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邂逅
昔から体が弱くて、どこにも行けない、なにもできない人生だった。
小さい頃から病院暮らしで、十七歳になれば手術できると言われて、本当かどうかもわからず延命治療だけを受けさせられて。生きているのが楽しいかと問われれば、僕は正直に楽しくないと答えることができるだろう。
このまま終わるんだと思っていた。
あの日電車に乗るまでは。
その日は珍しく遥が体調悪くて、僕は一人で病院に行くことになっていた。タクシーを使えと言われていたものの、意地を張った僕は電車で行くことを強行。そして当たり前と言うべきか、気分が悪くなった。その上、なんて運の悪いことか痴漢された。
電車に酔ったのだろう、今にも吐きそうで動けなかったのに、それに加えて痴漢への恐怖で動けなくて。僕は男、相手も男。その時は男が男に欲情するなんてこと知らなくてただ怖かった。いっそのこと倒れてしまおうか、そうしたら病院に自動的に運ばれるよな…そんな考えをして本気でそれを考え始めた頃、肩を抱かれてそのまま位置を動かされた。そして小さい声で、大丈夫だよと囁かれた。少し顔を上げれば髪を綺麗な金色に染めた男の人が僕を痴漢魔から逃がしてくれていた。痴漢魔は彼に見つかったことですぐに僕の体から手を引いていた。震える唇でありがとうと言ったが、訪れた安堵のせいでちゃんと言えていたかは怪しい。痴漢魔は次の駅で降りていき、僕自身も次の駅で降りた。これ以上乗っていられる自信がなかったからだ。男の人も同じ駅で降りてくれて、ホームで改めてお礼を言った。学生服に身を包んだその人は逃がしてよかったの?と聞いてきた。電車の中で痴漢魔を捕まえようとする彼を止めたのは僕だ。これ以上関わりたくなかったし、捕まえたところで男だけど痴漢されましたって言うのが恥ずかしかったから。
彼は、そう、じゃあ気をつけてって言って次の電車に乗って去っていった。わざわざ自分のために降りなくていい駅を降りてくれていたんだと気づく。単純な話、彼が好きになってしまった。自分の、自分だけのヒーロー。
中学三年生、卒業の一ヶ月前のことだった。
その後彼が自分の家の近くの学校に通っていて家も僕の家からすると一駅違いと分かった時はどれだけ歓喜したことか。たまに学校の近くに行っては彼が出てくるのを見ていた。ストーカーさながらの行為に遥に呆れられて、担当医には怒られた。その時期は特に体がしんどい時期で外に出るのを許されてなかったから。死にはしないと散々言われているけど、これだけボロボロになっているのにどうして死なないんだろうと思ったこともある。何はともあれ、彼の名前が朝比奈徹で、髪を染めている理由は人を寄せつけないためだと知ってしまった程度にはストーカー行為をした。
そうこうしてるうちに彼を好きになってから一年が経ち僕は高校2年生になってしまった。自分でも怖いと思う。彼は中学の頃から比べて結構遠いところに通ってしまったせいであまり追っかけができなくなってしまった。たまに遥や先生の目を盗んでは電車に乗って彼の学校近くのカフェに行く程度。電車だって頻繁に乗れるような体力はないし、そもそも電車って結構高いからたくさん行くことはできない。
でも彼の姿を見かけるたびにすごく心がドキドキするし、行って損はないっていつも思っている。
転機が訪れたのは、彼を見かけた後に入ったファストフードショップでのこと。本当は食べちゃいけないけど美味しいものには勝てない。隣の席から女子数人の笑い声が聞こえてきた。僕は人の話す声が好きで、それこそいわゆる女性特有の甲高い笑い声でもあまり気にせず物を食べることができるほどだった。流石に大勢で集まられると頭痛くなるけど。
そんな彼女たちの会話に朝比奈徹という単語が出たのは驚きだった。
「ミキ、やっぱ朝比奈くんに振られたんでしょ」
「そう!振られた!」
「はい残念でした。私の勝ち〜」
「なんで徹くんってあんなガード強いの?ありえない」
「なんでだろ…別に彼女いるとかじゃないもんね」
朝比奈くんに…彼女。背筋がピン!と伸びてしまう。もし彼に彼女がいるとしたら…僕、生きていけない。今更追っかけやめるなんて無理だよ。
