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3話 それはただのクッキー缶

 フタミは基本的に、合理的な性格である。理系らしいともいえ、商人らしいとも言える。そんな合理的な理由から、タスクは先延ばしせずにすぐに実行する。 (これで良いよな。評判良いし)  フタミが手にしているのは、丸い形をしたクッキー缶である。『日の本商会異世界出張所』で取り扱っているこのクッキーは、良質な小麦とバターがたっぷり使われている、ハイクオリティなクッキーだ。缶には植物とウサギのモチーフが描かれており、贈り物として人気が高い。原材料をヨツギのリンドウ子爵領から仕入れ、クッキーのレシピはイチルが考案。大規模生産設備の設計をフタミが。パッケージデザインをミツハが行った。なお、『日の本商会異世界出張所』の従業員の半分は、ミツハと同じ孤児院出身者である。  作りたてのクッキー缶からは、まだ甘い香りが漂っている。乾燥剤は石灰を使っているが、密閉技術についてはまだまだ改善しなければいけない。 (お礼は早くないとな)  と、持ち前のお育ちのよさを発揮しつつ、フタミは寮の部屋を抜け出した。    ◆   ◆   ◆  全寮制である王立ステラ学園には、寮棟が三つ存在する。そのうちのひとつの建屋は、規模は小さいが一番豪華絢爛な外観となっている。言わずもがな、高位貴族の寮である。  今年は皇太子が在学とあって、警備の強化もされているのだが、あくまでも平和な国の警備である。ちょっと手荷物検査を受ければ、基本的にするっと入れてしまう。まさに乙女ゲームクオリティである。なお、ゲームでも『王子を呼び出す』というトンデモシステムがあるため、フタミは全く気になっていない。  内部に入ると取り次ぎの執事がいるため、ロビーで待つ。プライベートルームへ部外者が入れないためというよりも、原作が全年齢乙女ゲームのため、男性の部屋に入れないフィルターだと、フタミは思っている。 (おー。高そうな絵画がいっぱい。調度品も豪華だし、いいなあ、こういう家、住みたい)  フタミはお金持ちという生活に、憧れがある。前世も今世もお金に困っているわけではないが、資本主義の国に生まれて、『持っているもの』が勝つ経済構造にどっぷりと浸かってきた現代人の若い感性として、お金があるイコール『強い』という脳内変換が起きているのだ。したがって、資本主義の奴隷である彼は、まだ経済のなんたるかを分かっていないにも関わらず、お金が好きだ。なんというか、脳筋である。現代社会の歪みかもしれない。 「このソファめっちゃ良いな……。どこのメーカーだろ」  思わず背面を確認しようと、座面をひっくり返したところで、呆れ交じりのため息が降ってきた。 「何をやっている」 「あ。ディオルフ」  青い美しい髪をサラサラと揺らして、ディオルフが眉を寄せた。突然訪問して、公爵家嫡男を呼び捨てにするフタミに、ディオルフは何か言いたげな顔をしたが、ため息一つで済ませる。 「……貴様……。用件はなんだ」 「入学式の時は、助けていただきありがとうございました。こちら、つまらないものですが」  そう言って、ザ・日本人なお辞儀をしながら、クッキーの入った缶を手渡す。ディオルフは眉間のシワをますます深め、怪訝な顔でフタミを見下ろす。 「これは―――? というか、貴殿は自己紹介を忘れているな?」 「え? ああ~……」  そういえば自己紹介をしていないと、思い返す。ディオルフと会ったのは二回目だが、迷子になったのを助けてもらったときも、ろくに自己紹介していない。ディオルフのことは一方的に知っていたので、気にしなかった。 (自己紹介。自己紹介かぁ……。それは、まずくない?)  脳内で、イチルの『関わるな』というお説教が聞こえる気がする。 (うん。だよな)  フタミは首を振って、にへらと笑った。 「あ、いえいえ。お構いなく」 「はい?」 「お世話になったお礼に来ただけなんで」 「おい、ちょっと待て。お前さっきから無礼――」  ディオルフの言葉を遮るように、手のひらを突きつける。唖然とするディオルフに、フタミは笑顔を見せた。 