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10月17日

『明日の十時に、もう一度ここの公園集合してください』 『その時に色々話したいことがあるので。連絡はそのメッセージアプリにお願いします』 『遥のことかって?それはその時話ますよ』 『安心してください。別に悪いようにはしません』  遥と名乗った少年は呆然とする俺を公園に残してさっさと帰って行った。何もかも、わからなかった。確かにあの少年は目黒遥と名乗った。本当に遥なのか?まさか、そんなわけが。交換した連絡先にはしっかり目黒遥と書かれていて、今や俺のトーク欄には遥が二人並んでいた。一つはクラゲの写真の遥、もう一つは犬の写真の遥。連絡先を交換したことで二人が別人だと言うことはしっかりわかった。名前が一緒で、見た目も一緒。なのに存在しているのは二人。記憶喪失なのかもしれないと一瞬疑った。でももし記憶喪失だとして、この短期間にこんなに簡単に世間に馴染めるのだろうか。この一ヶ月、いや、二ヶ月で、社会の仕組みを知り買い物の仕方を覚え、普通に生活することは、できない気がする。そもそも記憶がどこまで消えているかにもよるが…。  結局結論が出ぬまま朝になり、俺は逸る気持ちを抑えて中学校の前を横切った。ちょうど土曜日なこともあって、学校辺りは静かだった。  今日は、遥と初めてデートした時と違って曇り空だった。  そんなことを思い出して、またいつかの日のように、行きたい気持ちと行きたくない気持ちが交差した。どんな話をされるのかも聞かされていないせいもあって、本当に心臓が痛くなる。遥のこと、遥と名乗る少年のこと、遥の今の状況。何を聞かされても覚悟するつもりでいるし、逆に何を聞かされても落胆する気持ちしかない。  そんな矛盾する気持ちのまま公園に着けば、既に今までのように遥の見た目をした遥がベンチに座って待っていて泣きそうになった。違うとわかっていても、まるで生きているような気がして嬉しくなる。そんな気持ちのまま遥に近づくと、気づいた遥は顔を上げて、顰めっ面をした。 「…その緩んだ顔、やめてくれません?俺はあなたの知る遥じゃありません」 「あ、すみません」  だいぶ嫌そうな顔をされたが、遥はまあいいですと言って一応許してくれた。それからだるそうに首を掻いて再度俺を見てきた。 「まず、初めに言っておきます。これから起こることはあなたの望んだことではありません。」 「……わかりました」  その言い方的に…やはり遥はもういないんだろう。今にも公園の地面に膝をついてしまいたい衝動をどうにか堪えて、とりあえず話を聞こうとベンチに座ったところで、遥が立った。 「え?」 「…何してるんですか、行きますよ」 「いや、だって昨日話したいことがあるって」 「そうでしたっけ。まぁいいです。とりあえず連れていきたいとこがあるんで着いてきてください」  そう言うと、遥は昨日と同じくさっさと公園を出て行った。この雑さ、絶対遥じゃない。そう思いつつ俺も公園を出た。  すぐに追いつくと、遥は俺の方をチラリと見上げすぐに視線を真正面に戻した。会話はない。あの遥なら、俺の方を見ながら楽しそうに今日は何をしよう、どこで何を食べようと楽しそうに話してくるのに。  すると俺の気持ちが伝わってしまったのか、遥は止まって俺の方を睨んできた。 「うざい」 「なっ」 「女々しい男は嫌われますよ。あと敬語じゃなくていいです。俺は誰にでもこうなのでお気になさらず」  俺が固まって口をぽかんと開ける中、遥はまた颯爽と歩き出してしまった。俺もまた、追いかけるようにして遥の隣に着く。 「じゃあ敬語外すけど…なんか話してくれても良くない?お前らどういう関係なの」 「まぁ、見たらわかります」  サラッと言われてしまい、なんで見たらわかるなんて言葉が出るのかという疑問だけが残った。こういう秘密主義なところは遥そっくりだと思う。  歩きながら遥を上から見下ろす。よく見れば、目元が違う。遥は涙黒子が右にあったのに対し、隣にいる雑な遥は左についている。