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第5話 奈落の炎
白銀砦を包囲する黒鉄の軍勢が、それまでの執拗な牽制を止め、地を割るような咆哮とともに本格的な総攻撃へと転じた。
魔導砲の斉射が寒空を焼き、降り注ぐ爆裂魔法の残光が雪原を紅く染め上げる。数千の魔導機甲兵が蒸気を噴き上げ、盾を構えて一斉に砦の門へと殺到した。
「怯むな! 障壁を維持せよ! 騎士の誇りを見せろ!」
城壁の上で、カーツの声が轟く。
彼の剣から放たれる蒼光は、背後の騎士たちと共鳴し、物理法則を拒絶するほどの硬度を誇る結晶障壁となって砦を包み込んでいた。だが、敵の物量は圧倒的だった。帝国の放つ重火器の振動が障壁を伝い、カーツの精神を、肉体を、内側から激しく揺さぶる。
「第一門、突破されました! 敵の機甲兵が入り込みます!」
伝令の悲鳴に近い声。カーツは迷わず、障壁の維持を副団長へ託すと、自ら最前線の白兵戦へと身を投じた。
「……ノルズガルドの騎士たちよ、私に続け!」
大剣を抜き放ち、雪崩のごとく押し寄せる黒鉄の兵団の真っ只中へ、カーツは単身飛び込んだ。
降り注ぐ無数の矢が空を覆う。だが、カーツの動体視力と剣技は人知を超えていた。一閃。飛来する矢の束を空中で叩き落とし、その勢いのまま、先頭の機甲兵の分厚い装甲を断ち切る。
「この砦の土は、一歩たりとも踏ませぬ!」
カーツの剣筋は、一分の乱れもない「正しさ」に満ちていた。
重厚な大剣を、羽毛のように軽く、かつ雷鳴のような重さで振るい、脚を、腕を、そして魔導の核を正確に貫いていく。
黒鉄の兵が放つ冷徹な斬撃を紙一重でかわし、その懐へ踏み込んで、重心を失った敵の首を撥ね飛ばす。返り血が純白のマントを汚していくが、その眼差しに迷いはない。
「団長に続け! 北の盾を誇りに思え!」
カーツの勇姿に、恐怖に震えていた若き騎士たちが奮い立つ。彼らにとって、血を浴びながらも背筋を伸ばし、最前線で剣を振るうカーツは、文字通りの「神話の英雄」であった。カーツが前線に立つだけで、戦列の乱れは修正され、士気は熱狂へと変わる。
だが、この苛烈な死闘の最中にあっても、カーツの脳裏には拭い去れない違和感が刺さっていた。
(……何かが、足りない)
眼前の黒鉄の軍勢は、確かに強い。だが、その攻め方はあまりに組織的で、あまりに「単調」なのだ。あの国境で感じた、蛇のような執拗さと、獲物をじっくりと追い詰める冷酷な愉悦。シュハールという男が持つ「個人の狂気」が、この戦場には欠けていた。
カーツは、障壁の向こうに鎮座する「シュハール」の影を見据えた。
黄金の獅子の旗の下、微動だにせず戦場を見下ろす漆黒の騎馬。その存在が、あたかも自分たちをこの砦に縫い止めておくための、巨大な呪縛のように思えてならなかった。
「シュハール、まさか……」
カーツが背後の、自分たちが守っているはずの王都の方角へ視線を投げようとした、その頃──
平和の象徴であった「不落の都」は、今、断末魔の叫びと黒煙の中に沈もうとしていた。
氷壁を越えたシュハールとその精鋭部隊は、吹雪に紛れて音もなく城内へ侵入した。彼らは組織だった破壊工作を開始し、瞬く間に城内の食糧庫、魔導兵舎、そして貴族たちの邸宅へと火を放った。
「敵襲! 裏だ、背後の氷壁から敵が現れたぞ!」
「馬鹿な! あそこは神の拒絶と呼ばれる絶壁だぞ! 登れるはずが――ぎゃあッ!」
悲鳴が上がる。
シュハールの狙いは、単なる制圧ではなかった。
あちこちに少人数の工作員を配置し、同時に火の手を上げさせることで、守備兵たちに「帝国の多勢が既に城内へ溢れている」という致命的な錯覚を植え付けたのだ。
「助けてくれ! 門を開けろ! 王都はもう終わりだ!」
昨日までカーツを野蛮人と罵っていた貴族たちは、一転して、なりふり構わず金目のものだけを抱え、王を見捨てて逃げ惑った。彼らが我先にと避難路へ殺到することで混乱は加速し、統制の取れた反撃は不可能となった。
その地獄図の真っ只中、返り血を浴びたシュハールが、謁見の間へと通じる大廊下を悠然と歩んでいた。
「――止まれ! ここから先は通さん!」
残っていた数少ない若き騎士たちが、震える手で剣を抜き、覇王を遮る。彼らはノルズガルドの正義を信じ、命を賭して王を護らんとする、カーツの教えを継ぐ者たちであった。
だが、シュハールの瞳に映るのは、もはや人間としての敵対者ではない。
「……邪魔だ」
シュハールの動きは、もはや武術の範疇を超えていた。
極寒の氷壁を、指を凍らせ、魂を削りながら登り切ったことによる、狂気と高揚の極致。
彼の振るう黒剣は、重力さえも味方につけたかのように、防具ごと騎士の身体を両断した。一歩踏み込むごとに、床の大理石には真っ赤な花が咲き誇る。
一人の騎士が死に物狂いで放った一撃を、シュハールは避けることさえせず、左手の手袋で刃を直接掴み取った。掌から血が滴るが、彼はその痛みさえ快楽であるかのように口角を吊り上げる。
「見上げた忠義だ。……だが、お前たちの師匠はここにはいない。奴は今、俺の影を相手に、無意味な盾を掲げて汗を流しているよ」
掴んだ剣を力任せに奪い、そのまま持ち主の首を撥ね飛ばす。
その所作には、王としての威厳をかなぐり捨てた、略奪者としての生々しい凶暴さが溢れていた。
崖を這い上がり、爪を剥がし、死の淵を覗き込んできた男の力は、安全な城内で鍛錬を積んだだけの騎士たちが太刀打ちできるものではなかった。
「……ああ、ようやく臭ってきた。絶望と、裏切りの臭いだ」
燃え盛る城の窓から、遠く白銀砦の方角を見渡す。
そこには、蒼く輝く魔導障壁が、寒空の下で今も健在であることを示していた。
カーツ。
お前は今も、必死に守っているだろう。
お前が命をかけて守っている主君は、今、家臣に見捨てられ、腰を抜かして震えている。
お前が未来を託そうとしている王子は、今、私の手の中に堕ちようとしている。
お前が必死に支えているその『盾』の裏側で、すべてが瓦解していることも知らずに。
「さあ、王の間へ行こう。……ノルズガルドの『心臓』を握った時、あの盾がどんな音を立てて砕けるか、聴かせてくれ」
シュハールは血塗れの剣を引きずりながら、重厚な玉座の間の扉へと手をかけた。
背後で崩落する水晶宮の悲鳴が、彼には祝福の音楽のように聞こえていた。
高潔な騎士、カーツが築き上げた不落の伝説。
それが、たった一人の男の狂気と執念によって、音もなく、内側から食い荒らされていく。
王都を包む炎は、白銀の砦を守る者たちを照らす無慈悲な松明となり果てていた。
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