4 / 7
04.
結局、小泉家のカレーを三杯もいただいてしまった俺は、皿洗いを引き受けることで罪悪感とのバランスをとった。ナギ母は「全然気にしなくていいのに」と笑っていたが、そういうわけにもいかない。
俺が礼を言って帰ろうとすると、リビングのソファでうとうとしていたはずのナギが玄関に出てきた。見送りかと思いきや、くいっと俺の腕を引っ張ってくる。
「もう遅いし、今日はウチに泊まっていきなよ」
「え、でも、それはさすがに」
いくらなんでも面倒をかけすぎてしまう。こんな時間に押しかけて夕飯をご馳走になっただけでも申し訳ないのに。
「補導されるとでも思ってんのかよ。俺ん家 すぐそこだぞ」
俺が冗談交 じりに笑えば、ナギは返事に迷うような間を置いて、こてんと首を傾げた。
「……お泊り、イヤ?」
「うっ……」
本日二回目のおねだりに、俺は言葉を詰まらせた。今どき女子でもやらないだろってレベルのあざとい仕草を、こいつは平然とやってのける。それが効いてしまう俺も俺だ。
「そんなふうに言われてもな、急に泊まるなんて――」
内心ぐらつきながらも俺はギリギリで耐える。が、話を聞いていたらしいナギ母とナギ父がリビングからひょっこりと顔を出した。
「あら、遥祐 くん泊まってくの? いいわよー」
「さっきお風呂入れたから、どうぞ」
狙ったように厚意の援護射撃が飛んでくる。
逃げ場を失った俺は、たっぷり十秒ほど悩んだ末に「……じゃあ、今夜だけ」と頷いた。我ながら押しに弱い。
「けど、着替えとか……」
「大丈夫。よーちゃんがいつ泊まりにきてもいいように、一式ある」
ナギは謎のドヤ顔で親指を立てた。小泉家、準備が良すぎるだろ。
あれよあれよという間に俺は一番風呂に押し込まれる。落ち着かない気分で湯舟に浸かり、ほかほかになって風呂場を出ると、洗面所の棚に着替えとバスタオルが用意されていた。
(このパジャマ、なんかやたらデカいな……)
一緒に置いてあった半袖とハーフパンツの上下セットを着ると、肩の線は落ちるし腰回りもぶかぶかだった。たぶんナギのものだろう。腰の紐 を締めれば着れなくはない。
髪を拭いてナギの部屋に向かうと、ナギが床に客用の布団を敷いているところだった。おぼつかない手つきで掛布団にカバーをかけている。
「あ、よーちゃん……」
顔を上げたナギが、じっと俺を見つめてきた。
「なんだよ」
「えっと、ごめん。パジャマはおれのやつしかなかった」
ふいと目を逸らし、布団カバーのチャックを閉めようとする。布を噛んでいるせいで全然進んでいない。
「服借りられるだけありがてぇし。つうかチャック壊れるぞ、貸してみろ」
ナギの傍 に行くと、すす……と大きな身体を縮こまらせて俺に場所を譲ってくる。なんだその変な動きは。
チャックを戻し、布を噛まないように指で押さえながら閉める。あとは中の布団の形を整えて完成だ。
「っ、おれも、お風呂入ってくる」
ナギがおもむろに立ち上がる。布団を踏まないように避けていった足は、ドアの前でぴたりと止まった。
「……よーちゃん、おれのベッド使っていいよ」
「は? おまえが床で寝るのか?」
一応客人だからといって、そこまで譲られるのはどうなんだ。俺が怪訝 な顔をすると、ナギは気まずそうに視線を落とす。
「おれは……リビングのソファで寝る、から」
「いやいや、なんでだよ」
俺は思わず突っ込んだ。シングルベッドからもはみ出す体躯 のナギが、ソファでまともに寝られるわけがない。確実に翌朝どこかしら痛めているだろう。
「おまえの部屋なんだから、気ぃ遣わなくていいって。俺は普通に床の布団で寝るぞ」
「でも……」
「ナギ」
妙に渋るナギの前に立ち、二の腕をぽんと叩く。言うことを聞け、というときの暗黙の合図だ。
ナギは目を泳がせて、不承不承 といった感じで小さく頷くと、「先に寝てて」と言い残して部屋を出ていった。
(いきなりどうしたんだ、あいつは)
大人しく客用布団に潜り込み、見慣れた天井の木目を見上げる。
これまで数えきれないほど訪れた部屋だが、泊まるのは何年ぶりだろう。まさか高校生にもなって幼馴染の家に泊まるなんて。俺と同じように、ナギも本当は落ち着かないのかもしれない。
ナギはずいぶん長風呂をして、俺が半分寝落ちたあたりに戻ってきた。リビングで寝るのは諦めてくれたらしい。
「ナギ、ちゃんと髪乾かしたか……?」
「か、乾かしたよ」
ナギは一瞬肩をビクッとさせて、おずおずと自分のベッドに向かった。「先寝ててって言ったのに」と、なにやらぶつくさ呟いている。
ナギが部屋の電気を消したので、俺は改めて布団に潜った。自然とベッドに背を向ける格好になる。
さっきまで眠かったのに、ナギがすぐ近くにいると思うだけで不思議と目が冴えてくる。人の気配がある場所で眠るのはあまり慣れていない。
