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第21話
三月十一日。
「行ってきます。」
待ち合わせの時間は十時。
余裕を持って家を出る。
電車に揺られること三十分ほど。
待ち合わせの場所に着き、時計を確認すると九時四十五分。
颯希がその場で待つこと五分。
伊織からメールが届いた。
「もう着いた?俺、十時ぎりぎりになりそう。」
驚いた。
伊織が十分以上の遅刻をしないことに。
決して馬鹿にしているわけではなく、今まで何度遊んでも必ず十分以上の遅刻を繰り返していた伊織。
それが今日は約束の時間にぎりぎりでも着くというのだ。
偶然かもしれない。
気分かもしれない。
それでも、思わずにはいれなかった。
(穂積も、楽しみだと感じてくれているのだろうか?)
口元に笑みがこぼれ、咄嗟に左手で口元を隠した。
十時二分。
「おはよ。颯希。」
背後から声をかけられ振り返ると緑のモッズコートに身を包んだ伊織がいた。
前の開いたコートから、Vネックの白いケーブルニットに少し緑がかったジーンズが見える。
首にはシルバーのネックレスが見える。
相変わらず、見た目だけならしっかりしていそうだ。
「おはよう。穂積。行こうか。」
自然と表情が柔らかくなる。
あれだけいろいろと考えて不安になっていたことが嘘みたいだ。
「そうだね。」と伊織も微笑み、颯希の隣を歩いて、水族館へと向かう。
館内へと入ると、様々な大きさの水槽の中で泳ぐ魚が見えた。
各水槽の周りには子供も大人も集まっている。
真っ先に見えた、小さな魚たちが多く集まっている水槽。
伊織がまじまじとその水槽を覗く。
「颯希、颯希!やばい。この魚、可愛い。」
お腹の赤い、小さな魚を眺めながら、伊織は颯希を呼ぶ。
魚をキラキラとした目で眺めるその姿が、先ほどまで水槽を眺めていた小学生くらいの男の子数人と同じで、颯希の口元が緩む。
少し進んで、今度はペンギンのコーナーへと進む。
「うわっ。すごい…。」
可愛らしい見た目からは想像もできないほどの速度で水中を泳ぐペンギンに驚き、颯希から声がでる。
「あっちで歩いてるの、可愛い。」
伊織の指差す方へと顔を向けると、ペンギンのよちよち歩く姿が見えた。
よろよろとゆっくりとした動作は伊織を思い出せて、颯希はまた笑う。
今度はクラゲのコーナー。
薄暗い中、ふわふわと泳ぐクラゲが多くの水槽を彩る。
ふと伊織を見ると、最初の水槽同様、目をキラキラさせてぼんやりと水槽を眺めていた。
その横顔は何を考えているのだろう?
キラキラと輝く青緑色の瞳からは楽しいと感じていることはわかるが、ぼんやりと数十分も眺める姿からは考えていることはわからない。
「どうしたの?」
だから颯希は聞いてみる。
いつもなら声をかけず、伊織を眺めて、視線に気づかれたら目を逸らしていたが、今日はちゃんときく。
悠馬が背中を押してくれたのだから。
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