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09.
「よーちゃん、覚えてる?」
「……え?」
呼びかけに顔を上げる。頭に上 りかけていた血がすっと引いた。
「この公園だよね。おれとよーちゃんが初めて話したの」
ナギは空の唐揚げカップを持ったまま、少し遠くを見つめるような眼差しで語る。
「おれが小3のときだったっけ。ここで探し物してたら、よーちゃんが声かけてくれて……一緒に探し回ってくれた」
「……そんなことも、あったな」
俺は詰めていた息を吐きだし、口元をゆるめた。
あのとき探していたのは、確か、ナギが家族旅行でお土産に買ってもらった眠り猫のストラップだ。ランドセルにつけていたものを、下校中に絡んできた同級生のいじめっ子に引きちぎられ、公園のどこかに捨てられてしまった。
幼いナギはたった一人で、泣きながら草むらにしゃがみ込んでいた。そこに通りかかった俺が話しかけ、ストラップ探しを手伝ったのだ。
「二人して汗だくになって、服も顔も汚しながら探したよね。でもなかなか見つからないし、そのうち陽が沈んで暗くなっちゃって……」
当時は暗所が苦手だったナギは、疲労もあって「もうムリだよ」と途中で泣き出してしまった。俺はそんなナギを「絶対見つかるから」と励まし、手を繋いで捜索を続けた。
「俺も意地になってたんだよな。大人を頼るって発想もなかったし」
「ふふ。でも、よーちゃんは本当に見つけてくれた」
ストラップは、茂 みに隠れた側溝 の中に落ちていた。近くに外灯があって、その明かりの反射で気づけたのだ。
俺が泥の溜まった側溝に手を突っ込んでストラップを引き揚 げると、ナギはぐしょぐしょに泣きながら抱きついてきた。そのまましばらく泣き止まず、俺がオロオロしているうちに、ナギを探しにきた両親に発見された。
「父さんと母さんには、こっぴどく叱られたっけ」
「俺も巻き添えくらったよな。親父も珍しく職場から駆けつけて平謝りしてさ」
「二人とも、よーちゃんにすごく感謝してたよ。おれだけで探してたら、どうなってたか分からないし」
その後、ナギの両親と俺の親父が学校に通報してくれて、ナギをいじめた同級生はしっかりお灸 をすえられたらしい。おかげでナギは少し安心して学校に行けるようになった。
ナギは過去から現在の俺のほうへ視線を移し、柔らかく微笑んだ。
「あのときから、ずっと。よーちゃんはおれのヒーローなんだ」
臆面 もなくまっすぐに告げられる。ようやく涼しくなってきた夜風が吹き抜けて、ナギの髪をさらりと揺らした。
「……お、大げさだろ」
「大げさじゃないよ。よーちゃんカッコいいなって、今でも思ってる」
「あのなぁ、さすがに恥ずかしいって」
俺は熱くなる頬を隠したくてそっぽを向いた。ナギの素直さはたまに毒だ。俺を簡単に骨抜きにしてしまうくらいの威力がある。
(つうか、なんで今こんな話するんだよ……)
大人しく身を引いて諦めようとしていたのに。幼稚な嫉妬や欲望と折り合いをつけようと必死なのに。どうしてこいつは、俺の心を掻き乱そうとしてくるんだ。
涼風に撫でられても頬の熱は引かない。それどころか、再び昂 った感情が溢れ出しそうで、喉の奥や目頭まで熱くなってくる。
(諦めさせてくれよ)
優しくされるのも、肯定されるのも、嫌だ。そんなふうにされたら、余計にナギから離れられなくなる。
俺はレジ袋をスクールバッグの中に突っ込み、勢いよくブランコから立ち上がった。
「よーちゃん?」
「もう暗いし、帰ろうぜ」
俺はバッグを肩に掛け直して足早に歩きだす。このままナギと話していたら、うっかり本心を言ってしまいそうで怖い。
しかし、十歩も進まないうちに後ろから手首を掴まれた。ナギがまた焦った表情をして俺を見下ろす。ナギのバッグはブランコの横に置かれたままだ。