ナギも珍しく寝つきが悪いようだった。ベッドの上でもぞもぞと身じろぎしている。
そして、互いになかなか眠れないまま数分が過ぎた頃。
「……よーちゃん?」
ベッドのほうから俺の様子を窺うような声がした。
「起きてる」
「寝てよ……」
「そっちが呼んだんだろ。おまえも早く寝ろ」
「よーちゃんが起きてると、寝れない」
「はぁ?」
拗 ねた口調のナギに、俺はまたもや眉根を寄せた。本当に何がしたいんだ、こいつは。
「ナギが泊まれって言ったんじゃねぇか。つうか、おまえいつも俺がいる前でグースカ寝てんのによ」
「それは……」
ナギは反論できずに押し黙った。甘えるときは遠慮しないくせに、強い口調でものを言われると主張を引っ込めてしまう。昔からのナギの癖だ。
俺は少しばつの悪い気持ちになって、静かに息を吐いた。
「俺が家に一人で寂しがってると思って、誘ってくれたんだろ」
「え……」
「感謝してる。久々に自分が作った以外の手料理食べたし。ああいう賑やかな感じ、俺ん家にはもうねぇから」
礼を伝えるだけのつもりが、柄 にもなく感傷的な台詞が口を突いて出た。言ってしまってから唇を引き結ぶ。
また少し間を置いて、ナギが口を開いた。
「……よーちゃん寂しいかなって思ったのは、本当。なんか、無理してるような気がしたから」
「そんなふうに見えてたのか?」
「うん。よーちゃんのお父さんが忙しいのは、いつものことだけど……。それに慣れちゃっても、よーちゃんが絶対に平気、とは、かぎらないし」
ナギは訥々 と、しかし明瞭 に言葉を紡ぐ。
俺は返事に詰まった。胸の奥にある痛いところを的確に突かれたような気がして息を呑む。
「よーちゃん、弱音とか、愚痴 とか、滅多に 言わないから。おれが頼りないだけかもだけど」
「ちげぇよ」
俺が後ろ向きなことをあまり口に出さないのは、単に、自分の気持ちを誰かに話したいと思わないからだ。言わずに済むなら、そのほうがいい。
「誰かに相談するとか、慣れてねぇし」
「知ってる。でも、たまにはさ……おれがよーちゃんにするみたいに、寄っかかってもいいんだよ」
俺はハッと目を見開いて後ろを振り向いた。
暗闇に慣れた視界の中、布団をかぶったナギの背中が映る。呼吸に合わせてゆっくり上下する肩と、下ろした髪の隙間から覗く白い項 を見つめた。
「おれは、ずっと……よーちゃんの……」
ナギの声が途切れて曖昧になっていく。どうやら喋っている途中で眠ってしまったようで、最後までは聞き取れなかった。
けれど、なんとなく分かる。同じような言葉を以前にも聞いたことがある。
静かに身体を起こし、布団を出て、ナギのほうへ歩み寄る。ベッドに手を突いてナギの顔を覗き込むと、瞼を閉じて健やかな寝息をたてていた。
「……普通に寝れてんじゃねぇか」
ぼそりと呟いて、顔にかかった長い髪を指でよけてやる。そのまま頬を撫で、薄く開いた唇の端にそっと触れた。
俺はナギの寝顔が好きだった。
外の世界に居場所を見い出せず怯えてばかりだったこいつが、寝ているときだけは安心しきったような顔をするから。
家族以外では、俺だけが見られる表情だったから。
(けど、それは昔の話だ)
今のナギは、学校でも好きなように昼寝をしているし、クラスメイトや部活仲間ともそれなりに上手くやれてる。朝練の日はちゃんと自分で起きて、雨の日は俺が呼びに行かなくても午後の授業に間に合っている。
本当は、俺がいちいち世話を焼かなくてもいいはずなんだ。
(守ってやる、なんて、もう言えねぇよ)
むしろ、俺がナギに守られている。
『おれはずっと、よーちゃんのそばにいる』
辛くても悲しくても涙の一粒すら出なかった俺を、泣きじゃくるナギが抱きしめてくれた、あの日から。
離れられないのは俺のほうだ。
「ナギ……」
身を屈める。吐息がかかったら、ベッドのスプリングが軋んだら、ナギを起こしてしまうかもしれない。緊張で痛いほど心臓が跳ねているのに、引き寄せられるかのごとく俺はナギに顔を近づけていた。
白い頬に、唇が触れる。
見た目よりも柔らかくて、シャンプーの淡い香りがした。
ナギは静かに眠り続けている。長い睫毛が震えることもない。
俺はすぐに離れて、ぐらぐらする頭を抱えるように客用布団へ戻った。自分のしたことを嫌というほど理解しながら、夢であってほしいと無責任なことを願う。
(やっちまった……)
あの〝おまじない〟を封じたのは、何のためだったのか。
そんなの決まってる。自分の気持ちから目を背けるためだ。自覚すれば後戻りはできないと、俺は心のどこかで分かっていた。
もう、引き返せない。
ナギへの感情を無視することはできない。
無様 に暴れ出したくなる衝動 を必死に堪えて、ぎゅっと瞼を閉じる。
頭の中も心臓もうるさくて、とてもじゃないがしばらくは寝付けなかった。
ともだちにシェアしよう!

