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第10話 惑いの休息
帝都ガルドラの夜明けは、冷徹な機械の鼓動と共に訪れる。
微かな蒸気の駆動音と、正確すぎる秒針の刻む音。それが、この工業国家における「朝の訪れ」だった。
カーツが重い瞼を開いたとき、最初に感じたのは、石造りの床の容赦ない硬さだった。昨夜、ベッドから無慈悲に突き落とされたそのままの場所。節々の痛みと、身体の奥に淀む重苦しい違和感が、昨夜の出来事が悪夢ではなく、動かしがたい現実であることを突きつける。
這いずるようにして視線を上げれば、視界の端で鈍い光が爆ぜた。
首に嵌められた黒鉄の首輪。そして、壁の環から伸びる太い鎖。
その感触は、もはや彼の一部であるかのように冷たく重い。それはかつて「ノルズガルドの盾」と称えられた騎士の誇りを、物理的に、そして精神的に断絶する絶対的な境界線だった。
「……う、あ……」
乾いた唇から漏れたのは、言葉にならない呻きだった。
ふと自分の身体を見れば、昨夜の凄惨な辱めの痕跡――汗や他者の汚れは、いつの間にか綺麗に拭い去られていた。しかし、衣服は一枚も与えられていない。ただ、国境を超える際に無惨にひび割れていた素足には、丁寧に薬が塗られ、清潔な包帯が巻かれている。
カーツはただ、混乱した。
あのように獣同然に扱い、冷たい床に放り出したはずのシュハールが、なぜ、汚れを拭い、傷を手当てしたのか。
(私を辱めたいのではないのか。……それとも、道具として手入れをしているに過ぎないのか……)
辱めと慈しみ。その矛盾する行為の濁流に、疲弊した思考はただ空回りするばかりだった。敗軍の将として命を差し出す覚悟はあっても、このように愛玩動物のように「管理」される辱めを、彼の高潔な魂はどうしても受け入れられずにいた。
静かに、しかし重厚な扉が開いた。
現れたのは、灰色の衣服を纏った初老の男だった。男は一言も発さず、感情を削ぎ落としたような無機質な表情で、手際よく銀のトレイを運んでくる。
何も纏わぬまま床に横たわるカーツは、込み上げる恥辱に身を震わせ、顔を伏せた。
男はそんなカーツの様子に無頓着なまま、トレイを置くと、コンコンと指の背でスープの器を叩いた。それは「食え」という無言の強制だった。
運ばれてきたのは、これまで幽閉先で与えられていた硬いパンとは天と地ほども違うものだった。香草を煮込み、最高級の肉の旨味が溶け込んだ滋養に富むシチュー。そして、芳醇な香りを放つ果実酒。
それは、明らかに弱った身体を労るために特別に用意された献立だった。
(食べない……こんな屈辱を受けて、生き延びてどうする……)
そう思って顔を背けるが、スープの香りが鼻腔を突いた瞬間、胃が悲鳴のような音を立てた。
一度口に運んでしまえば、もう止まらなかった。
身体が、細胞が、飢えた獣のように栄養を求めていた。カーツは自らの浅ましさに涙を流しながら、夢中でシチューを喉に流し込んだ。
だが、食後まもなく、異様な感覚がカーツを襲った。
全身の力が抜け、視界が急速に狭まっていく。
(……食事に、何か……っ)
抵抗しようと床に爪を立てるが、抗えない睡魔が彼を暗闇へと引きずり込んでいく。それは身体の回復を極限まで早めるための、そして逃げ場のない現実から精神を強制的に引き剥がすための、薬物によるものだった。
束の間の休息。
眠りの中で、彼はかつてのノルズガルドの青い空と、無邪気に笑う王子の姿を見ていた。しかし、その夢は長くは続かない。
カツン、カツン。
規則正しく、傲岸不遜な軍靴の音が廊下に響く。
その音が扉の前で止まった瞬間、カーツの意識は、跳ね起きるように覚醒した。
「よく休めたか? カーツ」
扉を開けて現れたシュハールは、王としての威厳を纏いながらも、その瞳には活力に満ちた黄金の光が宿っていた。
カーツは反射的に壁際まで後ずさろうとしたが、鎖の長さに阻まれ、無様に首がのけ反る。一糸纏わぬ姿で床に這う己の惨めさと、昨夜、身体の奥に刻まれた悍ましい記憶。全てが混ざり合い、全身がガタガタと戦慄に震えた。
「……来るな!来ないでくれ……っ!」
「そんなに怯えるな。昨夜は少しばかり、互いに熱くなりすぎた。……今日は、少しは『奉仕』らしくしてやろう」
シュハールは愉快そうに笑うと、壁から伸びる鎖を、巻き取るように手繰り寄せた。
逃げ場を失い、ベッドの端へ追い詰められたカーツに、シュハールは冷徹な、しかし有無を言わさぬ声を浴びせる。
「どうした。お前が従わねば、ノルズガルドに残した民や、教皇国の子どもの喉元に、今すぐ俺の兵の刃が届くことになるぞ。……俺の不機嫌を買いたいか?」
「……っ!」
その一言が、カーツに残された最後の抵抗心を粉砕した。
敗軍の将として、愛するものたちの命を繋ぎ止めるために。カーツは絶望に顔を歪め、屈辱に震える膝をシーツについた。
自らの意志ではなく、愛するものたちの身代わりとして。
高潔な騎士が、無防備な四つん這いの姿勢を強いられる。白銀の髪がシーツにこぼれ、何も身につけぬまま首を繋がれた様は、まさに帝王に飼い慣らされる家畜そのものだった。
「……よく出来たな。傷ついたところは、俺が癒してやろう」
シュハールが取り出したのは、芳醇な香りを放つ最高級の香油だった。
それが、昨夜無理やり抉じ開けられた場所へと、指先によって丁寧に、しかし執拗に塗り広げられていく。
「あ……、あぅ……っ」
不快なはずの接触。だが、塗布される香油の熱と、薬物の残滓で過敏になった神経をなぞる執拗な刺激が、カーツの意識を混濁させる。昨夜のような一方的な破壊ではなく、弱点を探り、服従の悦びを刻み込むような、歪んだ愛撫。
「……っ、やめ……嫌だ、そんな……!」
「嫌か? 壊されるより、溶かされる方が。……だが、これはこれからのお前の仕事だ」
十分な「準備」が整えられた後、シュハールは再びカーツを侵食した。
香油の滑らかさと引き換えに、突き抜けるような衝撃はさらに深く、鋭く。
四つん這いのまま、鎖で動きを封じられたカーツは、シュハールの腰の動きに合わせて翻弄されるしかなかった。
「あ……あぁッ! 嫌だっ、い、や……ああ……っ!」
激しく打ち付けられる衝撃のたび、黒鉄の首輪が軋む。
昨夜よりも情欲を孕んだシュハールの喘ぎが、カーツの耳元で獣のように響く。
激しく、逃げ場のない凌辱。しかし、昨夜とは違う。苦痛の合間に、抗いがたい熱がカーツの思考を奪っていく。
(……壊される。私は、この男に……身体の芯から、作り替えられてしまう……)
騎士としての高潔さは、甘く悲痛な喘ぎ声に上書きされていく。その絶望こそが、シュハールが最も好む美食だった。
ガルドラの冷徹な夜の中に、堕ちた英雄の絶叫だけがいつまでも溶け込んでいった。
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