「よーちゃん」
「なんだよ。荷物忘れてんぞ」
「おれ、ずっとよーちゃんの傍にいるって、言った」
ドキリと心臓が大きく跳ねる。俺は囚 われたように動けなくなって、外灯に照らされたナギの顔から目を逸らした。
「……昔の話だろ。いつまで言ってんだ」
「いつまでも言うよ。だって、おれ――」
「幼馴染だから、ってか? そういうのもういいから。いちいち気ぃ遣われるのも結構しんどいんだよ」
言い放ってしまってから、俺は後悔に唇を噛む。最悪の上塗りだ。笑って突き放せない自分の弱さをナギのせいにした。
ナギの手から力が抜けて、俺の手首を放す。強く掴まれた気がしたのに、痛みや跡はなかった。ちゃんと加減してくれていたらしい。
俺が安堵と罪悪感に息を零した、その直後。
「……よーちゃん」
ナギの両腕が俺の背に回され、大きな影が覆い被さってきた。肩からバッグがずり落ちる。
ナギに抱きしめられている、と俺は一拍遅れて気がついた。
「っ、おい、ナギ! 離れろ!」
夜とはいえ住宅街のど真ん中の公園だ。通行人に見られでもしたら、ナギに変な噂が立ちかねない。
俺は身じろぎしてナギの背中を叩いた。しかし、俺よりがっしりとした身体はびくともしない。
「……やだ」
「は?」
ここにきてナギは子どものような駄々をこねだした。まさか甘えているのか? ついさっきひどい言葉を吐かれたばかりなのに。
「やだって、おまえ……こういうのは俺にすることじゃないだろ。相手選べよ」
「選んでる。よーちゃん以外にするわけない」
ナギはなぜか拗 ねた口調で言う。なんだか本当に図体 だけデカい子どもみたいだ。
俺が混乱しているのを察してか、ナギはゆっくりと身体を離した。やはり、痛みや息苦しさは残らない。そのくらい手加減されても簡単には逃げられない体格と筋力の差がある。
ナギはいじけたように唇を尖らせていた。
「よーちゃんの、意地悪」
「あぁ?」
「おれの気持ち、知ってるくせに。相手選べとか言わないで」
「い、意味が分からん……」
俺の頭上にクエスチョンマークが飛び回る。ナギはいったい何を訴えたいんだ。というか、責めるべきことは他にあるだろ。
「あのな、普通はただの幼馴染にここまでしねぇの。付き合ってる人とか……好きな人にするもんなんだよ」
「えっ?」
ナギは目を丸くして瞬かせた。なんだ、その心底意外そうな反応は。恋愛的な情緒と常識を学ばずに生きてきたのか、高校二年生にもなって。
「だから俺相手にこんなことするな。誤解されるぞ」
俺は諭 すように言い聞かせ、そっとナギの腕をほどいた。
(ああ、くそ。自分で言っといて泣きそうとか……)
情けなくて、顔を上げられなかった。
好きな人に抱きしめられて嬉しくないわけがない。それを普通に喜べないことが虚 しい。
ナギの体温が好きだ。平熱が高いから、冬は温かくて夏はちょっと暑苦しい。
ナギの匂いが好きだ。いつも日向 で昼寝しているからか、洗濯して天日干しした布団のような匂いがする。少し汗臭くても気にならない。
ナギの身体の重みが好きだ。俺を信頼して預けていると分かるから。さすがにもう背負ってはやれないけれど。
(ナギが好きだ)
ずっと前から好きだった。
それなのに、どうして、おまえの夢に出てくるのが俺じゃないんだ。何年もおまえの傍にいたのは、他の誰でもない俺じゃないか――――。
「うん、よーちゃんだよ」
ナギが俺の右手をぎゅっと握る。
俺は一瞬、呼吸を止めた。
「…………ん?」
「だから、よーちゃんだよ。おれが好きなのも、おれの夢に出てきたのも」
俺の顔を覗き込んで、ナギは言い重ねてくる。
――ちょっと待ってくれ。タイムだ。一旦、思考を整理する時間がほしい。
「……俺、口に出てた?」
「出てた」
「どのへんから……?」
「『ナギが好きだ』ってところから」
俺は馬鹿なのか?
