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第25話 もっとずっと
ないよ。ないない。
柴くんに名前、呼ばれたことなんてない。一回だってない。
――葉山さん、おはよ。
真咲なんて呼ばれたこと、ないよ。
――おかえりー、葉山さんさぁ。
男同士での恋愛なんてものは不毛だもん。ないよって思ってる。少なくとも僕には「ない」もの。世間だって、「一般的」には男女が「通常」でしょう? 同性同士だって「アリ」だろうけど、自分の子どもが好きになるのは反対側の性別って思うでしょ? 当たり前のように、それが「通常」。だから、男同士っていうのはイレギュラーで、通常じゃなくて、そして、普通じゃない。
誰だって「通常」で「普通」の方が楽だし、無難でしょう?
世間体も気にしなくていいし。
だから、男同士で本当の恋愛なんてできない。
――あ、あのっ、ごめんっ、なさいっ、雨、降ると思ってなくて、そのっ、用事がっ。
すごく良い人だった。
今夜相手になってくれるはずだった人、すごく良い人だった。話楽しかったし、褒めてもらえたし、すごく気持ち良くなれたと思う。のに。店出てホテルへってなった瞬間、嘘だって丸見えなことを言い出して、帰ってしまう失礼な僕にも、最後まで笑顔だった。
なのに、ダメだった。
できなかった。
なんで、僕――。
「葉山さん」
「!」
帰ってきちゃった。
「よかった」
セックスせずに、帰ってきちゃった。
「……柴……くん」
「雨降ってきてさ撮影は中断。夜のシーンはまた別日にってなってさ。帰ってきたんだけど、葉山さんまだ帰ってなくて。朝、仕事行く時、傘持ってなかった気がして」
「……」
「けど、いつ帰ってくるかわかんないから連絡したんだ。傘持ってくよって」
「ぇ」
そうなの? って、慌ててカバンの中にしまっておいたスマホを見ると確かに柴くんから連絡が来てた。
雨降ってきたから撮影中断したよ、って。
それから十分後に、けっこう降ってきたって。
それからまた三十分後に、傘持って行こうかって。
優しい人だ。
仕事が早く終わったよって自分のことを教えてくれて、今から帰るねって、言ってくれて、部屋に帰ったら、僕がいないから、外に出てるなら傘持ってるのかなって心配してくれて。駅まで傘を持ってきてくれるなんてさ。駅から歩いて二分だよ。大雨だって、別に走ってしまえば大丈夫なのに。
こんなの、女の子は好きになる。
こんなに優しく気遣ってもらったら。
こんなふうに大事にしてもらえたら。
「返事ないから大丈夫かなって思ったんだけど、けっこう降ってたからさ。風邪引いたらダメでしょ? 薬屋さんなのに。俺、明日は今日の続きの撮影でスタート遅くなるっぽかったから、夜遅くても良いしなぁって思って」
かっこよくて、スタイル良くて、オシャレでおしゃべりも上手。一緒にいて心地良いって思う。そんな人がさ、自分のことをこうして気にかけてくれる。もちろん誰にだって同じように優しくしてくれるんだろう。女の子にはもっとずっと優しいのかもしれない。
「駅前ところで待ってようかなって思ったんだ。終電まであと数本だし」
駅前にカフェもない。閑散とした終点駅だもの。時間を潰すこともできないのに、それでも終電までの数本、傘を忘れて出てしまった間抜けな僕のことを待っていてくれようとしてた。
「もう飯食べたんでしょ」
僕なんて、柴くんの恋愛対象からそもそも外れてるのに。
男は柴くんの恋愛対象外なんだってわかってるのに。
柴くんにしてみたら部屋を貸してくれるちょうどいい、女の子じゃないから気も使わなくていい、楽ちんな相手なだけなのもわかってるのに。
「? 葉山さん?」
それなのに。
さっきまでサラリーマンの人とセックスする気満々だったんだ。顔もよかった。体格もいい感じだった。手も大きくて。僕、手の大きい人好きだから。話しも上手。一緒にお酒飲んでて飽きなかったよ?
なのに、名前を呼ばれた時、違うって思ってしまった。
柴くんの、低くて、けど、明るい声じゃないって思ってしまった。
そしたら、もう、この顔がチラついて無理になった。
「傘、はい」
柴くんのニコッと笑った顔。
アッシュグレーのキラキラとした髪色。
耳朶に残る、ピアスの痕。
僕より手のひらくらい高いところにある瞳。
あ、違うって。
したかったのに。
セックス。
あのサラリーマンとしたかったのに。
いつもどおりにできると思ってた。大丈夫だと思ってた。
男同士での恋愛なんてものは不毛だ。ないよって思ってる。少なくとも僕には「ない」もの、だったのに。
なのに、知らない誰かとセックスするのをやめて、戻ってきちゃうくらい。
「雨……あれ? あんま降ってないじゃん」
「……」
「さっきまでけっこう降っててさ。これは駅近マンションでも濡れるって思ったのに」
好き。
「葉山さんのほう、雨降ってなかった?」
「……少しだけ」
「えー、マジで? 現場けっこう降ってたんだけど。もしかして葉山さん晴れ男?」
柴くんのことを、好き。
「遠足とか、学校のプールの日とか全部晴れだったりした?」
「……」
「ね、葉山さん」
僕に話しかけながら、まだ少しだけ雨が残る夜空に向かって手を翳して笑ってる、彼のことが。
毎日のようにしてたセックスよりも。
今日見つけたいい感じのサラリーマンとの久しぶりの楽しみよりもずっと。
もっとずっと。
好きになって、しまった。
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