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03.
バスケ部の関東大会は先週終わったばかりだが、俺が所属する弓道部は六月半ばに予選大会の出場を控えている。それが実質的な引退試合になるので、居残りの自主練にもつい気合が入るのだった。
「遥祐 ー、そろそろ片付けて帰ろうぜ」
「ああ」
同じく自主練していた三年生メンバーから声をかけられ、俺は息を吐きながら弓を下ろした。
調子は悪くない。大会で表彰台を狙うにはまだ今一つだが、ここから精度を上げていけば可能性はある――と顧問も言っていた。全国出場とはいかなくとも、せめて入賞して最後に華を飾りたいところだ。
ジャージで練習していたので、そのまま道具の片付けと道場の掃除を済ませる。
三年生ともなると、お膳立てされた環境で練習することが多いけれど、矢を射 る以外も立派な弓道の稽古だ。
更衣室で制服に着替えていると、先に身支度を終えて帰ったはずの同級生がなぜか戻ってきて、「おーい、佐伯 」と俺を呼んだ。
「なんか知らねーけど、道場の外で幼馴染が待ってんぞー」
「ナギが?」
わざわざそれを俺に伝えるために引き返してきたようで、「早く行ってやれよ」と言い残して去っていく。俺は慌ててシャツのボタンを閉じ、スクールバッグの中にタオルやら水筒やらを突っ込んだ。
バスケ部の練習はとうに終わっている時間のはず。まさか、俺の自主練が終わるまでずっと外で待っていたのだろうか。
「二年の小泉 だっけ? いっつも眠そうにしてるバスケ部のデカい奴」
「遥祐、世話の焼ける幼馴染がいるって一年のときから惚気 てたよなー」
「どんな可愛い子かと思って実際に見たら、名前のイメージと全然違う長身イケメンだし」
まだ着替え途中のメンバーがニヤニヤしながら俺に絡んでくる。俺は「別に惚気てはなかっただろ」と睨み返して、肩に回された腕を払った。
小泉凪沙 という名前の字面と響きだけなら、女子と勘違いされても不思議ではない。ナギ本人は昔から地味に気にしているので、俺が本名で呼ぶことはまずないが。
「つうか、名前聞いただけでどんなイメージ持ってんだよ」
「そりゃまぁ、な? 清楚でおっとりしてて従順で……こう、おっぱいが大きい」
「全部テメーの趣味じゃねぇか」
胸の前で下品なジェスチャーをしているアホの背中を重たいスクールバッグでどつく。ひとの幼馴染をなんだと思ってんだ。エロ漫画の読みすぎだろ。
俺は溜息をついて更衣室を後にした。あのノリには付き合っていられない。
外に出ると、ジャージ姿のナギが近くの木の下に体育座りで待っていた。顔を伏せていると思えば、どうやら待ちくたびれて寝てしまったらしい。
「ナギ。おい、起きろ」
肩を掴んで揺すると、ナギは「ううん……」と唸 ってから、のろのろと顔を上げた。
「あ、お疲れ、よーちゃん」
「お疲れ、じゃねぇよ。今日遅くなるって先に言ってたろ。なんで待ってんの」
「ん~……なんとなく」
ナギは大きく伸びをして億劫 そうに立ち上がり、尻についた葉っぱや土をぱたぱたと払う。
「なんとなくって……おまえなぁ。家には連絡したのか?」
「うん。よーちゃんと帰るってラインした。ついでにウチで夕飯食べていきなよ」
当然のように提案され、俺は眉間に皺を寄せた。
「もう八時過ぎだぞ。迷惑だろ」
「ウチは父さんも帰り遅いし……三人分も四人分も作るのは一緒だって母さんが言ってた」
だから、ね? とナギは微笑んで俺の手を引く。
有無を言わせぬ……というより、こうやっておねだりすれば絶対に聞いてくれると信じているのだ。俺はこいつを甘やかしすぎているのかもしれない。
「……分かったよ。ご馳走 になる」
気は引けるが、強く拒む理由もない。どうせ俺の家には誰もいないから何時に帰っても問題ないし。
ナギはパッと表情を明るくして、「お腹すいた。早く行こ」と俺の背中を押した。
ただでさえ燃費の悪いこいつが、部活後に何も食わず一時間近く待っていたのだ。そりゃあ腹も減るだろう。
(もしかして今朝、俺が家に一人だって話を聞いたからか?)
気恥ずかしさが勝って、直接は問えなかった。
ぼーっとしているようで、案外ナギは周りをよく見ているし、妙に勘が鋭い。そう思う瞬間が昔からときどきあった。頭を使って考えるのが苦手なぶん、相手の声や表情から感情の機微 を察しているのだろう。
今晩カレーだって、とのんびりした口調で嬉しそうに言うナギを、ちらりと横目に見やる。
『清楚でおっとりしてて従順で……こう、おっぱいが大きい』
ふいに、さっき聞いた言葉が脳裏 をよぎった。
性格の面でいえば、清楚はともかく、おっとりしていると表現できなくもない。従順かといわれると微妙だ。マイペースの化身 みたいな奴だし。
(胸は……って、何考えてんだ俺!)
心の中で自分自身に突っ込む。ナギがたとえ女子だったとしても、そういう邪 な目で見るべきじゃない。あと、ナギが抱きついてくるたびに当たるアレはおっぱいじゃなくて胸筋だ、男の胸筋。
「よーちゃん」
突然、ナギに肩を掴まれて斜め後ろに引き寄せられる。俺の肩甲骨が、むにゅっと柔らかいクッションのようなものに沈んだ。
「電柱ぶつかりそうになってた。前見ないと危ないよ」
「おお、おう……」
ナギが心配そうに俺の顔を覗き込んでくる。汗の匂いに混じって、ふわりと柔軟剤の香りがした。
俺は咄嗟 にナギのほうを振り向けず、「わりぃ、ぼんやりしてた」と言い訳して身体を離す。
逃げるように歩幅が大きくなった俺を、リーチのあるナギは苦もなく追いかけてきた。
「よーちゃん、いっぱい練習したから疲れてる?」
「まぁ、そんなとこ」
「それなら、おれのぶんもカレーおかわりしていいよ」
いつもと立場が逆転したみたいに気を遣われ、俺は余計に何も言えなくなってしまう。正直、今は優しくしないでほしい。
あんなアホ発言に惑わされるなんて、ナギの言うとおり自主練のしすぎで疲れているんだ。そうに決まっている。
俺は忸怩 たる思いを誤魔化すように、早足で夜の住宅街を通り抜けた。
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