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02.
「――おいナギ、起きろ! 遅刻すんぞ」
ノックを省略してドアを開け、遠慮なく部屋の中へ踏み込めば、ベッドの上のこんもりとした布団の山がもぞもぞと動いた。しかし、大きなミノムシは頭を出す気配すらない。
俺はスクールバックを床に置いて、手始めに遮光カーテンを開いた。まばゆい朝陽がさんさんと部屋に射し込む。
布団ミノムシは「うう……」と呻 いてベッドの壁際へと転がった。こいつは光を当てた程度では起きてくれない。
「朝練ないからって俺が来るまで寝てんじゃねぇ、よ!」
次に、布団を無理やり引き剥 がす。
中からゴロンと出てきたのは、広い背中を丸めて膝を抱えた大男だ。シングルベッドで足を伸ばすとはみ出してしまうせいか、おかしな姿勢で寝る癖がついている。
「う、まぶしい……さむい」
ぐずるように枕を抱えて再び眠ろうとしたので、俺は枕もサッと奪い取った。
「もう六月だぞ。寒いわけあるか」
布団を畳んで枕と一緒にベッドの端に置く。そうしているうちにナギはようやく身体を起こした。
「おはよー……ちゃん」
「挨拶で横着 すんな。ほら、さっさと着替えて顔洗ってこい」
寝ぼけ眼 を擦っているナギをベッドから引きずり下ろし、アイロンのかかったワイシャツと、俺のより二回りくらい大きい紺のスラックスを押しつける。
ナギはのろのろとした動きで寝間着 のTシャツと短パンを脱いだ。
肌着の上からでも分かるほど、しっかりと鍛えられた厚みのある身体が露 わになる。胸元なんか肌着が伸びるんじゃないかってくらいパツパツだ。
高校に入学してから始めたバスケのおかげか、この1年間でナギはさらにデカくなった。
2年生に進級してすぐの身体測定では、1年生のときより3センチも背が伸びて183センチに到達したらしい。俺は170で頭打ちのまま数年が過ぎたってのに。
「髪の毛、寝癖ついてる」
「え、どこ……?」
シャツのボタンを留めながらナギが頭を下げてくる。肩まである明るい茶色の猫っ毛が、太陽の光に透けてきらきらしていた。
俺は「ほぼ全部だ」と呆れつつ手櫛 で軽く整えてやる。ツンツンした短髪の俺と違って、ナギの髪は癖がつきやすく絡まりやすい。
運動部に入れば少しは朝に強くなるかと思っていたが、ナギは相変わらずマイペースだ。朝練のある日だけはスマホのアラームを五分刻みでセットし、十回目くらいで起きているという。
着替えたナギを洗面所に押し込んだ直後、ダイニングのほうからナギの母親が声をかけてきた。
「せっかくだし、遥祐 くんも朝ごはん食べてったら?」
「ありがたいっすけど、もう家で食べてきちゃったんで」
「あら、そう? 遥祐くん、お父さんが出張で今おうちに一人なんでしょ。ちゃんと自炊してて偉いわねぇ」
手放しに褒められると面映 ゆい。俺は頬を掻いて視線を泳がせた。
「自炊っていっても、米炊いておかず作るくらいだし……」
「高校生ならそれで十分よ。凪沙 にも見習ってほしいわ」
ふぅと溜息をつきながらナギ母はキッチンに戻っていく。
(確かに、あいつも少しは家事を覚えたほうがいいけどさ)
大雑把で手先が不器用なナギに、包丁だのコンロだのを使わせるほうが心配だ。下手したら怪我するか火事でも起こしかねない。
ウチは父子二人暮らしだけど、某大手企業の営業マンをしている親父は毎日忙しく、出張で一週間近く帰ってこないこともザラだ。
とはいえ、生活費は置いていってくれるし、家事も一通りできるから特に不便はしていない。他人の作ったメシが食いたくなったら、友だちを誘ってファミレスかコンビニにでも行けばいいし。
家で一人になりがちな俺を、ナギの両親はよく気にかけてくれる。息子の世話を焼いてくれてるから、というのもあるだろうが、早くに母親を亡くした俺を心配しているのは明らかだ。
「よーちゃん、お待たせ……」
洗面所から出てきたナギが、脱力して俺の背中にのしかかってくる。重い。
「いいかげんシャキッとしろ。十分で飯食わねぇと置いてくぞ」
「まだ、眠い」
「俺におぶさって寝ようとするな!」
身長とウェイトの差がついてしまった今、昔のように背負ってはやれないのに、後ろから抱きついてくる癖はなかなか治らない。一方、肩のあたりに感じる胸筋の圧は徐々に増している。