「うん、聞いたことない」
ほっと胸を撫で下ろす。
「でもあれだけイケメンなのに女子からの告白全部断ってるでしょ。…だからゲイじゃないかって噂されちゃってるらしいよぉ」
「えー!まじ?!」
「まぁでも個人の趣味嗜好に口出しする権利まではないもんね」
「それはそう。ああー、早くゲイだって公言してくれないかな。そしたら私たちだってさっさと諦めつくのにさ」
僕は彼女たちの綺麗に揃った賛同の声を後ろ手に、店を出た。
家に帰ってからはぼんやりと、小さい頃にもらった犬のぬいぐるみを抱えて横になっていた。
朝比奈くんが、ゲイかもしれない。
もしそれなら、と絶対に叶わない夢のような想像をしてみる。
二人で僕の好きな珈琲店に行って、映画を見る。どんな映画だって彼と居れば面白いだろう。水族館に行って、動物園にも行きたい。動物のショーなんてほとんど見たことがないから絶対に楽しいはずだ。美術館もいいなって思う。いろんな、なにが描かれているのかわからない絵を見て二人で考察するんだ。バカみたいに。それから、それからそう…一番行きたいのは――。
そんな幻想は、水色のカーテンが揺らめく窓の外から聞こえる救急車の音によって掻き消されてしまった。夢を見ていないで現実を見ろ、そんなことをすればお前の体はすぐ布切れのようにボロボロになって使い物にならなくなるぞ、と言われてる気分だった。
それはそうだ。朝比奈くんがゲイだったとしても僕を受け入れてくれる可能性なんてないんだから。今までずっと見てました、と見ず知らずの人間から言われるのは怖いに決まっている。それに、この体を受け入れてくれることなんてさらにありえなんだから…。
現実に引き戻された部屋は暗く、いつの間にか夕暮れ時になっていたことに気づいた。妄想も大概にしないと。かなり時間が経ってしまったようだった。
コンコンとドアを叩く音がする。返事をすれば僕と同じ顔をした双子の弟が薄茶色のドアから顔を出した。
「旭、ご飯…って何してるの。電気つけなよ」
「あ、ちょっとうとうとしてて…」
「また妄想でもしてたんだろ」
ご明察、とは言いたくなかったからうるさいと一言苦言を呈して部屋を出た。
僕の弟、目黒遥。僕たちは一卵性双生児で、顔も声もそっくり。昔からよく間違えられたし、この年になると服の好みもだいぶ違ってきているからそんなに間違えられる回数は減ったけど、多分入れ替わったら親ですらわからない。それくらい俺と遥は似ていた。違いがあるとすれば、目元のほくろと性格くらいだ。遥は冷静沈着な性格で、妄想がちな僕とは大違い。
体のことについて、遥にも苦労をかけていることは重々承知だ。僕は昔から体が弱くて、何をするにも優先されてきた。両親にいっぱい話したいことだってあっただろうに、僕が弱いばっかりに遥には我慢を強いてきた。だからこそ、今はなるべく大人しく、静かに、迷惑がかからないようにしてあげたかった。
遥がドアを開けてくれているからそのまま礼を言いながら出て階段を下りる。
「夜ご飯なんだろ」
「その前に父さんから話あるって」
「え、何それこわ…成績は問題ないはず。なんだろ」
「そこで成績のことが思い浮かぶ時点で、旭は成績あげるべきなんだと思うよ」
階段の中腹あたりでムッとして遥の後頭部をこづいた。最近、特に生意気。僕が兄ってこと忘れてそう。そりゃ、兄としての威厳はないかもしれないけどさ。
テレビの音がするリビングに入れば、母さんと父さんがダイニングテーブルに座って僕たちを待っていた。夕飯はコロッケとエビフライみたい。あまり油物を食べられないせいで僕の分は少ないけど、好きな料理であることは確かなので嬉しい。
昔からこの家にある色褪せた椅子を引いて座れば、右隣に遥も座った。これは定位置。
早速ご飯を食べようと箸を持ち上げると、父さんが少し待ちなさい、と僕に言ってきた。そうだった。話があるんだった。こんなことをしているから遥に鳥頭とからかわれるんだ。
箸を置くと、父さんは僕と遥の目を交互に見ながら口を開いた。
「旭、遥。重要な話がある」
「うん、なに」
「お腹すいたんだけど」
