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第31話 決意

「お姉さん、食べずに帰っちゃったね。パスタ、評判よかったんだけどなぁ」  そう言って、柴くんがグーンって両腕を夜空に伸ばした。  姉さんと食事会なんて、僕だって驚いたんだ。姉さんにしてみたら、食事どころじゃなかったと思う。まるで生のにがうりでも口っぱいに頬張ったみたいに渋い顔をずっとしてたし。 「前菜だけじゃお腹、空いてそう」 「……そうだね」  そんなだったから、そもそもきっとパスタなんて喉を通らなかったと思うよ。  それにあの姉さんが言い負かされてたし。二回目だ。あんなに返す言葉を探している姉さんを見るのは。  僕は彼女が投げてくる言葉をあんなふうにしなやかに受け流すことはできそうになくて。 「……葉山さんが上品そうに見えたのって、きっとそもそもの育ちがいいからなんだろうね」 「僕?」 「そう」  確かに、良い家、なんだろう。お金に困るようなことはなかったのだと思う。姉さんのようにレールの上を歩いていけたら。 「僕はすぐに一人暮らしを始めたから」 「……家、出たくて?」 「うん」  あの家にいると窒息しそうだった。罪悪感もすごかったし。父さんたちが将来のことを話す度に、今会社が取り組んでいることを、このあとそれを引き継ぐのは僕なのだからと、熱心に教えてくれる度に、素直に従ってあげるべきなのだって考えと、それを否定して自分本意でいたい気持ちが交互にやってきて、疲れてしまう。 「お姉さん、がさ、あんなに全否定するのって……」 「……」 「ゲイってことが悪いっていうか、それじゃ、幸せになれないって思ってるっていうか」  それは仕方ないんだ。だって――。 「実際、僕が幸せじゃなかったからだよ」 「……」 「どうせ続かないって言ってたでしょ?」  ずっと一緒にいられるって思ってた。彼がいれば、僕は何もかも頑張れるって思ってた。けれど違ってたから。 「一度だけ付き合った人がいたんだ」 「……」 「僕が父さんの製薬会社に入社して、すぐに出会った」  ね? 今、思ったでしょう? 今、その人とは? って。完全な一人暮らしだもの。もうその彼が僕の部屋には一切来たような形跡がないでしょう? 柴くんだってわかったでしょう? 「もうどこかで誰かと結婚してるんじゃないかな」 「え、結婚って」 「僕はただの遊びだったから」 「……」 「父の会社に同期入社だった。一緒に研修を受けて、同じ部署に配属されて、意気投合して、付き合うようになった。でも、父が僕が男と付き合ってることを知ってしまって。その相手は誰だって話に」 「……」 「真剣だったから、言おうと思った。僕には付き合ってる人がって」  そしたら彼が大慌てでそれは言わないでくれって言い出した。  なぜ?  だって僕らはちゃんと好き合ってこうして一緒にいるのにって。  まるで、今の柴くんみたいに、僕らのどこが悪いのだろうと胸を張って宣言してしまおうとしたんだ。 「相手は困るよね」 「なん、」 「だって、父の会社の秘書課の美人と付き合ってたんだから」 「は? それ」 「男同士、結婚もできなければ家族も作れない。そんな不毛な関係をずっと続けるなんてこと、するわけない」  出世もしたいだろうし。 「だから僕らはそこで終わった」 「……それって」 「けど未練とか残りそうもないくらいにコテンパンにひどい言い方されたから大丈夫」 「……」 「痛いって気持ちしか覚えてないくらいだよ」 「じゃあ、今は?」  ね。あんなに傷ついて痛い思いしか残ってなかったのに。  もういやだって、すごくすごく思ったのに。  あんな思い、もう二度としたくないって思ったのに。 「今は……もう、恋愛は」  男同士で本気で恋愛なんて、できっこないって思ってたのに。 「今は、しない、かな」 「…… 「でも、女の人を好きにはなれないから、結局、家族には同じことなんだろうけど。でも、僕はもう」  思ってたのに。  すごくすごく好きな人ができてしまった。 「好きとかそういうの、もういいんだ」  君です。 「姉さん諦めたと思う」 「え?」 「もう言い返したりしなかったでしょ? だから、もう大丈夫なんじゃないかな」  本当は諦めてなんかいないと思うけれど。それを言ってしまったら柴くん、まだ付き合ってくれそうだから。  それは申し訳ないし。  僕も終われないし。 「だから、もし住む場所見つかったら、そっちに行ってもらって大丈夫だよ」 「けど」 「どっちにしても、付き合ってる人がいてもいなくても、僕は女性と結婚なんてできなし」  それは父さんもわかるんじゃないか。それでも結婚を、とか言い出したら、相手が傷つくだけですよっていうし。もちろん、孫の顔は見たければ、姉さんに頼んでくださいって言うよ。 「それより、セイくんが言ってたよ」 「? 何」  大丈夫。今まで一人でやってこれたし。 「ダンサーの人が、柴くんのことって」 「!」  あ、ほら、今、ちょうど、まるで手を挙げるように電話が鳴った。 「電話、出て」 「いや、けど」 「ほら、仕事の電話かもしれないじゃん」  仕事の電話かもしれないし。ダンサーの彼女から電話かもしれない。 「ほらほら」  やっぱり僕は恋愛運というものがないのだろう。 「僕、ちょっと喉乾いた。コンビニでお茶買ってくるから」  あんなに辛い思いをしたのに、もう好きになることなんてないと思ったのに。好きな人ができた。けれど、その人はとても女性にモテて、その人も女性とたくさん恋愛をしてきた人で。  だから叶わない。  叶わないけれど。  少し思うんだ。  あんなに痛い思いをしたのに、もう二度と恋なんてしないと思ってたのに。  それでも好きになったのだから。  離れるまで、君がウチを出て行くまで、少し触れていたいって思った。  だから、この気持ちに。 「柴くんもお茶でいっか……」  この期間限定の「好き」をしばらく大事に味わっておきたいって思ったんだ。

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