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第8話 不思議な朝

 変な一日だった。 「ふぅ……」  一仕事を終えたような溜め息をひとつ落として、鏡の中の自分を見つめた。  やっぱり髪がシャワーの湯気のせいでクセが出てきちゃってる。髪、美容院、予約しないとな。 「……」  洗濯機の静かな稼働音と水のじゃぶじゃぶと賑やかな音。  けれど、彼は起きることなくぐっすり眠ってた。  すごい。  気持ち良さそうに寝てる。一回寝ると起きないタイプなのかな。  よく寝る人って背が伸びるって聞いたことがあったけど。 「……ふ」  本当なのかもしれない。  ベッドをしっかり占領してる長い手足に少しだけ笑って、ソファに寝転がった。  色々あった一日になっちゃった。ヘトヘトだ。だって数時間前にはセックスしてた。それでその帰りに高身長な大人の男一人、抱えて帰ってきたんだ。  眠くもなるよ。 「……」  明日、彼は驚くだろうか。電車に乗っていたのに、目を覚ましたら知らない部屋にいて。しかも裸だし。  すぐ近くから気持ち良さそうな寝息が聞こえる。  気持ちよさそう。  だから、かもしれない。 「ふわぁ……」  とても眠くて。  昨日よりも、普段よりも、ずっと心地良く眠ることができそうな気がする。  それに。 「ふふ……」  明日の彼のリアクションが楽しみで。  明日、起きるのさえ楽しみになった。 「え……? あれ?」  そんな声で目が覚めた。  何時くらいだろう。体感的にはまだ六時くらいかなぁと思うのだけれど。 「何時……」  そうそう何時なんだろう。 「って……え?」  びっくりしたと思う。 「マジか」  はい。マジ、です。 「え、えぇ」  そして、頭を抱えると思う。もしかしたら二日酔いもあるかもしれない。あれだけ泥酔していたんだ。 「マジ? え、ここって……」  どんなに起こしても起きないし、駅まで、僕に寄りかかりながらも確かに歩いてたのに、それでもほとんど寝ている様子だった。 「覚えてないー……えっと、昨日は……」  電車で泥酔してました。  寝ながら歩くなんて器用なことをしてました。  口を切っていたのに、それでも気持ち良さそうで、よっぽどたくさん飲んだんだと思います。 「……っぷ」 「!」  ついに我慢しきれず笑ってしまった。  瞼を開けると彼がすごく驚いた様子で、こっちを見ていた。 「はい? え? 薬局の人」  そうか。僕にとって彼は「謎な人」だったけれど、そんな彼にとって僕は「薬局の人」っていう名称がついてたんだ。  ソファに毛布でくるまっていた僕に朝から驚いた顔で、そして少し寝ぼけてもいる様子の彼の表情がおかしくて、くすくすと笑いが止まらなかった。 「おはようございます」  かっこいい彼の全く違った一面が見られた気がして、寝たふりを続けていられなかったんだ。 「はい。薬局の薬剤師です」  僕は初めてかもしれない。寝起きからこんなに笑いが止まらなかったのは、きっと、生まれて初めてだ。 「あの、服、すみません。コーヒーかな、こぼした感じだったんで洗ったんです」 「……」 「黒い服だったからそこまで目立たないかなって思うんですけど、一応、そこだけシミにならないように洗ってます」  高級ブランドとかではなかった。誰でも知ってるハイブランドの、とかではなかったけれど、手にとるとなんとなくわかる仕立ての良い服だった。なんていうんだろう、クタクタじゃない、縫い目が綺麗って言ったらいいのかな、洋服詳しくなくてわからないけれど、質の良いTシャツなんじゃないかな。だから、シミなんてあったらもったいないなぁって思ったから。  濡れた布を下に敷いて、コーヒーがついてしまった部分に洗剤を染み込ませて、ブラシでトントンしてコーヒーのシミを叩き出すんだそうです。スマホで調べました。 「ちょっと待っててください。すみません。着替え欲しいだろうからって、全部洗っちゃったんで」  丸裸、だからびっくりしたでしょう?  スースーして風邪引かなかったかな。一応、気をつけて、ブランケットを一枚出したんだ。それとまだ寒い日もあるから使っていた冬用の掛け布団なら、多分そこまで肌寒くないでしょう? 「これ……どうぞ。っていうか、シャワー浴びます? 全然使ってもらってかまいません」 「ぁ、ぇ……いいの?」 「もちろん。そしたら、そのブランケット腰に巻いてもらえたら」  バスルームに案内して、シャンプーとコンディショナーを説明して、あとは、大丈夫かな。  ゆっくり使ってくださいって言うと、少し普段よりもボサボサになってしまっているアッシュグレーの髪の彼がコクンと頷いてくれた。  曇りガラスの向こう、浴室からシャワーの音が聞こえ始めて、僕は洗濯機からふわりと乾いた彼の服を取り出した。  うーん……やっぱり少しコーヒーのシミ残っちゃったな。でも、凝視しないとわからないくらいにはなったと思う。 「……」  うん。コーヒーの匂いは取れてる。  下着、すみません。畳ませてもらいます。あ、あと、お風呂上がり、喉乾くかな。ペットボトルのお茶、でいいか。畳んだ洋服とペットボトルのお茶をバスルームの棚の上に置くと、リビングに戻ってきて、自分がソファで寝るのに使っていた毛布を畳んだ。  あ、お腹、空いてる? 朝食くらいなら……適当に。料理は得意じゃないけど。  今日は土曜日、でも薬局の仕事はあるから。遅番でよかった。  彼に朝食くらいを用意する時間はある。  食パンと、ハムがあったはず。それと卵で――。 「あ、卵焼きでもいっか」  目玉焼きにしようと思ったんだけど……崩れてしまった。どんまい。混ぜてしまえばスクランブルエッグっていうことにできるよね。 「あ、コーヒーも」  不思議だ。  昨日は夜遅かったし、コーヒーのシミと戦っていたし、ソファで寝たのに。 「えっと、あとは」  今、すっきりしてた。ソファなんて寝心地そんなに良くないはずなのに、とても良い気分で目を覚ますことができたんだ。

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