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第44話

「…疲れた」  伊織がふらふらとしながらピッチングルームを出る。 「お疲れ様」  笑顔でそう言いながら、颯希が中へと入る。 「次は颯希かぁ」  悠馬が中の様子を覗く。 「気になるよね」  伊織が悠馬の隣に立ち、同じように中を覗く。 「抜けてるところあるしな」  悠馬のその発言に「ね」と返し、じっと颯希をみる伊織。  一球目が飛んでくると颯希は目を見開いた。  予想していたより、ボールが速かったらしい。  けれど、二球目三球目と続けていくと意外にも早くコツを掴んだらしい颯希はしっかりとボールを捉えていた。  それを見ていた悠馬がははっ、軽く笑う。 「成長力やばすぎ」 「すごいよねぇ」  伊織はまったりとした雰囲気で笑っていた。  それを見た悠馬がそっと声をかける。 「なんか、機嫌よくね?」 「まあね。悩んでたことが一つ、すっきりしたんだー」 「そっか!よかったな」  嬉しそうに笑う悠馬と同じように、伊織も笑った。 「あのさ」  伊織がぼんやりと悠馬に話しかける。 「どした?」  何気なく出たのは、いつもの軽い口調。  視線を向けた先には、珍しく姿勢を正した伊織がいた。 「突然友達から、頰にキスされたら…悠馬はどう思う?」 (伊織…、お前それ。ド直球すぎるだろ)  そんなツッコミを心の中で入れつつ、悠馬は平然を装って口を開く。 「うーんまあ、その子は自分に気がある…んじゃね?って思うかなぁ」  普通は今の伊織の言葉を聞けば、相手が女の子と思うことは当然だと考える。  颯希には悪けれど、伊織だって大切な親友だ。  真剣に悩んでいるなら、真剣に、素直に、思ったことを伝えたい。 「…そう、なんだ」  伊織は鈍い。  色々なことがスローペースで進んでいるけれど、こと恋愛に関しては鈍すぎる。  颯希に抱きしめられたのは、何かに悩んでいる颯希が切羽詰まって行ったことだと解釈した。  さらには、神崎からの頰へのキスについても、悠馬にそう言われるまで気のせいだとか、何か他に理由があるはずだと考え、とにかく恋愛方面から遠ざかる。  もともと思い込みが激しい上に、自らが傷つきやすいことが拍車をかけ、こんな状態になっているのだろうけれど、それにしても酷すぎる。  伊織がこういう人間だと知っているからこそ、悠馬はあの時、颯希に「大変だな」と告げたのだ。  考えれば考えるほどこれからの颯希の苦労が想像でき、悠馬は瞳を閉じた。  そして、伊織の厄介で、素直な面がもう一つ。  それは、目の前の伊織の顔が少し赤いことに関係している。 「…大丈夫か?」  そっと告げると、顔を俯かせ、小さな声で「うん」と返される。  そう、恋愛面にもの凄く鈍い代わりに、一回自覚すれば思い切り意識しだすところだ。 (神崎のやつ、やってくれたな…)  悠馬は伊織に聞こえないように小さくため息をつき、伊織に自覚させてしまった自分と、その原因である神崎を静かに恨んだ。  そして同時に、罪悪感を感じる。 (…中立って、辛いなぁ)  颯希を応援したい気持ちと、伊織のためにできることはしてやりたいと感じる自分。  二人とも大切な友人だからこそ、苦しいものがあるのだ。 「んー、難しいね。これ」  ガチャリと扉を開き、颯希が戻ってくる。 「お疲れー」 「お疲れ」  すでにいつも通りに戻った伊織と、笑顔で話す悠馬。 (確かに、心苦しいこともあるけど。二人が笑ってるならそれでいいかなぁ)  微妙にキザなことを考えた自分を恥ずかしく感じながらも、悠馬はいつものように元気に笑った。

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