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06.
朝のホームルームが始まっても、俺の意識は宙を彷徨 っていた。窓側の前から三番目という先生に見つかりやすい席なので、表面上は話を聞いている風を装っているけれど。
(俺、これからどうしたらいいんだ)
失恋の相手が接点の少ない他人ならまだしも、家ぐるみで付き合いがある近所の幼馴染だ。
朝起こしに行ったり、一緒に登下校したりするのは、もうやめたほうがいいのだろうか。ナギの距離感バグに慣れすぎていたが、後ろから抱きついたりするのも彼氏がいるなら控えるべきだ。
(……ナギ離れをする、いい機会なのかもな)
机の上で手慰 みに指を弄 る。話の長い担任教師は、まだ何か喋り続けていた。
ナギはただ、小学生時代にいじめっ子の嫌がらせから守ってくれた俺に、恩を感じて懐いていただけだ。優しい奴だから、俺を気遣って寄り添ってくれていただけ。そういうのはもう卒業すべきなんだろう。
俺といるせいで彼氏に勘違いされてフラれる、なんてことになったら、さすがに申し訳ない。
(だからといって、いきなりあからさまに距離とるのもな……)
はぁ、と小さく溜息をつく。
今朝は気まずいどころじゃない空気のまま、ナギと同じ食卓で朝ご飯を食べた。食べ盛りのナギが一回しか白米をおかわりせず、ナギ母が「具合でも悪いの?」と心配していたが、事情を話せるわけもない。
俺は自宅に寄る用事があったので、「先に学校行っててくれ」とナギに伝えて別行動をとった。あいつも今は俺と並んで歩ける気分じゃないだろう。
でも、いつまでこんな調子でいればいいのか。頭の中がごちゃごちゃして考えがまとまらない。
「――えき、佐伯 !」
「へっ?」
名前を呼ばれて我に返る。前の席の女子がこちらを振り返って怪訝 そうな表情をしていた。
「プリント。早く回してよ」
「あ、ああ……悪い」
いつの間にか担任がプリントを配っていたらしい。俺は苦笑いして紙の束を受け取り、一枚取って残りを後ろに渡した。
(げっ)
プリントの内容を見て俺は思わず顔をしかめる。堅苦しい活字が並ぶA4コピー用紙には『三者面談について』と書かれていた。
(夏休み前の面談か……すっかり忘れてた)
部活動を引退したら、俺たち三年生は受験や就職に向けて本格的に準備を始めなきゃいけない。卒業後の進路は進学と就職が半々くらいなので、その最終的な意思を確かめるための面談になるだろう。
(親父に連絡……いや、出張中にメールすんのもアレだよな。帰ってきてから言うか)
俺は一応、大学進学希望だ。そのことは親父にも話したが、特に反対はされなかった。「好きに決めなさい」と言われただけだ。
(三者面談でも同じこと言いそうだな。そもそも、面談に来られるか分かんねぇけど)
プリントを二つ折りに畳んで、机の中にしまう。担任の長話はまだ続いていた。右から左へ聞き流して窓の外を見れば、雲一つなくすっきりとした青空が広がっている。
今日は朝からずっと晴れの予報だ。少しくらい雨が降ってくれてもいいのに、と俺は初夏のさわやかな陽射しを憎らしく思った。
・・・・・・
天気予報どおり、雨の一滴も降らないまま昼休みがやってきた。
俺は自分のロッカーから弁当用の保冷バッグを取り出しつつ、もう何度目か分からない溜息をつく。
(今日は教室で昼メシ食うか……?)