それに、遥はふんわりとした髪質だが、この憎まれ口をよく叩く遥はストレートヘアーだ。昨日は夜になっていたせいで気づかなかったが…じゃあ、俺の知っている遥は…一体誰なんだろう。  その後、昨日買い忘れたものがあったから薬局に寄るという遥に着いて行き、再び順路に戻った。何を買ったのかと問えば、ただの冷感シートだと言う。家族に誰か体調の悪い人でもいるのだろうか。  そうこうしているうちに、遥は赤い屋根が特徴的な家の前で止まると、勝手知ったる家というふうに門を開け入っていった。俺が入っていいのか悩んでいると、早くきてくださいと冷たく言われてしまい仕方なく門の中に入った。そのまま促されるまま玄関に入ると、引っ越しの前後どちらなのかはわからないが、ホール段ボール積み重ねられていて少し散らかっていた。入ってすぐの右側に階段があり、左にドアが一つ、奥にドアが二つあった。階段の下にも一つあるように見える。でも掃除は行き届いていて、靴箱の上は埃ひとつなかった。遥は上がってくださいと言って先に左のドアに入って行った。同じように部屋に入ると、そこは玄関同様ダンボールだらけになったリビングらしき場所だった。リビングだとわかったのは、テレビとテーブルがまだあったからだ。  キッチンも箱のせいで雑然としている。遥はキッチンに入ると少し大きめの冷蔵庫から茶を取り出し、食器棚からとったコップ二つに注いだ。コップをお盆に乗せ器用に段ボールの海を掻い潜ると、立ったままの俺を見て適当に座ってくださいと言った。 「散らかっててすみません」 「大丈夫」  恐る恐るとテーブルの前に座ると、遥も俺の対面に座った。お茶が目の前に出される。どうぞと手で促され口に含むと、意外にも喉が渇いていたらしくすべて飲み切った。それから言ってなかったことを思い出し、お邪魔しますと頭を下げた。 「もうお邪魔してますけどね」 「どうもすみません」  毎回、一言多い。少しイラッとするが、実際その通りだから何も言えない。  俺は若干のむかつきを無視して居住いを正した。 「それで、今日ここに呼んだ理由は…」 「はい。まず初めに、あなたの知ってる遥と俺の関係のことですが…言わないように言われてます」  やっぱり、と思った。この調子だと多分、先生の方にも言っているんだろう。 「…あなたは、俺と遥の関係をなんだと思っていますか」  核心のついた質問に、俺は朝起きてから思いついた答えを口にした。 「二重人か、」 「バカにも程がある」  遮るように言われてしまいなんとも言えない気分になる。そりゃ俺だってありえないと思っている。でもそれ以外は考えが出てこなくて…。  遥はテーブルに肘をつき、片手で頭を抱えた。 「はぁ、期待した俺がバカだったのかな」 「悪かったな」 「どこまで気づいてます?」 「よく見たらホクロの位置も違うし、髪質も違う。口調も違うし、性格も違うみたいだ。ここまで違うならもう別じ、ん…」  口に出してから気づいた。  そうだ、よく考えたらわかることだ。これだけ似ていているんだから、どうして兄弟という考えを持たなかったのか。  ハッとした俺の顔を見て遥はようやく気づいたかという表情を浮かべた。 「…双子」 「正解。僕は弟の方です」  双子だとして、じゃあなんで“遥“は弟のふりをして俺に近づいたのか。もし俺に会いに来るならそのままの名前を使えばいい。わざわざ本名を使わなかった理由はなんなのか。それにもうひとつわからない点がある。遥がここにくる途中で言った“見ればわかる”という言葉。あの言葉の真意もまだ理解できていない。  疑問がさらに深まったところで、遥は答え合わせをするように口を開き――それを遮るように、リビングのドアが開いた。   「遥、帰ってきた?冷感シート買いに行かせてごめんね」    懐かしい、声だった。そうだ、いくら似ているからって間違えることなんてあり得ないのに。一ヶ月間、夏休みの間中ずっと聞いていた、もう一度聞きたいと焦がれていたこの声。  これは、確かに、遥の声だ。  