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第59話 魔法の水

「あ、もうこんな時間だ」  局長が時計を見上げると、もうお昼をだいぶ過ぎた頃だった。 「葉山くん、休憩入っていいよ。今のうちにお昼食べておいた方がいいかもしれないね」 「あ、はい」  局長に言われて、その場を離れて、スタッフ控え室へと向かうとお財布だけを持って、もう一度、店内へ。休憩時間だから白衣は脱いで、お昼ご飯にとパンを買いに向かう。薬局、だけれど、なんでも揃うからとても便利だ。  お店の一番奥がアルコール類と、この辺にある薬局では珍しく冷凍食品も販売している。パンなどの日持ちしないものはその手前に置いてあって、そこから二つほどパンを選んでから、通路を戻っていくと、スキンケアのところでふと足を止めた。  ――そんなに手入れしてないもんね。化粧水とかも塗らないじゃん。  肌、褒めてもらったけれど。  化粧水、とか。  こういうのつけてるとやっぱり肌違うのかな。  値段もすごく安い千円代のものもあれば、ガラスケースに入って、店員に尋ねないと手に取れないようになってる高級そうなものまで。種類が豊富で選ぶのがとても難しい。  ほら、今、何もしてなくて褒められてるのなら、そういうケアをしたらもっと、褒めてもらえたりするのかな、なんて。  思ったりして。  何か一つ、買ってみようかな。男性用、メンズスキンケアのところで買えばいい? の?  どれがいいのかなんてさっぱりわからず、とりあえず、目についたものの中で、パッケージに書かれてるPRだけを頼りに買うしかないかな。  ハンドクリームもつけたほうがいいんだっけ。  なんて、今までそういう自分のケアしたことなかったなぁって。もちろん身なりは気をつけてるけど、そうじゃなくて、なんていうか自分らしさをちゃんと持った身なりというか。  髪だってそうだ。 「……」  ちょうどそこで、店内にある鏡に映った自分と目があった。  確かに髪、伸びたなぁ。  柴くんに言われるまであまりに気にならなかったけれど。人間なんてとても単純な生き物で、髪が伸びたねと言われただけで急に伸びて来たような気がしてしまう。  次、柴くんの帰りが早い時って言ってた。  ちょっと楽しみだったりする。  もちろん縮毛矯正は全くしてなくて、生まれつきのクセがそのまま出てきてる。  あんなにサラサラストレートがよかったのに。  もう今はこのクセが逆に好きで。  不思議なものだなぁって。  ―― 髪切ったのって、壱都? だよね?  あれは、そう。  僕が柴くんに髪を切ってもらってすぐの頃だった。局長や常連のお客さんに髪を切ったって、こっちの方がいいって褒めてもらってた頃。セイくんが薬局に来た。 「そう、柴くんが切った」って答えたら、少し驚いた顔をしてた。  ―― そっか。あいつ、ハサミ持ったんだ。  少し何か考え事をしているようだった。  ―― ……なんの変化があったんだろ。  そう、言ってた。  柴くんが髪を切ったことがとても意外そうだった。 「あ、葉山さん、お疲れ様です。今から休憩ですか?」 「ぁ、藤野さん、お疲れ様です」 「私は今来た所なんです」 「そうなんだ」 「今日は薬学が難しくて……ヘトヘトです」 「あはは。僕も苦手でした」  藤野さんが大袈裟なくらいに疲れたって顔をして、溜め息を一つこぼした。 「? 化粧水買うんです?」 「あ、えと」  変、だったかな。 「私、この間、スキンケアの品出ししたんです。自分が商品品出しするからか、どれが良いのかとか調べちゃって。成分とか」 「あはは、薬剤師」 「ですです。これ、おすすめです」  そして彼女がひとつ手に取ってくれた。 「成分バッチリですし、アルコールフリー。女性向けなんですけど、男性女性で分ける必要あんまないっていうか、男性特有の皮脂の多さとかがあれば別ですけど、葉山さんそんなタイプじゃないし。なので、ぜひ」 「あ、ありがと」 「いえいえ。肌しっとりする成分バッチリなんです、これ」  肌、しっとりするんだ。それはとても良いかも。  もちろんわかってるよ。これは魔法の水なんかじゃない。  別に、これで、僕が藤野さんみたいに女の子になれるわけじゃない。なりたいわけでもない。  もちろん、これをつけたからって、柴くんが今まで付き合ってきた女の子みたいになれるわけじゃない。太田リコさんの足元にも及ばないって思う。  声だって、身体付きだって、どうしようもないことだし。  諦めてるっていうのとは違う。  それはそれ。これはこれって思ってる。  でもさ。  恋愛映画を観て、気持ちがふわりと色づいた。  デートはすごく楽しかった。  だから、もっとしたい。  デートとか。  もっと一緒にいたい。  そのために、ちょっとしてみたい。  柴くんにもう少し、もうちょっとだけでも好きになってもらえるかもしれない。化粧水ひとつで僕が美人になるわけじゃないけれど、少しでも肌触りが良くなるかもしれないでしょう? 「あ、藤野さん」 「はい」 「また、教えて」  柴くんにもっと好かれる努力を。 「あの化粧水」 「……はい! っていうか乳液もつけるといいですよ」 「え? 乳……」 「えっとですねぇ」  ちょっとしたいなって思ったんだ。

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