「すぐ終わるから聞きなさい遥。…4か月後に、海外に行く」
「……え」
聞き間違いかと思った。本当に耳がおかしくなったのかと。4か月後ってことは、十月?海外?なんで?いや、それよりも…朝比奈くんを見れなくなるかもしれないという不安が、頭の中の大部分だった。目の前がぐるぐるしてると、見かねた遥がなんで海外なの、と聞いてくれた。僕の弟は本当にこういう時心強い。
「言ってなかったかしら。旭の手術は海外でしかできないからいつか行くことになるって」
「あー、そういえばそんなこと言ってたね」
遥は納得したように頷いた。僕はというと…嘘だろ、ってまるで裏切られたかのような気持ちになった。今までこの体とは存外うまく共生してきたつもりだった。どんなに体が弱くても、自分の体なんだから恨んじゃいけない、と。そうして生きてきたのに、最終的にはこの仕打ち。いや、治る可能性に関しては今後の生活においては十分嬉しい。でも、今じゃない、今じゃないんだ。せっかく好きな人ができて、体調のことをあまり考えず今までの人生の中で一番青春してるのに、どうしてこの時期に…。
言い表せないほどの不満に、思わず、伸ばせないの、と言ってしまった。伸ばしたところで、彼から離れなければいけない事実には変わりないのに。
「何言ってるの旭。伸ばすなんてできないわ。術はとても難しくて、たくさんのお医者さんの手が必要になるの。中止なんてしたら次いつ手術できるかわからないのよ?手術した後はこれまでみたいに我慢しなくてよくなるの。好きなことをして好きなようにでかけられるわ」
「わかって、るよ。わかってる…」
「なにか問題でもあるのか」
「……なんでもない。ただ、急だったからびっくりしちゃっただけ」
手術が終わったら、また彼を見に行けばいい、なんてそんな安易な考え方はできない。手術の後は、経験上五~六ヶ月はリハビリが必要になる。一年帰れない可能性だってある。それだけ帰れなかったら、朝比奈くんがどうなっているかわからない。引っ越しているかもしれないし、受検が終わって電車をもう使わない可能性だってある。もしかしたら恋人ができているかもしれない。自分で告白勇気なんてないから彼に恋人ができても口を出す権利はないけど、それでも自分のいないところで彼が誰かと付き合うのは嫌だった。
遥は僕をちらりと一瞥した後、ご飯を食べ始める。僕もこれ以上親に心配をかけない、というより詮索されないために箸を持ってエビフライを一尾咥えた。
その日食べたご飯は、入院中に食べるご飯より味がしなかった。
そうしてこの1ヵ月、僕はどうしたらそばにいられるかを考えた。そして思いついたのが嫌われること前提の仮恋人だった。朝比奈くんには悪いけど、少し脅す形になると思う。まず彼にゲイだということで脅しをかけて来てもらい、そのあと余命宣告を受けたということで同情を誘い付き合ってもらう。もしそれがだめなら、またゲイのことをちらつかせて…。
ちゃんとルールも作った。それでなくても彼には迷惑をかけるんだから、なるべく負担のかからないように前提条件を付けた。
完璧に見える作戦にはたくさんの問題点がある。例えば、朝比奈くんがゲイじゃなかったらそもそも来てくれないし、別にばらされてもいいと思っているなら応じてもくれないだろう。それに、いくら僕が余命宣告されていると言ったって、自分を脅してくるような相手と疑似恋人関係になってくれるのかどうか…。
不安はたくさんある。でも、もし彼が今回の関係を甘んじて受け入れてくれるなら、彼の追っかけ、もとい、ストーカーをやめようと思う。関わるのもこれっきりにするから、どうか今回だけは許してほしい。そう言うつもりだ。僕自身も海外に行くことになるし、関わることもなくなるだろうから。
そして作戦は実行された。彼の学校は知っていたため、通っている生徒に朝比奈くんの下駄箱に手紙を入れ欲しいとお願いし、後は待つだけ。七月二十一日まで生きた心地がしなかった。彼が本当に来てくれるのか、僕の要望に応えてくれるのか。一時間前に着いてしまった公園で、僕は祈るように手を組むのだった。
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