身だしなみを整えても気持ちが切り替わらないナギを、俺は仕方なくダイニングまでずるずると引きずっていった。これはこれで、いい筋トレになる。
・・・・・・
ナギは学校でもマイペースだ。
身体が大きいせいで燃費が悪く、二時間目の授業の前後には早弁しているし、昼休みは購買の菓子パンを追加で食べて、そのままチャイムが鳴るギリギリまでぐっすり寝ている。
のんびり屋で物静かだからか、クラスメイトと喋ったり遊んだりしている姿はあまり見たことがなかった。
ナギ本人によれば、
「なんか、おれがすごい気持ちよさそうに寝てるから、起こすのが忍びないんだって」
……だそうで、周囲から浮いてはいるが概 ね平和に過ごしている。クラスメイトも担任も寛容だ。
しかし、だからといって時間にルーズになるのはよろしくない。
朝から天気のいい日ならナギは大抵、裏庭の隅っこの芝生か、非常用の外階段の踊り場にいるので、俺も自分の弁当を持って探しに行く。
今日も今日とて、大きな猫のような幼馴染は、芝生の上に身体を丸めてすやすやと眠っていた。
午後イチで体育の授業があるらしく、すでにジャージに着替えて、髪も後ろで一括 りに結んでいる。
「ナギ、予鈴まであと二十分」
「ん……」
俺が隣に腰を下ろしても気にするそぶりはない。声掛けにも曖昧な返事をして身じろぎするだけ。こんなんでも一応、俺のことは気配で分かっているようだ。
俺は残り物のおかずを詰めた弁当を黙って完食し、スマホの時計を確認しつつナギの寝顔を眺めた。
六月の陽射しは少し暑いくらいで、今日のように風が穏やかだと、汗ばむほどの陽気になる。そんな中でも、眠るナギの表情は涼しげだ。
ときおり風に揺れる裏庭の木々が、ナギの上に木漏れ日のまだら模様を描く。髪の毛だけじゃなく、よく見ると意外と長い睫毛も光を受けてきらめいていた。
薄く開かれた唇から、わずかに寝息が聞こえてくる。
(ホント、よくこんな無防備に寝られるよな)
今はもう、ナギを脅 かすものがないということか。
ナギは中学1年の最後あたりからグンと背が伸びて、あっという間に学年で一番の高身長になった。
「弱虫」だの「女みたい」だのとナギを馬鹿にしていた奴らは全員離れていき、近所の犬も吠えかかってこなくなった。通学中に変な大人から話しかけられる心配もない。
(こいつが『バスケ部入る』って言い出したときは、さすがに驚いたけど)
のほほんとしたナギと、チームプレーや激しい接触スポーツなんて無縁だと俺は思っていた。しかし案外センスがあったらしく、今やなんだかんだベンチ入りして大会にも出ている。
実際、バスケをしているときのナギは別人みたいだ。普段の様子が嘘のように機敏 な動きをするし、大きな身体をいかしてしっかりとゴール下を守っている。対戦相手のラフプレーにも動じない。
ナギは心身ともにすっかり強くなった――かと思いきや。
「練習試合で相手チームの人にめっちゃ睨まれた……怖い」
と俺に零してきたり、
「今度の大会、よーちゃん応援に来てくれる?」
と不安そうに聞いてきたりする。
どれだけ成長しても、ナギはナギのままだ。怖がりで甘えん坊で世話の焼ける幼馴染。
俺はナギの額に手を伸ばし、目にかかった前髪を指先でよけてやった。ふるりと睫毛が震えて、ナギが少しだけ瞼を持ち上げる。
「もう、時間……?」
「あと十分」
ナギは「そっか」と言って、安心したようにまた目を閉じた。
こういうとき、俺はいつもちょっとだけ、たまらない気持ちになる。
こいつは、俺に自分を委 ねすぎてる。俺なら絶対にナギが怖がるようなことはしない、と信じきっているのだ。
(分かんねぇじゃん、そんなの)
そっと、親指でナギの頬を撫でる。精悍 な面立ちになっても寝顔はずっと幼いままだ。見つめていると、とっくにやめたはずの〝おまじない〟をしてしまいたくなる。
(いや、ダメだろ)
自分に言い聞かせて手を引っ込める。もう小さな子どもじゃないんだ。
それに――昔していたキスとは、少し意味合いが変わってくるような気がする。
ただ純粋にナギの平穏を願っていただけの、あの頃とは。
俺はナギの寝顔から目を逸らして、スマホのデジタル時計に意識を移した。
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