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第32話 片想い
ひとつ、決めたことがある。
――パシンッ!
…………痛い。またほっぺた思い切り叩きすぎた。そして、顔を洗いながらだから。
「……」
ほら、また洗面台がびしゃびしゃになった。
「……」
けど、今日は溜め息つかないし。む、ってしたりもしない。
ちゃんと気合いを入れるためにやったんだ。
もう決めたから。
あんなにもう二度としないって思ってたのに、それでも、柴くんっていう人を好きになったことを、さ。
「おはよ、葉山さん」
いつか、柴くんが部屋を出ていくその時まで。
「おはよう」
大いに味わっていようって。
「? 葉山さん?」
彼がなんとなく僕の変化に気がついたようで、その違和感に首を僅かに傾げてる。
「なんでもないよ。今日、朝食、僕が作るよ」
「ぇ」
「……やっぱり」
そう決めた。
「やっぱり一緒に作りたい、かも」
「……」
「あ、ほら、この前作ってくれた卵焼き、和風の。あれがすごく美味しかったから。作り方を覚えたいなぁって」
「うん。もちろん」
君がここにいる貴重な時間をしっかり堪能していこうと思ったんだ。
その後、君が去ってしまったら、きっと僕はまた前のような生活に戻るかもしれない。戻らず、誰か別の人を好きになるのかもしれない。わからないけれど。
柴くんが作ってくれた卵焼きは、ひとりになっても作ろう。
「あ、柴くん、ここの髪が変にボリューム出ちゃうんだけど」
「? そうなの? じゃあ後でセットする時、やり方見せて」
「ありがとう」
僕が生まれてからずっと好きじゃなかった髪。ひとりになってもいい感じにセットできるようになろう。
他にもたくさんあって、その全部をしっかり味わっておきたい。きっと、こんな気持ちになることはもう二度とないんじゃないかって思うから。
「おや」
「局長、おはようございます」
「今日は、なんだか」
朝ごはんを一緒に作った。小さなキッチンで並んで、簡単で美味しい和風の卵焼きの作り方を教えてもらった。ポイントは白だし。ただそれだけだよって、彼は笑っていた。今日は少しアレンジして、中にたらこと少量のマヨネーズを和えたものを置いて、包むようにしてみたんだ。それを思いついたのは、僕。なんとなく、美味しいんじゃないかなぁって。そしたらすごく合ってて、天才なのでは、なんて二人で笑ってた。
柴くんのアイデアと僕のアイデアを合わせて作った卵焼き。
サラダは僕が作って。
柴くんはコーヒーを淹れてくれた。
あとはハムを刻んで。
まだなんか足りないかもってことでお味噌汁に具を多めにしてみた。
きっと一人だったらそんな朝ごはん作らなかった。今まではパンかじって終わりとかそんな感じだったし。
「はつらつとしてるね」
朝しっかり食べて、たくさん話したからかな。
「はい。頑張ります」
「おー、素晴らしい」
たくさん好きな人と話せたからかな。
「あ、局長、僕、店内の棚清掃手伝ってきます」
「うん。お願い」
朝からとても元気なんだ。あまりに元気すぎて、普段よりずっとテキパキ動けて、あっという間に医薬品薬局のエリア掃除を終わらせてしまったくらい。
「おはおうございまーす」
元気が有り余ってるくらい、なんだ。
「ただいまー」
人は慣れの生き物だって、どこかで聞いたことがある。
実際に今、僕がそれをすごく体感してるかもしれない。
一人暮らしだった時は部屋に帰ってきて「ただいま」なんて言ったことなかった。返事がないのだから、挨拶だってしないでしょう? けれど、最近は「ただいま」を自然と言ってる。
「おかえりー」って柴くんが言ってくれるから。
「夕飯、どしよ」
今日は、遅くなるんだって。撮影でNGが連発になってしまって、大幅にスケジュールが遅れてしまったそうで、帰りが日をまたぐかもしれないって。
そう連絡が入ってた。
「……」
久しぶりな気がする。一人。
部屋が静かなのが、なんだか不思議な気がする。ずっと、ずーっとこの中で暮らしてきてたはずなのに。柴くんって、そういう才能もあるのかもしれない。
その場にあっという間に馴染むっていう。
ソファに座ってやたらと静かに感じる部屋の中をぐるりと見渡した。
ソファの肘置きには寝ている時に柴くんが使ってる毛布が畳んで置いてある。今朝まで柴くんが包まってた毛布。
「……」
僕よりずっと手足が長いから、ソファじゃとても窮屈そう。
けれど、いつも気持ち良さそうにこの毛布に包まってて。たまに起こすのがもったいないと思ってしまうほどで。
「……ン」
その毛布に顔を寄せると、ドキドキした。
シトラス系の香りがふわりと、本当に僅かだけどする。僕が髪を切ってもらった時につけてもらったヘアクリームと同じ香りだ。
これ、きっと、柴くんの匂い。
「あっ……」
久しぶりに。
「ン、ンっ」
触ってる。
「……ぁ、ン」
気持ちい。
「あっ」
待って。ローション、棚に。あった、最近使ってなかったし、柴くんはノーマルだから見られないようにって棚の奥に隠すように置いていた。
それを持ってきて、指に纏わせてから、もう一度、触ると。
「あンっ」
気持ちがとろりと蕩けてく。
「あ、あっ」
久しぶりだから。
「あ、ンっ」
柴くんが今朝までここに包まってたから。
「あっ」
やば。もうイきそ。すぐに、イっちゃう、かも。
「あ、イクっ」
キュッて全身が甘く痺れた瞬間、とろりとやらしい気持ちが液体になって身体から溢れた。
「……ぁ、すご、ぃ」
あっという間に達した。
初めてかもしれない。
「ン……」
こんなに気持ちいいオナニーって。
「……は、ぁ」
蕩けちゃいそうだった。
「も、すごい……」
好きな人を想ってするとこんなになるなんて。じゃあ……。
「ン」
じゃあ、彼と……なんて考えただけで、どうにかなってしまいそうで、慌ててそれ以上はやめておいた。
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