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第7話 変な一日

「謎」な人、ちっとも起きてくれない。 「あ、あのっ」  心地良さそうな寝息すら聞こえる。起こしてしまうのが申し訳ない気がしてくるくらいに。 「お、起きてください! 終点です!」  でも、そんなこと言ってる場合じゃない  このまま放っておいたら……駅員さんが起こしてくれるんだろうけど、乗り過ごして終電って、どこにも帰れない。始発までどうにもならない。タクシーはあるけれど、どのくらい寝過ごしているのかわからないから。いくらくらいかかるのかちっとも予測できない。もしかしたら何万円とかになるかもしれない。深夜料金だろうし。  終点であるここの駅は閑散としているんだ。  始発まで時間を潰せそうなネットカフェはない。ファミレスはあるけど……二十四時間だったっけ? そうじゃない気がする。 「終点だし、こんなところで寝てると風邪引きます」  まだ四月の終わり。日中はあったかくて半袖でも大丈夫かもしれないけど、夜はそんなことない。とくに風が冷たくて。寒暖差がすごいこともあって風邪をひきやすい時期でもあるんだ。薬局にもちらほら市販の風邪薬を買いに来るお客さんがいる。 「寝てちゃ、ダメですっ」 「んー……」 「あの、起きてください」  名前でも知っていれば呼んで起こせるんだろうけど。 「……」 「困った……」  こういうかっこいい人でも居眠りなんてするんだね。  こっちは慌ててるのに、なんだか呑気だし。  なんだかそれが面白かった。  薬局に来る彼は日用品しか並んでないあのお店がやたらと不似合いで浮き出てくる絵みたいに違和感があった。彼に馴染みそうな背景は高級ブランドのお店とかオシャレなレストランとかだと思ってた。  ティッシュペーパーの安売りの棚の前にいるとか想像できない見た目なのに。  そんな人も酔っ払ったり、終点まで寝過ごすなんて大失敗をするんだ。 「……ふ」  彼の大失敗がなんだか、今日一番で面白かった。思わず、起こしながら笑ってしまうくらいに。 「起きてください。僕、あなたがよく来てくれる薬局で薬剤師をしています。ここじゃ風邪引いてしまいます」  少し落ち着いて、トントンと肩を優しく叩きながら、ゆっくり話してみた。 「?」 「あの、ここ終点の駅なんです。あまり栄えてない駅だから、お住まいがここの駅の近くならいいんですけど、そうじゃないなら、始発まで困ると思います」  あ、お酒の匂いだ。  そっか、お酒の飲んでてちょっと酔ってるのか。それなら尚更起きそうにないや。 「うち、駅から近いんです」 「?」  本当だったら、僕は今頃、駅を降りて自宅に向かいながら、あぁ終電になっちゃった。寝不足になるのに。そう落ち込むはずだった。  けれど、彼のおかげでそれどころじゃなくなってしまったんだ。それが、なんだかありがたくて。 「唇も切れてるみたいです。消毒しないと」  お礼に市販の風邪薬を買わないで済む、なおかつ、始発までの時間つぶしに困らないように、手伝いをしてあげることにした。 「なので、もしも寝過ごしてしまったんなら、ですけど、よかったら、うちへどうぞ」  そう説明をして、トントンと叩いた手をそっとその肩に添えた。 「よ……いしょ」  うち、駅近でとても便利だと思う。駅は終点で閑散としているけれど、その分家賃安かったから、ここにしたんだけど。 「けっこう……重い」  今ほど、駅から近くてよかったって思ったことはないかもしれない。  背が大きいだけあって、けっこうな重労働だった。  駅から歩いて二分とかからないマンションまでの間に汗、かいてしまうくらいに。 「あの、着き、ました」 「謎」な人の腕を掴んで支えながら自宅マンションに到着した。どうにか鍵を開けて部屋に入ると、一人暮らしの部屋が少し驚いてるような気がした。  主人が初めて人を連れてきたぞ。誰だろうって。 「よっ……いしょ」  やっとベッドに転がして、寝かせても、本人は起きる気配なしで呑気に気持ち良さそうにしていた。 「……」  顔、やっぱりかっこいいな。  けれど、唇の端は赤く血が滲んだまま、その血が固まってしまっている。  痛そうだ。 「消毒しないと」  喧嘩でもしたのかな。  けれど、手とかには傷はなさそうだった。 「ちょっと沁みますよ」 「……っ」  見た目、唇のところだけのようだった。傷に消毒液を染み込ませたティッシュを充てると沁みたようで、キュッと眉を寄せてる。  こびりついていた血を拭ってあげると、少し赤く腫れぼったくはなってしまっているけれど、いつもお店で一つ二つ言葉を交わす時の穏やかな彼に戻っている。  服、着替えさせてあげられたらよかったんだけど。  でもサイズ、合うのがなさそうだ。  泥とかはついてないから、路上で喧嘩、とかじゃないみたいだし。 「……あ」  けれど、服には盛大な染みができていた。  コーヒー、だと思う。黒いTシャツだったからよくわからなかった。  なるほど、だからか。  抱えて帰ってくる時、彼からアルコールと一緒にコーヒーのほろ苦いのと、それから、甘い女性物の香水の香りが混ざっていた。なんだか色々な匂いと一緒に大変そうな一日だったんだろうって思えたけれど。 「脱がします、ね」  洗わないと、だよね。それにどっちにしても着替えはないし。明日、自宅に帰るだろう時にコーヒーの染みのあるTシャツじゃ可哀想だから。  散々な一日だったんだろうから。 「っ、っと」  手早く服を脱がせていく。  あんまり、裸を見ないようにしながら。 「っ」  その……あの、股間の辺り、とかも、できるだけ余所見をしながら全部を剥ぎ取って。 「……ふぅ」  シャワーは朝入ってもらうしかないや。身体には特に傷とか痣とかなさそうだった。もちろん、凝視はしてなくて、横目で見えた範囲だけ。 「さて、と」  コーヒーの染みって落ちるのかな。  剥ぎ取った服を抱えて洗面所に向かいながら、スマホでコーヒーの染みの取り方を教えてもらうことにした。

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