なんの疑いもなく部屋に入ってきた人物は額に冷えピタを貼っていて、遥がドラッグストアで買っていた冷感シートは彼のためだったのだと理解した。携帯で何かを見ながら歩いてきて、そのせいで俺がリビングにいることに気づかなかったんだろう、ゆっくり顔をあげて、 「……は、」  俺がいるのを認識して固まった。記憶の中の遥と、全く同じだった。髪型も、顔、背丈も。もう間違えることはない。  彼の方は俺の方を凝視して、完全に意識を飛ばしている。  対面に座っている遥をチラリと見れば、遥は肩をまあいいかというふうに竦めた。 「話す手間が省けました」  遥はドアの手前で固まっているもう一人の“遥”を指差す。 「俺は、目黒遥。あっちは俺の双子の兄、目黒旭です」  ひぐ、と喉の奥の方で声がでる。目黒、旭。呼ばれた“遥”はゆっくり首を振って、徐々に後退をしていく。  見ればわかるって、こういうことだったんだと、ようやく理解した。  もし死んでいるなら、見せるも何もない。わざわざ遺影を見せるなんて、昨日から何かと親切な鬼畜な所業を流石に遥がするわけがない。  前に遥が話していた、正論ばかりぶつけてくる身内がいると。さっきの話し方的にも、目の前に座っている遥がそうなんだろう。それに動物の専門学校にも通っていると言っていた。だからメッセージのプロフィール画像が犬だったんだ。家なのに犬がいないことに気づけなかったのは、遥のことばかり考えていたからだ。  全てに、合点がいった。  死んでいないし、生きている。名前も違うし、住んでいるところも偽られていた。電車に乗っていたのは、家を特定されないためだったんだろう。  どこからどこまでが嘘で、真実なのか。もはやこれが本当に“遥”なのかも信じられず疑いの目を向けてしまう。 「はる、か…?」  試しに俺が名前を呼んだ瞬間、“遥”はカシャンと手にしていた携帯を床に落とした。…その携帯には動物園のスタンプラリーの景品のアルパカが着いていた。…あぁ、“遥“だ。そう確信した瞬間、疑念は喜びにすり変わる。 「遥」 「な、なんで…」 「遥だよな」 「待って、ねぇ、どうして……」 「俺も、いろいろ聞きたいよ」 「っ遥、なんで連れて来たの?!」  “遥“は俺の隣にいる遥を鋭く糾弾した。“遥”が弟を鋭く糾弾したことで、本当に名前が違うということが事実になる。なぜそこまでして隠したかったんだろう、あの数ヶ月“遥”はどういう思いで過ごしたんだろう。  遥はため息をついて、癇癪を起こしそうな遥を宥めるよう精一杯静かな声を出す。 「旭、一旦この人の話を聞こう?ここまで来てくれたんだよ」 「話すことなんてない!僕は徹を騙してた、ただそれだけだよっ」 「ねぇ意地張ってないでさ、」 「うるさい!!」 「遥」  俺が呼ぶと、“遥”は息を止めて恐る恐るこちらを見てきた。その姿を見て遥はおお、朝比奈さんの言うことなら聞くんですねと言った。遥は気まずそうに目を逸らすと、右手で左手を引き寄せた。これは“遥”が気まずい時にする癖だ。確かに、俺の知っている“遥”だった。 「生きてるん、だな」 「…………」 「体調は、大丈夫か?って言っても、どこまでが演技かなんてわかんねぇけど」 「……」 「俺は、遥に伝えたいことがあって、結構探しててさ」 「…………知ってる」  え?と問えば、探されてること知っていたと言った。じゃあ、“遥“はわざと俺たちから逃げ回っていたことになる。どうしてそこまでして隠れようとしていたのか…答えは、単純なものだろう。 「俺に、会いたくなかった?」 「っ、…そうだよ、僕はとお…朝比奈くんを騙していた。それなのに会うと思う?いや、そもそも騙してなんかいない。体が弱い、余命は三ヶ月、死んだら何も残らない…そうでも言わないと、付き合ってくれなかったでしょ。全部演技だったのに、終わったあと会おうと思う?僕の欲しかったのは期間限定の恋人であって、僕のことを探し回っている朝比奈くんじゃない。僕のことを好きな朝比奈くんは、…邪魔だった」  俺の気持ちは、わかっていたんだ。