「じゃあ! また――じゃなかった。そういうことで!」  |また《・・》はないのだったと言い直し、嵐のように去っていくフタミに、ディオルフはクッキー缶を持ったまま呆然と立ち尽くした。    ◆   ◆   ◆  あまりに非常識な存在に、軽く目眩を感じて、ディオルフは額を押さえて、既に元凶が消えた扉を見る。 (何だったんだ……)  ディオルフは意味が解らないと、眉間のシワに指を這わせる。  ディオルフ・デルフィニウムといえば、建国以来の由緒ある家柄の嫡男である。小公爵と呼ばれることもあるが、基本的に親しい人間以外から呼び捨てされることはない。 (まあ、平民に言っても仕方がないが……)  平民が多少不敬を働いても、貴族はそこまで罰を与えたりはしない。彼らとはそもそも、教育が違うからだ。侮辱は徹底的に潰されるが。 (だからといって、自己紹介もしないとは……)  ディオルフに面会を求めた相手が、あの時の少年だと知ったとき、ディオルフは内心、警戒をしていた。ディオルフ・デルフィニウム家は、建国からの歴史を持つ、由緒ある家柄である。  それを――。 (まさか……。|相手にされないとは《・・・・・・・・・》思わなかったな)  クッと、口端を吊り上げる。  自分の周囲に群がるのは、デルフィニウム家の権力や何らかの支援を欲しがるものばかりだ。だから、彼が訪ねて来たときも、そんな『下心』があるものばかりと思っていたのだが。 (珍しい、黒髪だったな)  この国で、漆黒の髪は珍しい。今年は四人も入学したということで、ちょっとした話題になっていたのを思い出す。  グリーンガーネットの、鮮やかな緑の瞳。濡れたように艶やかな、黒い髪。 (何者だか)  手の中に残された、クッキー缶を見下ろす。缶からは焼きたての甘い香りがふわりと漂っていた。 「……変わった缶だな」  思わずボソリと呟いたディオルフの背に、見知った声が掛けられた。 「ディオルフ、どうした? 自習すると言っていなかったか?」 「――殿下」 「殿下は止してくれ。俺たちはいとこ同士なのだし、それにここは学園だ」  そういって肩をすくめるのは、このラローズ国の皇太子であり、ディオルフにとっては幼馴染みでもある少年、レヴァン・ラローズ・グローリーである。  レヴァンはディオルフの手の中にあるクッキー缶を見て、目を瞬かせた。 「なんだそれは。お前、『日の本商会異世界出張所』のクッキー缶じゃないかっ?」 「ひのもと……?」 「ああ、流行に疎いヤツめ。間違いない。芸術品のような缶、ツヤツヤしたこの手触り。『日の本商会異世界出張所』を真似て画家に絵を描かせた商会もあるようだが、このつるりとした質感は間違いない、本物だ。どこで手に入れたんだ? 母上も入手できないと言っていたのに」 「―――」  ディオルフはその言葉に、改めてクッキーの缶を見つめた。  フタミたちは気づいていないが、彼らがクッキー缶を販売するまで、缶の商品は存在したがラベルを貼るパッケージが一般的だった。それをリトグラフで缶自体に印刷を行い、ニスで塗装することにした商品は、この世界において革命的だったのだが、本人たちはそのことに気づいていない。缶が存在していたことから、疑問が湧かなかったのだ。 「その缶はシーズンごとに柄が変わるんだ。コレクターもいるぞ。もちろん、中のクッキーも素晴らしい」  そういって、レヴァンが手を差し出す。 「なんだ、その手は」 「お前は甘いものが得意でないだろう?」 「……これは俺が貰ったものだ」 「一緒に過ごす学友に、分けてやるという発想はないのか?」 「……まあ、ティータイムには招待しよう」 「そう来なくては」 「フロストにも声をかけるか……」  ちゃっかり、クッキーを食べる気満々の幼馴染みに呆れながら、ディオルフは手の中のクッキー缶を抱き締める。 (『日の本商会異世界出張所』か……。つてでもあるのか……?)  王室ですら入手困難なクッキーを、気軽に持ってきた少年の瞳を思い出しながら、部屋へと向かう。  ほんの少しの好奇心が、ディオルフの胸を優しく撫でていた。

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