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第18話 社会科見学が楽しみなだけ

 好き、とか。  ――真咲。  恋とか。  ――好きだよ。  そんなのいらないって思ってたから。  ―― そりゃ、まぁ、言ったけどさ。男同士じゃん、ノリってあるだろ? 雰囲気盛り上げるためっていうかさ。  いらない、じゃないか。  そもそもそんなものは「ない」って、僕はわかってるんだ。  だからさ。 「………………はぁ」  まるで自分自身を諭すように、あの頃の気持ちを全部思い出させるように、夢を見た。  あの時何を感じたのか、どこが痛くなったのか、ほら忘れたらダメだろって僕が僕に教えるように、夢で諭された。  昨日の柴くんに助けてもらって、何か浮かれて、忘れたりしないように、僕が何より楽しくない記憶を引っ張り出して来た。  あれを思い出すことって、もう最近なくなってたのに。  姉さんといい、どうしてもう治ったはずの傷口をいじってくのだろう。  実際、今、夢の中で、あいつが好きだよと呟いた嘘くさい笑顔も、開き直って遊びだろと悪びれなく言ってのけた顔も、どこかぼんやりとしてた。  その時々に言われた言葉以外が、目を覚ました途端に手のひらの砂がこぼれ落ちるみたいに、スルスルとなくなっていった。  ただその言葉たちが僕に刺さった痛覚だけは鮮明に思い出せた。  夢見、悪いなぁ。  目を開けて、溜め息混じりに寝返りを打つと、柴くんがコーヒーを淹れているところだった。  小さなワンルームだから寝室というものがないんだ。キッチンもリビングも寝室も全部一緒になっている。 「起きた? おはよー。今日、葉山さん休みなんでしょ? もっとゆっくり寝てればいいのに」 「なんで、僕が休みって」  俺がまだ寝てるからって、カーテンは閉めたまま薄暗い中で白いシャツに黒いパンツ。ちょっときっちりとした服装で、シャツの袖だけまくってる。腕時計とか、しないんだ。  そっか。  髪とか触る時に邪魔になるから。それにメイクとかする人の顔に当たったらダメだもんね。 「朝、起きないでいたから、起きなくて大丈夫? って訊いた」 「え?」  僕に? 「そしたらすごーい眉間に皺を寄せて大丈夫、休みだからって」  えぇ? 僕が? ちっとも覚えてないんだけど。そんなに会話したの? 「したした。葉山さんって案外、寝起き悪い?」  柴くんはソファで寝てる。初日だけ、僕がソファで寝たけれど、それ以降はずっとソファ。僕より身長のある柴くんにうちのソファは小さすぎるからって言ったのだけれど、そうはいかないよって。大丈夫って。住まわせてもらってるんだからとソファに毛布で眠ってる。  そもそもどこでも熟睡できるんだよって笑ってた。 「あんなに喋ったのに覚えてないんだね」 「そ、そんなに?」 「うん」  誰かと一緒に寝るなんてことしたことないからわからない。僕ってそんなに寝相というか寝癖? なんて言うの? かな。寝てる間の記憶、ちっともないよ。 「眉間のシワもすごかった」 「!」  言いながら、柴くんが寝起きの僕の眉間を人差し指でそっと優しく撫でてくれる。 「……そう」  それは、きっと見ていた夢が眉間にシワがよってしまうような夢だったから、だと思う。 「寝癖……」 「!」  そっと伸ばされた手が僕の後頭部を優しく撫でてくれた。 「あの、平気」 「俺、直してあげるよ。寝癖直し持ってるし」 「い、いいよっ、柴くん仕事でしょ?」 「そうそう、そういうお仕事だから」 「あのっ」  メイク道具を詰め込んだバックからスプレーを取って、さっと、僕の後頭部に吹きかけると、少し手櫛で整えてくれる。たったのそれだけ。ただそれだけのことで直してしまう。  ただそれだけのことで、僕の心臓が……。 「はい。オッケー」 「……あり、がとう」  思い出して、ちゃんと。  恋なんて、好きなんて。  俺が起き上がるのを見定めてから、カーテンを開けてくれた。すでに顔を出していた朝日の光が、真っ先に部屋の中、白シャツとアッシュグレーの髪色が眩しい柴くんを照らしてあげてる。  キラキラしてる。  絵みたい、なんて思うくらいには。  けれど、わかってる。ちゃんと思い出してるよ。  大丈夫。  好きも、恋も。  僕には「必要ない」って。 「どっか行くの?」 「? 僕?」 「そう、休みだから」  休みだけど、特にどこかに出かける用事はない。多分、ここからゆっくり起きて、掃除洗濯して終わり、じゃないかな。いつもどおりの休日。 「何も予定はないけど」 「マジで? じゃあさ」 「?」 「来ない?」 「?」 「俺の職場」 「え?」 「ほら、思ったんだけど。お姉さんに彼氏の仕事は何してるの? って訊かれた時に答えられないと、でしょ?」  そう、だけど。 「百聞は一見に……じゃん?」 「でも」 「今日はちょうどスタジオなんだ」  でも、僕なんかが行ってもいいの? 「どう?」 「……けど」 「大丈夫。じゃ、行こう。社会科見学デート」  じゃあって、何も、まだ僕は。 「ね」  ベッドから立ち上がった彼はニコッと笑って、まるで、これから遠足にでも出かける子どもみたいだった。  朝日に満足そうに笑っていて。  ちょっと、楽しそう。  けど、違うから。 「……う、ん。じゃあ……はい」  この、今、少し跳ねた心臓は、違うから。  社会科見学の方に跳ねただけだから。  デート、の方じゃないよ。  ただ、薬剤師をしてたらきっと行くことのない場所に見学に連れて行ってくれるっていうから、ただそれが、楽しそうって思っただけ、なんだ。

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