8 / 14
第8話 不思議な朝
変な一日だった。
「ふぅ……」
一仕事を終えたような溜め息をひとつ落として、鏡の中の自分を見つめた。
やっぱり髪がシャワーの湯気のせいでクセが出てきちゃってる。髪、美容院、予約しないとな。
「……」
洗濯機の静かな稼働音と水のじゃぶじゃぶと賑やかな音。
けれど、彼は起きることなくぐっすり眠ってた。
すごい。
気持ち良さそうに寝てる。一回寝ると起きないタイプなのかな。
よく寝る人って背が伸びるって聞いたことがあったけど。
「……ふ」
本当なのかもしれない。
ベッドをしっかり占領してる長い手足に少しだけ笑って、ソファに寝転がった。
色々あった一日になっちゃった。ヘトヘトだ。だって数時間前にはセックスしてた。それでその帰りに高身長な大人の男一人、抱えて帰ってきたんだ。
眠くもなるよ。
「……」
明日、彼は驚くだろうか。電車に乗っていたのに、目を覚ましたら知らない部屋にいて。しかも裸だし。
すぐ近くから気持ち良さそうな寝息が聞こえる。
気持ちよさそう。
だから、かもしれない。
「ふわぁ……」
とても眠くて。
昨日よりも、普段よりも、ずっと心地良く眠ることができそうな気がする。
それに。
「ふふ……」
明日の彼のリアクションが楽しみで。
明日、起きるのさえ楽しみになった。
「え……? あれ?」
そんな声で目が覚めた。
何時くらいだろう。体感的にはまだ六時くらいかなぁと思うのだけれど。
「何時……」
そうそう何時なんだろう。
「って……え?」
びっくりしたと思う。
「マジか」
はい。マジ、です。
「え、えぇ」
そして、頭を抱えると思う。もしかしたら二日酔いもあるかもしれない。あれだけ泥酔していたんだ。
「マジ? え、ここって……」
どんなに起こしても起きないし、駅まで、僕に寄りかかりながらも確かに歩いてたのに、それでもほとんど寝ている様子だった。
「覚えてないー……えっと、昨日は……」
電車で泥酔してました。
寝ながら歩くなんて器用なことをしてました。
口を切っていたのに、それでも気持ち良さそうで、よっぽどたくさん飲んだんだと思います。
「……っぷ」
「!」
ついに我慢しきれず笑ってしまった。
瞼を開けると彼がすごく驚いた様子で、こっちを見ていた。
「はい? え? 薬局の人」
そうか。僕にとって彼は「謎な人」だったけれど、そんな彼にとって僕は「薬局の人」っていう名称がついてたんだ。
ソファに毛布でくるまっていた僕に朝から驚いた顔で、そして少し寝ぼけてもいる様子の彼の表情がおかしくて、くすくすと笑いが止まらなかった。
「おはようございます」
かっこいい彼の全く違った一面が見られた気がして、寝たふりを続けていられなかったんだ。
「はい。薬局の薬剤師です」
僕は初めてかもしれない。寝起きからこんなに笑いが止まらなかったのは、きっと、生まれて初めてだ。
「あの、服、すみません。コーヒーかな、こぼした感じだったんで洗ったんです」
「……」
「黒い服だったからそこまで目立たないかなって思うんですけど、一応、そこだけシミにならないように洗ってます」
高級ブランドとかではなかった。誰でも知ってるハイブランドの、とかではなかったけれど、手にとるとなんとなくわかる仕立ての良い服だった。なんていうんだろう、クタクタじゃない、縫い目が綺麗って言ったらいいのかな、洋服詳しくなくてわからないけれど、質の良いTシャツなんじゃないかな。だから、シミなんてあったらもったいないなぁって思ったから。
濡れた布を下に敷いて、コーヒーがついてしまった部分に洗剤を染み込ませて、ブラシでトントンしてコーヒーのシミを叩き出すんだそうです。スマホで調べました。
「ちょっと待っててください。すみません。着替え欲しいだろうからって、全部洗っちゃったんで」
丸裸、だからびっくりしたでしょう?
スースーして風邪引かなかったかな。一応、気をつけて、ブランケットを一枚出したんだ。それとまだ寒い日もあるから使っていた冬用の掛け布団なら、多分そこまで肌寒くないでしょう?
「これ……どうぞ。っていうか、シャワー浴びます? 全然使ってもらってかまいません」
「ぁ、ぇ……いいの?」
「もちろん。そしたら、そのブランケット腰に巻いてもらえたら」
バスルームに案内して、シャンプーとコンディショナーを説明して、あとは、大丈夫かな。
ゆっくり使ってくださいって言うと、少し普段よりもボサボサになってしまっているアッシュグレーの髪の彼がコクンと頷いてくれた。
曇りガラスの向こう、浴室からシャワーの音が聞こえ始めて、僕は洗濯機からふわりと乾いた彼の服を取り出した。
うーん……やっぱり少しコーヒーのシミ残っちゃったな。でも、凝視しないとわからないくらいにはなったと思う。
「……」
うん。コーヒーの匂いは取れてる。
下着、すみません。畳ませてもらいます。あ、あと、お風呂上がり、喉乾くかな。ペットボトルのお茶、でいいか。畳んだ洋服とペットボトルのお茶をバスルームの棚の上に置くと、リビングに戻ってきて、自分がソファで寝るのに使っていた毛布を畳んだ。
あ、お腹、空いてる? 朝食くらいなら……適当に。料理は得意じゃないけど。
今日は土曜日、でも薬局の仕事はあるから。遅番でよかった。
彼に朝食くらいを用意する時間はある。
食パンと、ハムがあったはず。それと卵で――。
「あ、卵焼きでもいっか」
目玉焼きにしようと思ったんだけど……崩れてしまった。どんまい。混ぜてしまえばスクランブルエッグっていうことにできるよね。
「あ、コーヒーも」
不思議だ。
昨日は夜遅かったし、コーヒーのシミと戦っていたし、ソファで寝たのに。
「えっと、あとは」
今、すっきりしてた。ソファなんて寝心地そんなに良くないはずなのに、とても良い気分で目を覚ますことができたんだ。
ともだちにシェアしよう!

