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第74話 予定を立てよう
不思議な一日だった。
まさか自分がモデルみたいなことをする機会があるなんて、少し前の僕には想像もできなかった。
毎日、何か物足りなくて、どこか鬱々としていた。
自分が本当に何をしたいのかわからなかったんだ。
本当の自分を家族が否定していたからだと、どこか思っていたけれど、そうじゃなかった。きっと否定していたのは僕だった。家族が望む自分になれなかったことを、申し訳なく思っていた。家族に嫌な思いをさせているだろう、期待外れだろうと。そうさせてしまう自分のことを僕自身もよく思っていなかった。
だから、僕は僕が本当に幸せになる方法を見つけようとしなかった。
今は――。
「楽しかった?」
「うん、とても」
「そっか」
うん。とても楽しかった。
お祭りの後、みたいだ。小さな頃、まだ、自分がなんなのかなんてことは思い悩みもしなかった頃に、父に連れられて、大きなお祭りを見に行ったことがあった。その帰り道もこんな気持ちだった。
「メイク科の」
「?」
「学生たちのメイクを見てる時の壱都くん、真剣だった」
「あはは、そう?」
うん、と頷いて、繁華街とは違う、オフィス系のビルの間から見える夜空を見上げた。セイくんの出身校から駅までの道のり、繁華街とは違う、四角で作り上げられた街並みは整然としている。等間隔で並ぶ街路樹、ゴミの落ちていない、綺麗で幅の広い歩道。通り抜ける風も心地いい気がする。
モデルをさせてもらった後は、観客席で色々な人の創作衣装を見させてもらった。ちょっと、最先端すぎる創作ファッションの良し悪しは僕にはわからなかったけれど。
でも、学生たちの真剣な様子と、壱都くんの楽しそうだけれど、どこか見極めようとするプロの視線と、色々なものを見られて楽しかった。
「社会見学」
「あー、なるほど」
僕の日常にはないものがたくさん詰まっていた。
明日はいつも通りなんだ、と少し不思議な気分がした。
朝からだから、早くに起きないと。今日お休みをした分、伝票の処理とか溜まってるかもしれないから、そこをまずは確認して。店内掃除。あ、来月のシフトも申請しないと。
ほら、今日は、ステージに立たせてもらって、滅多に体験できないことがたくさんだったけれど、明日には「日常」が待ち構えてる。
来月のシフト、か。
「…………ぁ、ね」
「?」
「あの」
そう、来月のシフト、考えなくちゃ。八月。
「あの」
八月も、一緒にいられる、でしょう?
「ら、来月っ」
できたら、九月も一緒にいたい。
「の、シフト、出すんだけど」
「あ、うん」
「も、もし」
無理なら全然。僕にしてみたら、一緒にいられるだけで充分だから。だから、全然。
「壱都くんの、予定、とか」
「……」
すごくプロフェッショナルな仕事で、状況によって色々予定は変わるし。一緒に、その、住んでいると、僕とはまるで違う時間の捉え方をする仕事だなって思う。早番、遅番、があるわけじゃない。その日の撮影スケジュールによっては十時間以上拘束されることもあるし、逆に、あっという間に終わる時もある。不定期で、予定を立てにくい仕事だなって。
だから、その、難しいと思うけれど。
「八月の……」
そう、だから、僕が合わせるし。
うん。
壱都くんの仕事の都合に僕が合わせて休みとか、取れたら、って。
「どこか、行ってみたり」
「!」
「あ、もちろん遠出とか別にしなくてもっ、良いしっ、ただ、その」
「いつでもっ」
完成なビル街に、壱都くんの大きな声が響いて、しまった。
ちょっと、僕らを追い越して行ったスーツ姿の人が、振り返ってしまうくらいの大きな声に、僕も少し飛び上がってしまう。
「真咲は? 数日、休めそう?」
「う、うん。あのシフトで申請をあらかじめしておけば」
「じゃあ、旅行行こうか」
「え、あ、でも、平気?」
「平気!」
そんな元気に返事をするから、思わず笑ってしまった。
まるで小学生みたいで。
「壱都くんに合わせるよ。あ。もし可能なら平日の方がいいかな。土日、というか、医局に処方箋持ってきてくれる方は買い物ついでだったりするから」
だから、病院の隣の薬局と違って、あまり、日曜で休診、とか関係ないんだ。それに一般品の販売フロアの方はやっぱり土日の方が忙しいし。だから、土日よりも平日の方が休みの自由度が高くて。
「オッケー、平日ね。そしたら」
「うん」
「この週なら」
「うん」
慌てて僕もスマホを取り出した。明日、医局長に休みをもらえるように言わないと。
「初めてだ」
「? 壱都くん?」
「真咲から、何か誘ってもらったの」
「……」
そう、だっけ。
うん。
そうかも、しれない。
「旅行もデートもしたい」
「う、うん」
少し緊張した。
だって、君が初めて、なんだ。
「あー、海は?」
「うん」
「避暑地もいいよね」
「うん」
「あ、プールのあるレジャー施設は? キャンプとかできるんじゃん?」
「うん」
「温泉もいいなぁ」
「うん」
「っぷ」
そこで壱都くんが笑った。
どうかした? って首を傾げると、僕を見てまた笑って。
「真咲、うん、しか言ってないし」
「! あ、ごめっ、どこでも良くて、って、あの投げやりとかじゃなく、壱都くんとならどこでも楽しいから」
本当に、君とならどこでもなんでも楽しいだろうから。だから、なんでもいいよ。
「俺も」
「!」
そして、自然と手を繋いだ。
「八月、楽しみ」
「……うん」
手を繋いで帰りながら、僕らは、この夏、どこに行こうか、何をしようか、ずっと話していた。
きっと付き合っていたら、普通の会話なのだと思う。
けれど、僕には、とても特別で、とても新鮮で、この大きな手と同じくらいに大事にしたいおしゃべりだった。
心地いい、風に混じった夏の気配にすら笑顔になる時間だった。
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