ナギはおそらく、いつものように裏庭か外階段で寝ているだろう。しかし、今朝あんなことがあったばかりで会いに行くのは気が引ける。
(ナギだって気まずいに決まっ――いや、でも、俺が来ると思って待ってる可能性も……)
保冷バッグを抱えたままロッカーの前をうろうろしていると、「ちょっと佐伯、邪魔!」と女子たちに睨まれてしまった。俺は謝りながらそそくさと教室を離れる。
ウチのクラスは派手めの女子グループが圧倒的に強く、俺のように地味な男子はだいぶ肩身が狭い。
結局、俺はそのまま校舎を出て、途中何度も立ち止まりながら裏庭のほうへ足を伸ばしていた。
(ちらっと様子を見るだけにしておこう)
やっぱり、顔を合わせるのはまだ無理だ。なんでもないフリをして話しかけられるほど、俺は演技が上手くない。
裏庭の手前まで来た俺は、いつもナギが寝ている場所を覗こうとして、ぴたりと足を止めた。裏庭のほうから人の話し声が聞こえたのだ。
(もしかして今日は先客がいるのか? 珍しいな)
裏庭は整備が行き届かずに鬱蒼 としている場所が多く、わざわざ近寄る生徒はほとんどいない。かつては不良の溜まり場だったが、図体 のデカい男子生徒が昼寝をするようになって以来、いなくなったとかなんとか。
物陰からそっと裏庭を覗いた俺は、思わず目をぱちくりさせた。
(ナギ……と、女子?)
ナギは、いつも寝ている芝生のあたりで、見知らぬ女子生徒と向かい合って立ち話をしていた。女子の制服についているリボンの色を見るに、ナギと同級生のようだ。
もしやこれは、と俺が息を呑んだ直後、女子は緊張した顔つきでナギに訊ねた。
「小泉 くん、付き合ってる人っている?」
まさかの、いわゆる告白イベントってやつに、俺は遭遇 してしまったらしい。
(どういうタイミングだよ!)
心の中で叫び、頭を抱えてしゃがみ込む。占いの類はあまり信じていないが、今日の蟹 座の恋愛運は間違いなくぶっちぎりの最下位だ。
あの女子生徒はナギのクラスメイトだろうか。スポーティーなショートヘアで、すらっと背が高い。女子バスケ部にああいう感じの子がいたような気もする。
ナギは案外モテるらしい――という噂は聞いたことがあった。
180センチ越えの長身に、色白で整った顔立ち。気まぐれでのんびりした猫のような性格と、バスケをしている姿のギャップが萌えるんだとか。
偶然居合わせただけとはいえ、聞き耳を立てるのはよろしくない。そう思いつつも俺はその場を動けなかった。
(ナギは、なんて答えるんだ)
傍 から見ているだけなのに、俺の心臓はバクバクと騒いでいる。シャツの胸元を握りしめた手に汗が滲んだ。
「……いない、けど」
ナギの返答に、俺は「えっ」と小さく声を漏らしそうになった。咄嗟に自分の口を塞ぐ。
「好きな人は……いる」
続いたナギの言葉で、俺の息は止まった。胸の音だけが耳に響くほどうるさい。
「そう、なんだ……」
女子の消沈した声。無理もない。彼女も俺と同じく失恋を突きつけられているのだから。
(いや、でも、誰とも付き合ってないわけ、ないよな?)
酸素の回らない頭で考える。それなら今朝、俺が見た光景はなんだったっていうんだ。何の経験もなしに乳首と尻穴だけでイけるようになるわけないだろ。
(今は付き合ってないってことか? 実はもう別れてる? けど好きな人はいるって……)
わけが分からない。考えれば考えるほどドツボにはまりそうだ。
俺の大混乱をよそに二人の会話は続いている。
「その好きな人に、告白とかはしないの?」
「……しない、かな。たぶん。優しい人だから、言っても困らせちゃうと思うし」
ナギはゆったりとした口調で、しかし淡々と答えた。照れや動揺は少しも感じられない。それが逆に真実味と誠実さを醸 していて、俺の胸は余計に重苦しく詰まった。
ナギは本気だ。本当に、心を寄せている相手がいるんだ。
(やべぇ、なんだこれ)
ふいに視界がぼやけて、何かが溢れてしまう前に手で乱暴に擦る。上手く呼吸ができない。
最悪だ。裏庭なんか来るんじゃなかった。
八つ当たりのような感情が込み上げてきて奥歯を噛みしめる。
俺はふらりと立ち上がり、保冷バッグの持ち手を掴み直して踵 を返した。
もう十分だ。これ以上、俺の知らないナギを見たくない。
ひどく身勝手な逃避だと分かっていても、今の俺にはどうすることもできなかった。
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