それなのに“遥“は俺と別れて、逃げて、引っ越しまでしようとしていたのか。  “遥“はずっと手の甲を指で引っ掻いていて、それは真っ赤な傷跡になってしまっていた。あの癖の意味は、なんなんだろうか。ただ、話すときに引っ掻くだけの癖なのだろうか。  そんなことは、もうどうでもいい。“遥“は俺を、最初から欺くつもりだったんだ。どうしてそうしようと思ったのか、理由はどうであれ、俺はただただ虚空を見つめることしかできなかった。 「僕は…、朝比奈くんを、好きじゃない」  がり。“遥”の手の甲から血が流れ出す。  名前を呼んで照れた時も、楽しいと笑った時も、血を吐いて倒れた時も、話してくれないのは悲しいと言った時も、キスをした時も、全部嘘だったのか。全部、全部、虚言。  俺の一方通行だった?“遥”も、俺のことが好きだろうと思ったのは自惚れだった?本当は何も思っていなかった?幸せなんて感じていなかった?嘘?どれが?どこから、どこまでが?  わからない。  言ってはいけないことを口走りそうになった時、タイミングよく遥が遮ってきた。 「…なんか修羅場になってますけど。俺いること忘れてません?」 「遥のせいでしょ。なんで連れてきたのかは知らないけど…やめてよね」 「朝比奈さん」  俺が無言で遥の方を向けば、遥はうわひどい顔と俺を笑い飛ばした。 「ひとつ、俺がいいこと教えてあげますよ」 「…何」 「旭ってね、嘘をつく時に癖があるんです。本人が気づいてないし俺も今まで指摘してこなかったんで、わかってないと思いますよ」  それがなんだ、と言いかけて、“遥“の方を見た。“遥“はいまだに手の甲を強く掻いていて、痛々しい。 「…僕、出かけるから」 「え、待って待って」  とにかく俺と居たくないらしい“遥“は踵を返してリビングから出て行った。遥も後を追ってリビングから出ていく。  誰もいなくなったおかげで、物思いに耽ることができた。  遥の癖、あれはどういう時に出ていたっけ。  初めはそう、名前を読んだ時。今まで遥と呼んだことがなくて、嬉しいと言っていたんだっけ。その時のせいで遥の照れている時の癖だって思ったんだ。  それから次は、遊園地に行った時。あの時“遥“は来たことがなんだから楽しめ、という言葉に反応して嬉しそうにしながら手を引っ掻いていた。  それから、鼻緒。祭りで鼻緒は痛くないか俺がと聞いた時、“遥“は大丈夫と言っていた。  後は、さっきの…。  これらには、遊園地の時を除いてひとつの共通点がある。もしそれが本当なら、俺はもう一度“遥“に会わなければならない。  俺が立ち上がると、玄関のほうにいた遥がリビングに顔をだした。 「すみません朝比奈さん!旭を追ってくれませんか、もうすぐ雨が降るのに出て行ってしまって」  気まずいのにすみませんと謝られて俺はいい、と短く返した。気づけば外はかなりの土砂降りで、“遥“が出て行ってからどれくらい時間が経っているのかは、濡れているのは確実だろうと予想する。玄関で急いで靴を履いていると、最後に聞くことがあったんだと遥を振り返った。 「遥、…あいつって遊園地行ったことある?」  その質問で全てを察したらしい彼は、“遥“と似た意地悪そうな顔をして笑った。 「ありますよ。小学校の頃に、一度だけ。倒れて帰ってきましたけど」  やっぱり。俺はありがとうと言って、玄関の戸を開けてすぐに走り出した。  旭を見つけるために。  もし俺の考えが正しければ、旭の手の甲を掻く癖は嘘をついている時だ。  最初は名前を呼んだ時。本当の名前は旭なのに、遥と呼ばれて嬉しいなんてそんなわけがなかったんだ。  次に遊園地に行った時。行ったことがないと言っていたが、遥の話の通りなら昔行ったことがあるんだろう。無茶をしたのか、その結果、旭は倒れた。もしそれを俺に言った場合、行かないという選択肢を取られてしまうかもしれない。それを恐れた遥は俺に行ったことがないという嘘をついた。  そして次に、鼻緒。痛くないと答えていた遥だったが、結局鼻緒のせいで靴擦れし、足の指には血が滲んでいた。きっと痛くて仕方なかっただろう。  