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第34話 過去の人
最初に言葉を交わしたのは新入社員歓迎会でだった。
社長と同じ名前なんだな、って言われて、そりゃそうだよ、親子だもの、って内心思いながら、適当に誤魔化して。父親が社長なことは隠して入社したから。その方が社長の息子だっていう目で見られることなく、しっかり学べるから、なんて言って頼んだんだ。本当はただ、父の子どもであること、会社を継がなければいけないこと、色んなことがその時の僕には息苦しくて仕方なかったから。だから逃げ出すためにそんなことを言ったんだ。
けれど、父にしてみても、社員たちのリアルな実情が観察できるし、優遇されることなく、他の新入社員と同等の扱いを受けることで、僕の教育もできるって、父なりにメリットを見出してくれたのだろう。
――一緒に頑張ろうぜ。
そう言って隣に座っていた宇野のことを好きになるのにそう時間はかからなかった。
そして関係に変化があったのは、その新入社員歓迎会から少し経って行われた、部署ごとの歓迎会の時だった。宇野と僕は営業部に配属された。宇野は誰とでも気さくに話のできるコミュニケーション力をかわれたのだろう。
僕の営業部入りは父の意向だったと思う。
あまり人に率先して関わろうとしなかったから。
だから配属されてすぐの頃は慣れない仕事に戸惑うことが多くて。
――葉山はすげぇ頑張ってるじゃん。
嬉しかったっけ。
その時にはすでに好きな人、だったから。
――俺っ、が、好きなのはっ。
好きって言ったのは酒の席でだった。
きっかけなんて単純なものだ。好きな人がいるのかって訊かれて、狼狽えてしまったんだ。それで、気がつかれて。
気持ち悪がられると思った。
ゲイ、ホモ、そんなふうに言われると。
――俺も、気になってた。
否定されると思ってた。
けれど否定されることはなく、むしろ受け入れてもらえて、とにかくものすごく嬉しくて、舞い上がって。
家族には到底言えなかった本当の自分を曝け出せて、たまらなく嬉しかった。
――宇野っ、宇野っ。
もうそこからは夢中だった。
宇野のことばかり考えて、頭の中は宇野との行為ばっかりで。
そんな時に、同じ部署の女性社員が話してるのを聞いたんだ。
宇野が秘書課の美人と付き合ってるって。
最初は信じられなかった。足元がぐらりと揺れて一瞬で地面はタイルじゃなく沼にでもなってしまったかのように、不安定になったように感じた。あいつは誰とでも仲良くなれるから、親しく話してるところを誰かが見て勘違いしたのだろうって。そう思おうとしてた。
けれど、誰とでも仲良くなれるから。
僕と仲良くなってくれた。
僕が、勘違いの方で。
彼女が本命だった。
そこからは、もう。
問い詰めて、傷ついて。
これは恋でも愛でもなんでもなく、興味本位の行為だったってだけのことだった。男相手に結婚も子どもを作ることも無理なのに、どうして本気になる? と言われただけだった。
もちろん、僕は受け入れられなかった。
タイミングが悪いんだ。僕って。
どんな時もタイミングが悪い。
仕事での失敗も多くなって、評価が下がってきた時だった。心配した父親と母親が、将来を心配したのだろう。見合いを勧めてきた。どうしてそんな落ち込んでいるタイミングでそんなことをするのだろうって思うけれど。父たちなりに何か危機感を抱いたんだろう。女性との交際なんて一度もないのだから。
できるわけがない。
異性を好きになる人に、同性と結婚をしろなんて言って、はいわかりました、なんてことにはならないのと同じ。
――できません。
そう言うでしょう?
もうその時は、ただただ、家族の前で、そうでなければいけない自分を装うことができなかった。
そして、諦めたんだ。
父たちの望んでいた「僕」でいることを。
恋だ愛だなんてものと一緒に、諦めて、どこかに放り出してきた。
「宇野、なんで」
薬のルート営業って、局長が言ってた。
けど、その製薬会社、うちの会社じゃなかった。別のところだった。それって――。
「なんでって、そりゃ、クビになったから」
「なんで」
「だから、なんでって、そりゃ、そうだろ」
僕が知ってるのは、僕が親との縁を切る、に近い状態で決別した辺りのことまで。もうその時には宇野との関係は完全に終わっていて、僕にはそのあとの宇野と彼女のことも分かりようはなかった。けれど、結婚していると思ってた。
「って、ここでする話じゃないだろ」
「あ、でも」
「まだ、俺も次の薬局アポの時間もあるし」
「あ、ごめ」
本当に、うちの会社、辞めたんだ。
「医局長さんは?」
「あ、ごめっ、今、所要で出かけちゃってて、代わりに僕が対応を」
「そっか……じゃあ、パンフレットだけ置いとくわ」
「ぇ、あ」
「それじゃあ」
「あ、あのっ」
「……」
背、こんなに小さかったっけ。
もっと背が高かったように記憶してるけど。
「げ、元気?」
何言ってるんだ。どう見たって元気そうに見えないのに。
「……元気だよ」
なのに、そう言って、力無く笑った顔は、まるで別人だった。ぼんやりと覚えてたどの宇野とも違っていた。彼はこんな顔をしていたのだろうかと、思うくらいに。
違う人、みたいだった。
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