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第43話
「次、伊織な!」
悠馬が伊織の背中をぽんと叩く。
伊織は唸りながらも渋々ピッチングルームに入った。
「頑張れー」
もちろん中には聞こえていないが、悠馬が元気よく声がけする。
いつも丸まっている背中はピンと張られ、バットを持ち上げる。
一級目には反応できなかったらしく、ボールの速さに目を見開いて固まっていた。
二球目以降は軽くバットに当てるだけ。
ゆったりとした動きでバットを扱う。
「あいつらしいよなぁ」
悠馬が呟く。
「のんびりしてるよね」
「そー。マイペースっつーの?」
「まさにそれだよね。周りがどれだけ急いでいても、穂積だけは焦らない」
三人で昼食をとっている時も昼休み終了時刻を気にせず、周りはみんな帰っている中食べている。
移動教室も同様に、チャイムが鳴っていても速度を一定に保ったまま歩いて教室に向かう。
眉ひとつ動かさず、いつも通りに。
それはまるで、伊織の中だけゆっくりと時が進んでいるように。
「悪いことじゃないけれど、決まった時間は守るべきだよね」
颯希はため息をつきながら話す。
「まあ、いいんじゃね?それが伊織だし、俺らもそれに慣れてきてんだから諦めるしかないと思うぜ」
悠馬が颯希に目線を向け、にっ、と笑う。
「慣れって怖いね」
はあ、と再度ため息を吐く颯希に、悠馬が話しを切り替える。
「んで、さっきどうかした?」
「やっぱり、それをきくよね」
二人の雰囲気から悠馬が察しないわけはないと颯希にはわかっていた。
「まあな」と返した悠馬に颯希がゆっくりと口を開く。
先ほどの伊織との出来事を説明し、少しだけ照れた。
「照れてどうするよ」
悠馬がツッコミを入れる。
けれど、仕方のないことだと思う。
普段何も言わない伊織に、自分がどう見られているのかよくわからなかった。
親友と思ってくれていることはその態度でよくわかったけれど、言葉にされたことなどなかったのだ。
それが「頼ってほしい」と伝えられて嬉しく感じるのは当然のことで、自分のことをそこまで大切に感じてくれていることに舞い上がるのも当然。
そして、照れくさく感じるのも当然なのだ。
「まあ、俺も気持ちはわかるけど」
悠馬も少しだけ俯いていた。
頰をかきながら再度口を開く。
「あいつ、言うことは言うっつーか、発言が男前というか」
「うん」と一言返した颯希はじんわりとした温かさを感じた。
やはり友人止まりで、自分が伊織から特別視されているわけではなかったけれど、親友として「悔しい」と悲しそうに呟くほどに伊織が自分を大切に感じてくれていることに素直に感動した。
そして「好き」は増す。
「…これ以上、好きにさせられても困るよ」
ぽつりと溢れた小さな声。
それを悠馬が聞き逃すことはなかった。
「…大変だな。いろいろと」
悠馬の言う、「大変だな」はきっと、男が好きだからとか、友達が好きだからとかではなく、相手が伊織だからだろう。
颯希の恋心を刺激し続けてしまう、伊織を好きになったからだろう。
「うん。でも、だからこそ諦めたくない」
「頑張れよ」
颯希のまっすぐな瞳を見て、悠馬は嬉しそうに笑った。
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