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第39話

 十時四十五分。 「着いた!」  スケート場にたどり着いた三人。  悠馬が明るく場を盛り上げるけれど、颯希と伊織のギクシャクとした空気は消えることがない。 「俺、トイレ行ってくるね」  スケート靴をレンタルし、受け取った後、伊織はそう言ってお手洗いの方へと歩いていった。  颯希は考え込んだり、ストレスを溜め込んだりするけれど、あんな風に強引な行動はしない。  特に、相手が伊織なら尚更のことだ。  けれど、そんな颯希が自らの欲に流された。  それは、いつもの自制心が効かないほど颯希の心が追い込まれていたことを示している。  そう考えた悠馬は口を開いた。 「なあ、お前さ。かなり、限界きてただろ?」  焦るでも驚くでもなく、颯希は顔を俯かせ、静かに頷く。 「また、なんかあったんだろ?」 「それも、勘?」  言い当てられて、颯希が聞くと、悠馬はため息をついた。 「まあ、確かに。勘で言い当てることもよくあるけどさ。俺、お前の癖気づいてるからな」  颯希は不思議そうな表情を浮かべた。 「俺の、癖?」  癖というのは、行なっている本人では気づきにくいものだ。  そしてそれは、今の颯希も同様である。 「そ。悲しいこと、辛いことがあると、よく噛むだろ?下唇」  颯希は咄嗟にその右手で口元を隠した。  そこには悠馬の言う通り、悲しみでついた傷がいくつも残っているからだ。  伊織が帰ってきてこないかを心配しつつ、颯希が小さめな声で昨日あったことを手短に話す。  話し終えた後、悠馬は優しく颯希の頭を撫でた。  まるで、「辛かったな」と慰められている様に感じられて、颯希の胸に温かい気持ちが込み上がる。 「とりあえずさっきのは俺が止めたけど、お前はちゃんと伊織と話せよ」  先ほど、抱きしめる颯希を悠馬が止めに入ったのは悠馬の意図的な行動だった。  悠馬は、伊織が颯希の胸板を押し離そうとしていたことに気づいていた。  そしてその拒絶ともとれる行為に颯希が傷つくことが容易に予想できた為に、そうなる前に二人を止めに入ったのだった。  ただでさえ、神崎のことでナーバスになりがちだった颯希。  伊織に拒絶反応を示されたら、硝子のように脆い颯希の心は一瞬にして砕け散るだろう。  普段は母親の様に生活習慣などに口煩い上に、中学二年生にして炊事洗濯等、家事全般をこなせる颯希。  けれど心が弱く、こと恋愛に関しては臆病すぎるほどだ。  それでも、心の痛みを一人で抱え込もうとしたり、自らの欲求に逆らえず、従ってしまうあたりちゃんと男なのだが。  「やはり三人の中で一番不思議な人間は颯希かもしれないな」と悠馬は思った。  笑顔で「久々なんだし、三人で楽しく遊ぼーぜ」と言う悠馬に、颯希は「そうだね」と柔らかく笑う。  戻ってきた伊織に、颯希は声をかけた。 「さっき俺、ちょっとどうかしてたみたい。困らせて、ごめんね」  嫉妬心が暴走して、自分を止めることができなかった。  今思い返しても、本当にどうかしてしまっていたと思う。  伊織の反応が怖くて、颯希はぎゅっと目を瞑る。  こんな時ですら逃げてしまう自分に嫌気がさすけれど、それでも目を開けるのが怖いと思う自分に、颯希は呆れるばかりだ。 「…うん。驚いたし、困った」  伊織の落ち着いた声が颯希の心に刺さる。 「でも、大丈夫。俺は、大丈夫だよ」  その言葉に、颯希は瞑っていた目を開く。  目の前には、以前と変わらず、ふわりと優しく笑う伊織がいた。

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