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理性

「おはよう。休日出勤悪いね。予定は大丈夫?」 俺は念入りにシャワーを浴びた。耳の裏や脇を重点的に洗った。加齢臭が出ないよう、日々食べるものや風呂には気をつけている。 が。 今日はそれどころじゃあない。 またマスクをして診察する予定だが、歯に丁寧にフロスを施し、歯磨きは15分ほど行った。 「大丈夫ですよ。今日はVIP予約があった場合の待機シフトなので。最近は日曜日も簡単な施術の予約があって、看護師も2、3人はシフトに入っていたんです。ただ、たまたま今週は予約がなくて。私だけ待機シフトになっていただけなんです」 「なるほど。じゃあ、いつもご苦労さま。スタバのチケット、受付のPCの脇に置いておいたから、帰りにお茶でもしてね」 「先生〜! ありがとうございます! 新作飲みたかったんです!」 女性看護師はペコペコお辞儀をすると、即座にスタバのカードを受け取ってご機嫌そうだ。 「……ところで」 「あ、今日の患者様ですね」 「うん、ごめんね。俺、芸能人に疎くてさ……特に仕事内容を詮索したりはしないんだけど、顔が命の商売だろうから……ちゃんとカウンセリングしたくて。一般皮膚科だとしても、迷惑にならないように最善を尽くしたいんだ」 「先生って、αなのに本当に謙虚ですね。あ、すみません……バースだからどうこうはマナー違反とわかってますが、先生があまりにも真面目なのでつい」 看護師はニコニコしながらデスクにゆっくりと座り、今日の患者リストが掲載されている予約システムにログインを行っている。 だー! 俺は全然謙虚なんかじゃない!! 早く! 早く! 今日の患者がシュガクレの誰なのか教えてくれ!! 無理!! 心臓が口から出そう!! なんか分かんない汁が脇から溢れ出て、加齢臭になっちゃうじゃないか!! あー、もう。彼女、名前なんだっけ。おっとりしてて良い子だ! けど今の俺には遅すぎる!! 「あれ……すみません……なんか調子悪くて、顧客リストが……グルグル回ってます」 「いやいや、まだ予約時間まで1時間ほどあるし。ゆっくりで大丈夫だよ」 大丈夫なわけないだろう!! ログインパスワードは合ってるのか? ちょっと勘弁してくれよ〜。 バンジージャンプで突き落とされる前の気分だ。胃がヒューヒューする。 あぁ、俺のあそこもぎゅっと縮んだ。 情けない……。 よし、ちょっとだけ暖くんのことを考えよう。 ちょっとだけ。 先週、暖くんが出ていたお笑い番組の審査員、良かったな。暖くんは表情がコロコロ変わるからワイプに抜かれやすいんだよなぁ。 小さなお口をいっぱいに開けてケラケラと笑う暖くん。可愛い犬歯がチラチラ見えてゾクゾクしたなぁ。 喉ちんこが見えそうなくらい笑ってたからなんだか卑猥で、変なファンに切り抜かれてTikTokで流されないか不安になったよ。 あー、可愛い。ヤバい。 俺もお笑い芸人になっていたら、暖くんに笑ってもらえてたかな。 暖くんのためなら全身タイツになって、情けない姿を見下されても構わない。 むしろそれが幸せなんじゃないか? 全身タイツでいるだけで、暖くんに馬鹿にされて……。 『なんでずっと全身タイツなの?』 『あぅ……暖くんに喜んで欲しくて』 『うける! お兄さん大丈夫?』 『大丈夫じゃないです〜』 『あははははははは! 勃起してるじゃーん! あははははははは!!』 「……すみません……すみません……」 「先生! 先生!? 寒川先生!!??」 「わ! え!? ご、ごめん! 考え事してた……」 「もー、先生。あ、失礼しました。こちらへどうぞ」 はぁ、またやってしまった。ちょっと妄想するつもりが、また暖くんユートピアへ向かっていた。 「……すみません、早く来すぎちゃって」 冷静を取り戻した瞬間、聞き覚えがありすぎる声が目の前に広がった。鼓膜を通して細胞が指先から震え始める。 こんな感覚は人生で初めてだ。 俺は思わず大きく深呼吸をして、空気を鼻からふんだんに吸い込んだ。無臭なのに身体を抱きしめられるような香りに目眩がする。 「予約した、花宮暖です」

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