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「ああ、はい、ボタンも反応しませんね。光ってはいますけど」  五階のロビーに着くなり一番に目に入ったのは、スマホを耳に当てエレベーターの前に立つ一条の姿だった。  契約保守会社に手配をかけているのだろう。停電直後のグループチャットといい、ふざけているように見えて抜かりない人だ。そういう人でないと、御曹司なんて務まらないのかもしれない。  ぽちぽちとエレベーターのボタンを押す一条とチラとだけ目が合うも、気まずいので軽く頭だけ下げてその場をやり過ごす。逃げるように更衣室に足を踏み入れると、なるほど、河童でもやってきたのかというほどに床がびしょ濡れになっていた。  やれやれと、隅に設置された掃除用具入れからモップを取り出す。せっせと濡れた床を拭きながら、まるでイタズラがバレて掃除させられている小学生のような気分になった。……全く、情けない。  ちゃぷちゃぷ、ちゃぷちゃぷとモップで水気を吸い取っていると、なにやら体の芯から悪寒が込み上げて、クシュンというくしゃみが漏れる。 「……あー、さむ」  夏場とはいえ、いつまでも濡れた衣服を身に纏っているようでは体温も下がる一方だ。ちゃちゃっと結月の着替えだけ持って帰ろうと考えていたのだが、当てが外れた。  ――まあ、自業自得だけど……。  せめても、結月にだけは先に着替えているよう言い置いて部屋を出て正解だった。この期に及んで結月に風邪でもひかれれば、いよいよ申し訳が立たない。  へっくしょんと、さきほど以上に大きなくしゃみをした直後、背後から間延びした声がかかった。 「水気だけ取れたらそれでいーよー。クリーニングは別で雇ってるから」 「ああ、一条さん」  いつの間にか、ドア付近の壁に凭れて足を組む一条がこちらを眺めていた。 「……はい。すんません」  一通り水気が取れているのを確認し、最後にぎゅっと専用のバケツでモップを絞る。そうしてバケツに溜まった水を処理している間も、空になったバケツと立てかけていたモップを掃除用具入れに片している間も、無言でこちらを観察する一条の視線を感じて晃大は気後れした。  もうさっさと結月の着替えを持って部屋に帰ろう。そう思いぐるりと辺りを見渡してみて初めて、晃大は自分のミスを悟った。 「……鍵」  そうだ、うっかりしていた。着替えを取ってくると言って部屋を出たにもかかわらず、肝心の鍵を受け取り忘れていた。  ここのロッカーの鍵はよくあるリストバンド式だから、きっと、抱きかかえた結月と一緒に部屋に持ち帰り、置いてきてしまったのだ。腕にはめていた結月自身も、気が動転してそこまで思い至らなかったのだろう。  モップ掛けに要した時間は約五分。おそらく、結月はもう鍵のことに気づいているだろうが、この場に姿を現さないあたり、晃大が鍵を取りに戻ってくるのを部屋で待っているはずだ。鍵も持たず部屋を出て、五分以上もどこで油を売っているんだと思っているかもしれない。  考えている間に、結月の服が入っているロッカーがどれなのかは探し当てていた。シャワールームと同じ、人目につきにくい最奥のロッカー。そこだけ鍵がぶら下がっていない。  もっとも、鍵を持っていない以上、ロッカーだけ探し当てたところで意味はない。一度引き返そうと踵を返しかけたそのとき、ひやりと冷たいものが頬を掠めた。

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