これらの嘘を踏まえて、最後。遥は自分の手の甲を、血が出るほど強く掻いていた。俺のことを、好きじゃないと言った後に。  自惚れて、いいんだろうか。自惚れた結果、旭に告白しようとして打ちのめされた。だからまだ少し怖い。でも、俺の知っている“遥“は…旭は、理由もなく俺を騙す奴じゃなかった。だから最後にもう一度だけ信じてみようと思った。  旭に行くあてはあるのだろうか。俺は傘を持ったまま、昨日のようにまた近辺を探し回った。  旭、伝えたいことがあるんだ。頼むから、また海月のように消えないでくれ。  走り回っている時に、遥になんて伝えたいんだって言われてなんて答えたのかを思い出した。  ――海月でいいから、そばにいて欲しい。絶対俺が見つけるから  たとえ旭が海月になろうと、俺は旭を手放したくないと思った。一瞬でも裏切られた気持ちになったのが恥ずかしい。俺はどんな姿形であろうと、旭を愛すると決めたのに。 「旭!」  ようやく見つけることができた旭はずぶ濡れで道路を歩いていた。振り返り、呼んだのが俺だと気づいた瞬間、俺を睨め付けてきた。 「何の用?」 「風邪引くだろ、傘持ってきたから帰ろう」  傘を差し出せば、更に鋭く睨まれる。 「…まさか僕を怒るために連れて帰るの?朝比奈くんって変なとこに労力使うんだね」  ぎゅっと握られる左手の拳は、真っ赤になって痛々しい。手当てもしないと、そう思いながら一歩を踏み込めば、遥は来ないでと叫んだ。 「僕は嘘つきなの!朝比奈くんを騙して、好きみたいに振る舞って、好きじゃないのにキスまでした極悪人なんだ!お願いだから放っておいて…っ」  悲痛な旭の叫び。旭にも、理由があるのはわかっている。バカな俺じゃわからないような、重い気持ちがあるんだろう。だから俺は嫌がる旭に近づいて、胸に抱き寄せた。暖かいはずの旭の体はすでに冷え切っていて、たとえ体が弱いのが嘘であったとしてもよくないと思い、俺の上着を頭からかけた。  それでも旭は観念しきれないのか、腕の中で暴れた。 「ばか、離して、やだ、嫌い、朝比奈くんなんか嫌い!」 「嫌いでいいよ」 「なん、」 「嫌いでいい。それでも俺は」  一呼吸おいて、旭の頬を両手で包み込んで顔を上げさせた。傘が地面に落ちる。 「それでも俺は、旭が好きだ」 「……なんで、そんなこと言うの。ぼく、僕、いっぱい朝比奈くんに嘘ついて、」 「どうでもいい」  旭の顔に驚愕の表情が浮かぶ。 「旭が、遥であろうと、嘘つきであろうと、海月だろうと…俺は、旭が好きだよ」 「…………」  長い沈黙だった。先に沈黙を破ったのは旭だった。俺がそっと両手を下ろすと、旭はカクン、と首を落として、そしてそのまま嘘だったのと呟いた。そして誰に聞かせるわけでもなく話し続ける。 「さっき言ったこと、全部、嘘」 「……うん」 「体、弱いんだ。余命宣告受けるほどじゃないけど、それでもずっと病院にいたのは本当。死ぬのは嘘、でも来月ある手術をしないと死ぬ。助かる手立てがないわけじゃない」 「そうなんだ…よかった」  俺は胸を撫で下ろし、心の底からよかったと息を吐いた。旭は顔を上げないまま続ける。 「ずっとこの辺りに住んでる。電車乗ってたのはカモフラージュ。名前は…遥みたいに強くなりたかったから。だから偽った」  それは多分、性格も、体も、どっちもなんだろう。  旭は生まれつき体弱いと前に言っていた。だからこそ、遥になりたいと望み、遥の名前を借りたんだ。 「…あとは、無い?」 「ある」  ぱっと顔を上げた旭は目を真っ赤に染めていて、濡れた頬が雨か涙か分からなくても泣いていることがわかった。 「ぼくは、朝比奈くんのことが」 「もう、徹って呼んでくれないのか?」 「っ徹のことが好き!」  そう言って、旭は俺に抱きつく。俺はそれを強く抱き止めた。耳元で、旭の啜り泣く声が聞こえた。  もう離さない。 「俺も好きだよ、旭。死なないでくれてありがとう」    

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