23 / 26

第23話 それよりもっと楽しくて、もっと良いもの

「飲み薬になります。最初の三日間は一日一回、朝食後に服用してください。四日目から朝と晩。食後です」  局長の説明をちらりと耳に挟んで、禁煙用の飲み薬だとすぐにわかった。服用の仕方が独特だったから。普通は同じ分量を一定期間服用し続けるっていうが多い。けれど、その薬は服用するタイミングを少しずつ増やしていく。 「副作用として胃の不快感、吐き気が出る場合があります」  ほら、やっぱりそう。  禁煙の薬だ。  けっこう副作用が出る人が多くて、それが無理で禁煙できないって人も多い。ただ効果は皮膚に貼る物などに比べると高いらしいけれど。僕はタバコを吸いたいとそもそも思ったことがないからわからない。 「できるだけたくさんのお水を飲むよう心がけてください。お大事に」  局長が笑顔で、手早く薬を紙の袋に入れると、処方箋、それから薬の諸注意の紙を添えて手渡した。  僕なら、服用し続けられないかもしれない。  僕がやめたいのにやめられないこと。  例えば、セックスとかをやめられる薬があったとして、その副作用が吐き気だとしたらきっと僕は服用し続けられないと思う。  だって、気持ちいいのを我慢して気持ち悪くなって、なんて何一つ良いことがない。  そう思いながら、あの禁煙の服薬説明をしたことがあったっけ。 「あの薬、けっこう苦手だったなぁ」 「局長、タバコ吸ってたんですか?」 「ずっと前ね」  なんだか、意外だ。局長が喫煙者だったなんて意外で、驚いた顔をしてしまったと思う。 「意外だった?」 「すみません」 「あはは」  だって、真面目で。そういうの縁遠い感じがした。職場の飲み会でもお酒をたくさん飲んでるイメージもないし。最初の一杯だけビールを頼んで、あとはウーロン茶だったり。もちろんタバコも吸ってない。中学生と高校生、二人娘さんがいて、受験だったり、用事があったりと、飲み会には参加しても二次会は行くことがないし。夜遊びをしていそうな感じもない。 「長女が生まれる時に、タバコを辞めようと思ってね」  良いお父さん、っていうイメージがすごくあるから。 「それで禁煙の薬を服用したことがあったんだけど」  そう、なんだ。 「その時は結局やめられなかったなぁ」 「……」 「あ、いや、さっきの人は大丈夫! 多分。きっと」  一人で慌ててさっき薬をもらって帰っていた人をフォローしている局長に少し笑うと、本人も、少しだけ苦笑いをこぼした。 「その時はどうにも胃の不快感がダメでね。服用を続けられなくて、やめてしまったんだ。保険適用外だったから高かったのにね」 「……」 「でも娘がね、ものすごーくイヤそうな顔をしてタバコ嫌いって呟いた時に、もう一度やめようって思ってね」  その時は薬も禁煙外来も行かずに辞めたんだって教えてくれた。しかも、そんなに苦になることなく、すんなりとやめられたって。 「薬局勤めが言っちゃいけないんだろうけど」 「……」 「何かに依存してるのを止めるには、薬じゃなくて」  例えば、今、僕がやめたいなと思っていることがあるとすれば、翌日に響いてしまう不必要な夜更かしだ。またやってしまったって、溜め息をこぼしてしまうのは、その夜限りの相手と寝ること、だ。 「何か別の楽しいこととか気持ちいいこと、それよりももっと良いものがあれば、楽にやめられるのかもしれないね」  その場限りで楽なセックスよりも、楽しくて。 「すみませーん」 「あ、僕が出るよ、葉山くん。はい。処方箋、いただきますね」  それよりももっと良いもの。  そんなものがあれば、楽に、やめられるのかも、知れない。  そう思ったことがあったっけ。  職場の薬局から久しぶりに上りの電車に乗って、揺られながら、前に局長と話した禁煙薬のことを思い出してた。 「……」  電車の窓の向こうは真っ暗でわからないけれど、雨粒が窓ガラスについてないから、雨は降ってないのだと思う。雨が降らないなら帰りが遅いって言ってた。何時になるのかまでは言ってなかったけど。  柴くん、今日は撮影が長引くって、教えてくれた。  でもだから今日ってわけじゃないよ。  確かに姉に恋人のフリをしてもらってはいるけれど、姉が四六時中ピッタリ張り付いて見張ってるわけじゃない。姉が来た時だけ恋人のフリをしてくれたらいいだけで。一緒に暮らしてるのは柴くんがその方が楽なだけで。  夜一緒にいないといけないってルールはない。  別に。  都合が良かった、からで。  ちょうど、良かった、から。  だから別に僕が夜何しててもいいでしょ?  僕が、夜に――。 「いらっしゃい」  同類の人が集まるバーで。  飲んだって。  ここのお店はお酒の種類が豊富で気に入ってるんだ。店内はほどよい暗さで、テーブルの肌触りがさらさらしていて心地良い。お店の中に入ると大きな楕円形のカウンターテーブルがあるだけ。その内側にスタッフの人が入って、お酒を提供しつつ、一人でいると話し相手にもなってくれる。もちろんカップルで来てる人もいる。もしかしたらここで意気投合してのツーショットなのかもしれないけど。全部カウンター席だから、一人で過ごしやすくて気に入ってるんだ。  それに話しかけやすいから、相手を探しやすいとこも良いよね。 「こんばんは」  別にいい、でしょう? 「お好きな席にどうぞ」  セックス。  僕が今夜誰とセックスしたって、柴くんには関係、ない、でしょう?

ともだちにシェアしよう!