬉しい」 「……なんで死ぬんだよ」 「あはは、ごめんね」  ゆっくり遥を腕から離すと、遥は俯いて手の甲を掻いていた。最後までこの癖の意味はわからなかったけど、そんなことどうでも良くなるくらい遥が好きだった。ずっと一緒にいたい、最後まで幸せにしてやりたい、このまま二人で生きていきたい。なんで最初に好きになったやつが、いなくなってしまうんだろう。初恋は実らない、なんて言葉を作ったやつを恨みたくなった。  俺が泣きたいのを抑えていると、遥は涙を拭きながら笑いかけてきた。 「徹の貸してくれた本、持っててもいいかな」 「全然いい、返さなくていい…」 「ありがとう。あれ、最後まで読みたくて…」  俺は何度も頷いて遥から一歩下がった。もう、時間だろう。きっと遥はここに来るのも先生に秘密にしてきたに違いない。もう、お別れの時間だ。 「…またね、徹」 「またな、遥」  まるで明日からも変わらぬ日常を送るかのように挨拶をして、公園を後にした。  俺たちは最後まで、お互いに好きだと伝えることはなかった。    

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