思わず額を押さえ、はあぁ、と長い溜息をつきながらしゃがみ込む。つられてナギも一緒に膝を折り、小さく首を傾げた。
「これって、おれたち両想い?」
「……かもな」
「なんか自信なさそう。おれも好きって言ったのに」
ナギは少し悲しげに肩を落とした。自分の愚かすぎる失態に地の底まで落ち込みかけていた俺は、ナギの言葉でハッと我に返る。
「おまえ、さっき、俺が夢に出てきたって……」
「そうだよ。むしろ、他に誰がいるの?」
また拗ねた口調になって唇をツンと突き出した。あざとい仕草に気を取られそうになったが、俺の顔に遅れてじわじわと熱が集まってくる。
「お、俺が、おまえを……その、抱いてたのか? 俺の知らない奴じゃなくて?」
「ええ……よーちゃん以外の誰かとなんて、夢でも普通にありえないし。変なこと言わないでよ」
なぜかドン引きされているし、ちょっと怒られた。これは俺がおかしいのか?
すると、ナギは気が抜けたように顔を伏せた。
「おれ、寝言でよーちゃんのこと呼んじゃった気がしたから……よーちゃんのこと好きなのバレたと思ってた」
「……あ」
そういえば。俺は少し冷静になって、あの朝のことを思い出す。
『よー、ちゃん……?』
ナギは目を覚ます直前に俺の名前を呼んでいた。あれは気配で俺に気づいたのではなく、夢の中で話しかけたつもりだったらしい。
明かされた事実に、俺もナギと同じように脱力して項垂 れた。
「俺ら、二人そろって盛大に勘違いしてたのか……」
「みたいだね」
くすっとナギがかすかに笑う。顔を上げると、照れくさそうに眉を下げたナギと視線が交わった。
「おれも、ずっと前から、よーちゃんが好きです」
柔らかに潤んだ瞳が俺をじっと見つめる。ナギのいじらしいほどのまっすぐさに、俺の視界もまた滲んで揺れた。
「よーちゃん、嬉し泣き?」
「まだ泣いてねぇし」
「おれの前では、好きなだけ泣いていいよ」
ナギが大きな手で俺の頭をよしよしと撫でてきた。やっぱり俺のほうが甘やかされてる。これが包容力ってやつなのか。
俺も負けじとナギの右頬に触れた。白い肌はほんのりと赤らんで、夜風で冷えた手には少し熱いくらいだ。ナギは目を細めて、懐く猫のように俺の手に頬を擦り寄せてくる。
「ナギ」
親指で唇の端を撫でる。たったそれだけでナギは、すべてを受け入れようとするみたいに薄らと口を開いた。
俺は両手でナギの頭を引き寄せ、そっと唇を重ねた。
温かい。
初めて触れ合った場所なのに、この温度を知っている気がする。欠けていたパズルのピースがはまって、最初から一つだったかのように溶け合っていく感覚。
これは〝おまじない〟じゃない。
ナギが好きで、ナギが可愛くて、ナギが欲しいからするキスだ。
角度を変えて何度も触れる。満たされるそばから足りなくなる。呼吸すらも惜しい。
誰かに見られたら、とか、そんなことは気にならなくなっていた。
「っ、よー、ちゃん」
足りないのはナギも同じらしい。俺の名前を呼びながら口の中で赤い舌をちらつかせ、「もっと」と鼻先をくっつけてくる。そんなふうにされたら歯止めがきかなくなるだろ。
ナギの全部を感じたい。許されるかぎりの隅々 まで。
俺は唇を離して、熱い吐息が触れるほどの距離でナギを見つめた。
「よーちゃん?」
「……ナギ。今日、俺ん家 来て」
離れたくない。そう思ったままに告げると、ナギは息を呑んで目を見開いた。一拍遅れて、ぶわっと頬の赤みが増す。俺の言葉からナギが何を想像したのか、手に取るように分かった。
俺が今、家に一人だってナギは知ってる。
ナギはほんのわずか視線をうろつかせてから、期待するように俺を見た。
「……お泊り?」
「イヤか?」
少し首を傾げて訊ね返せば、ナギは小さくかぶりを振った。
「……おれも、よーちゃんと一緒にいたい」
そう呟いて、また泣きそうな顔をする。俺もつられて鼻の奥がツンとした。
もう一回だけ、と交わしたキスは、今までで一番長かった。
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