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第19話 地上と空くらい

 あ、あの人っ。  知ってる。この前、ドラマ出てた。刑事物の、元モデルで、今もモデルしてるのかな。写真集がすごい売れてて、歴代の芸能人写真集の売り上げを超えたって、前に局長に教えてもらった。局長の高校生になる娘さんが大ファンで、その影響でとても詳しくなったんだって言ってた。 「あ、あっち」  アイドルだ。ファイブスターっていう五人組のアイドル。 「わっ、ほ、ほら」 「……っぷ、葉山さん、めっちゃはしゃぐじゃん」 「! だ、だって」  芸能人が普通に目の前を行き来したら驚くでしょう? 薬局勤めの薬剤師には決して目の前で遭遇する機会なんてゼロに等しいのだから。日常的に芸能人に囲まれて仕事している柴くんにはこれが日常なのだろうけれど。僕と、煌びやかな世界で輝く芸能人なんて、住んでる世界が地上と空くらいに違うんだ。 「もう少し、廊下散歩してくる? スタジオも中の方まで入らなければ全然見学、大丈夫だよ? さっきのファイスタも今日、スタジオ一緒だからもっと間近で歌ってるところ見られるし」  え、えぇ、あ、いや、別にファイスタのファンではないんだけど。でも。 「見る?」  見られるなら、それは、もちろん。 「み、見る」 「っぷ、オッケー」  柴くんが思わず笑って、その口元を隠すように手を置いた。 「俺は準備したら、今日スタイリングする人のとこスケジュール通りに回ってくから」  話しながら慣れた手つきで、メイクとヘアセットの道具が入った黒いカバンを開けた。その中にはメイク関係のものがぎゅっと詰まっている。それを並べ替えて、中をチェックしてみたりしてる。中からは優しく甘い、けれどどこかさっぱりとしたいい香りがしてた。 「ファスタの時はスタジオ入るでしょ? まだ廊下散歩してたら? 他のアーティストも来てるからさ」  今日は、スタジオで歌番組の収録なんだっけ。だから、アーティストがこのスタジオにたくさん集まってきてるらしく、さっきから廊下を歩いてるだけでテレビで見たことのある人と遭遇しっぱなしだ。 「ううん……柴くんの仕事、見てる」 「……そう?」 「うん」  そんなに面白いものじゃないよ? と言って、柴くんが小さく笑って、メイク道具の鞄の中から一つガラスの小瓶を取り出した。 「これ、葉山さんとこのお店で買ったやつ」 「あ、うん」 「これ、一番使いやすい」 「そうなんだ」 「なんで、仕入れの継続お願いします。けっこうさ、本当にすごい種類あるから、すぐに他の商品に切り替わっちゃうんだよね。けど葉山さんのところの薬局はずっと同じのを置いてくれてたりするから」  そうなんだ。じゃあ、店長に言っておこう。プロお墨付きなんですって言ったら店長も驚くかもしれない。そしたら、姉も僕が家に戻ることを諦めて、ひと段落して、柴くんが部屋を出て行っても。 「……わかった」  また薬局に来るんじゃないかって。そんなことを考えながら、長い指が踊るように仕事道具たちを整えていく様子を眺めてた。  柴くんの指先は、手は、まるで魔法を使ってるみたいだ。 「じゃあ、今日は、しっかり前髪固める感じにしますねー」 「はぁい。今日のダンス、めちゃ激しいから」 「オッケーです」  音楽番組で見たことがある、ガールズダンスグループの子が真っ赤な髪に真っ赤な口紅で、瞬きをした。長いまつげがパタパタとまるで蝶の羽根みたいに揺らいでる。瞳は誰にも負けない強さがすごく印象的。赤い髪はダンスの度に揺れて、きっと目を引くんじゃないかな。さっき柴くんに新曲なんだって説明してた。炎をイメージしてるって。だから、柴くんもメイクに赤をたくさん入れてて。 「ありがとー」 「オッケー、めっちゃいい感じ」 「うん。いい感じっ」  そして彼女は輝く笑顔で鏡の前で立ち上がって、衣装と髪、メイクを確認すると満足した表情でメイク用控え室を飛び出していった。 「……すごい」 「? 今の子? オーディション番組で選ばれた子たちなんだって。すごいよね。今引っ張りだこ。今回の曲に合わせてのメイクでってお願いされてて」  それはとてもすごいことなんだろう。  売れっ子のスタイリストさんなのかもしれない。 「うん。彼女たちもすごいけど、じゃなくて、柴くんが」 「俺?」  話しながら、今使っていたメイク道具を片付けるのも、テキパキと迷いなく手を動かしてるのも、ここに入ってきた時は赤い髪は目を引いたけれど、普通の女の子だった彼女が、あっという間に炎よりも熱いものを胸にたぎらせているようなアーティストに変わってしまう。その変身をさせちゃう柴くんの手、指先は、魔法が使えるみたい。 「このあと、しばらく空くと思う。本番前のリハが入るから」 「そうなんだ」 「そんなわけで」 「?」  柴くんが振り返って。 「葉山さん、どうぞ」 「!」 「さっきからはしゃいでたから少し髪乱れてる。それにここ来る前、駅からスタジオまで風強かったでしょ?」  確かに、今日は風が強かった。駅に降り立つと、混雑している駅前を少し歩いて、閑静なビル街に入ったところで、ビルとビルの隙間を強い風が走り抜けるようだった。 「あ、りがと」  さっき、普通の赤髪の女の子がアーティストに変身した椅子に座ると、強めの照明に照らされて少し眩しい。 「葉山さんの髪って柔らかいよね」  長い指が前髪を僅かに掬い上げて、後ろへ流すように手櫛を通してくれる。  それがすごく気持ちいい。  とろりと気持ちがほぐれて、瞬きが遅くなる。眠いっていうか、心地よくて。  マッサージしてもらったらこんな心地なのかもしれない。 「縮毛かけてないと髪の柔らかさがよく出て好きだなぁ」 「……」 「縮毛は勧められて?」 「あ、うん。かけたらまとまりますって言われて」 「そっかぁ。まぁ確かにまとまるけどね」  今度は耳の後ろの辺り、ちょうど、髪のくせがよく出て悩ましい辺りの髪を数束、手櫛で撫でてくれる。  ゆっくり、ふわりと指が何度も髪を漉いてくれて。 「縮毛矯正って、本当に綺麗なストレートになるじゃん? それが好きなら別に、それはそれなんだけど」  ストレートにしたら、本当にストンと真っ直ぐになって、それが嬉しかった。ひらりと風に揺れる髪も、頬の触れるサラサラとした感触も。 「維持させるの大変じゃん?」  そう。二ヶ月に一回は掛け直さないといけない。特に、ショートだから、髪が短くて軽い分、すぐにクセが復活しちゃって。かけるとなると三時間は拘束されることになるから。休みがほぼそれで終わったりして。 「このままで充分素敵だし」  わかってるよ。 「俺は好きだなぁ」  好きも恋もない。僕にはどちらもなくて大丈夫って、ちゃんとわかってる。

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