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第75話 告白

 あ、そうだ。髪、切ろうよ。  そう言って、壱都くんが笑った。 「え? それってすごいんじゃ」 「まぁねー」  僕らの声がバスルームに響いてる。 「コレクションのメイクアップを担当するなんて」  それから、髪を切る時のなんとも言えない、心地いい音も。 「そっか、この前あった電話はそれだったんだ」 「そ」  シャキリ、シャキリ。 「本番含めて数ヶ月は海外」 「……そっか」  これは僕の誇張なんかじゃなくて、本当に思うんだ。  きっと、世界で一番丁寧な音なんじゃないかって。 「上手くいったら、ずっと向こうで活躍できるかも……」 「……へ、ぇ」  そして、世界で一番、ワクワクする音でもあるって。 「はい。ここで、今、真咲が思ってことを発表ー」  ちゃんと思ってることを全て伝えて、と、壱都くんには言われてるから。 「……寂しい、です。もしも、壱都くんが海外にずっと行っちゃったら」 「うん」  それから、僕は壱都くんの髪を切ってくれる時の音と、この優しい手つきと、穏やかな声がたまらなく好きだ。 「俺も、今は、そんなに行きたいって思ってないな」 「……今、は?」  じゃあ、と、そこまで胸の内で思ってから、ちゃんと言葉にした。 「じゃあ、前は思ったの?」 「……そ。すっごい前ね。海外で活躍したくてたまらなかった」 「でも、壱都くんならきっと海外でも活躍できるよ」 「ありがと、俺もそう思ってたよ」  ほら、壱都くんの低い声がバスルームいっぱいに響いてる。 「前、もうその頃はスタイリストの駆け出しでさ」  もうぴちぴちに若かった頃、って穏やかに笑ってる。  その頃に、ヘアカットの大きな大会があった。カットの大会っていうのがいくつか開催されてて、別にそれに美容師が全員出ないといけないわけじゃないけれど、出てそれなりの結果を出せば、自分の名前が売れる。何よりこの業界は自分の腕次第なところがすごくあるから、そういう大会で結果を出すのはある意味とても有効的だった。  自分もその効果を狙った一人だった。  いくつかある大会に全て挑戦していた。  マジで全部、けっこう暑苦しいよね、と、苦笑い気味に教えてくれた。  確かに、今の壱都くんの穏やかで飄々とした感じとは少し違ってる。 「んで、その時、ライバルって感じで同じようにどの大会にも出てた子がいてさ」 「……それって」 「そう、それが香川」  シャキリ、シャキリ、と心地いい音が止まって、壱都くんの手が優しく僕の髪を手櫛で整えてくれる。きっと、カットの合間で長さとかボリュームとかを確認してくれてるんだ。 「あの頃なら、カットの途中で、こんなふうにチェックとかしなかったなぁ」 「……そうなの?」 「こう切るって決めたら、もうそれに向かって、真っ直ぐカットしてく感じ」 「そっか」 「けど、今は、もっと丁寧に、その人の表情とかさ、後、濡らした髪が途中で少しずつ乾いてきて、その時のうねり方とか見て、調整したいんだ。まぁ、当時の自分にそれを言っても、技術足りなーいって鼻で笑いそうだけど」 「そう? 僕は、嬉しいけれど」  前だったら、きっと、僕は胸の内だけで返事をしていたかもしれない。けれど、言葉にして伝えると、ありがとう、と優しく丁寧な言葉を返してもらえた。 「昔は全然」 「……」 「優しくない、ヤな奴だったよ」  今の壱都くんからは想像もできないけれど。 「自分に自信があって、誰にも負けないって思ってた。負けるわけないじゃんって。だから、その大会の時だって、全然余裕でさ。そしたら、その俺と同じように大会に出まくってた子が、言ってきたんだ」  どうしても、海外で仕事がしたいって。彼女も本気で海外で活躍したくて必死だった。  彼女のほうが必死だった。  自分はそこまで海外思考があったわけじゃない。名前を上げてく、知名度を上げていく、ただそれだけだったから。 「なんか、とにかく上へ行きたかったんだよね。なんでだろう。別にそれがしたいってわけじゃなくて、けど、何かしてたくて、明確な、彼女みたいにやりたいこと、なりたい姿があったわけじゃなかった」  だから、余計に焦っているかのように色々な大会に出て、優勝して、自分を満足させたかったのかもしれない。何か形になる「結果」を与えれば満足するから。  そして、そんな時、明確になりたいものを持っている彼女に言われて、少し苛立ってしまった。  それ、少し僕にもわかる感情だ。  もちろん、僕の場合はそんな崇高なものなんてこれっぽっちもなくて、もっと欲が酷くて、ほんのちょっとだって褒められるものじゃなかったけれど。でもその何かわからないけれど、欲しいものがあって、得たい何かがあって、けれどそれが明確にわからないから、とにかく手を出す感じは、似ているって。 「それって、俺に負けろ、ってこと? って」 「……」 「言ったんだ」  彼女は、そうだ、とは答えなかったけれど、その表情はそう語っていた。 「俺はその時の大会でも優勝した。それから彼女に、ここで勝てもしないのに、海外行けるの? って言った」  少し、今の壱都くんからは想像できない言葉だと思った。そんな強い言葉を、壱都くんは口にしたことがなかったから。いつだって穏やかで、柔らかくて、温かみがあるから。 「その後、もう彼女と、この業界では一度も会わなくなった。俺がその次に出た大会にもいなかった。けど」 「?」 「その大会で俺はカットできなくなった」  あ。 「そこから一切、切れなくなったんだ」  セイくんが言ってたのって。 「なんか手が震えてさ」  ―― 上手いから、あいつだろうなって。そっか。あいつ、ハサミ持ったんだ。  セイくんが、そう言っていた。  なんの変化があったんだろ、って。 「ハサミ、持てなくなったんだ」  そして、壱都くんの声がバスルームに穏やかに響いた。

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