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第3話
「七瀬君、いつものでいい?」
「はい、それでいいです」
美也子さんはおれの返事を聞き、キッチンへと消えていく。ここの主である柊一さんは美也子さんが座っていたソファーに腰かけている。どっちがお客さんなんだかわからない。
まあ、それも彼らしいと言えばそうなのだけど。
「柊一さん仕事終わったの?」
この時間の指定は彼の仕事の都合でこうなったのだ。今日俺は休みだったし、もっと早く来られた。でも、彼から仕事が残ってるということでこんな中途半端な時間になった。せっかくの休みだから彼と少しでも長く居たいという気持ちなのだが、なかなか彼には伝わらない。
「まぁだいたいはな。締め切りまでもうちょっとだから、あと少し踏ん張ればどうにかなるだろ」
「え?終わってないのに大丈夫なの?」
俺は唇に手を当てる。
「どこかの誰かさんがかまってやらないと拗ねそうだったからな」
いじわるそうな顔を作り、柊一さんは俺の顔を見る。
「べ、別に…そこまでじゃないよーー」
「ふうん」
からかい口調で少しだけ嬉しそうに彼は言う。
どこまでも嫌味な人だ。なんでこんな人を俺は好いてしまったんだろう。きっと世の中にはもっと優しくて何もかも包み込んでくれる温かい人が居るかもしれないのに。
俺だって昔はそれなりにモテた。
なんたって中高とサッカー部のキャプテンをやっていたんだ、浮いた話もあった。彼女も居た。10代の青い春の時代。誰もが通る思春期の頃。
重い怪我で挫折し、サッカーというものから去って五年以上。彼女というものも消え、今は会社は立派だが、やっていることは五年も経つのに変わっていないしがない平社員。
昔の俺が見たらどう思うだろう。今を否定するわけじゃないけれど。
「はい、七瀬君いつもの持ってきたわよ。柊一もいつものね」
いつの間にか美也子さんがキッチンから帰ってきていて、俺にはスポーツドリンク、柊一さんにはホットコーヒー、自分用にもホットコーヒーを淹れたみたいだった。
「ありがと美也子さん」
「いいえ~」
俺の言葉に美也子さんが艶っぽく笑う。ああ、またこの笑みで何人の恋愛経験の少なそうな男は堕ちる。特に年上で美人好きの男には効果絶大だ。こういう人と普通につきあっている柊一さんというのはそれだけで凄いと単純に思う。しかも自分のマネージメントもしてもらっているなんて驚きとも名づけようのない不思議な感情 が起こって、世の中は不公平だらけだなぁとつくづく彼を見て感じる。
「そういえば今度また柊一の本が出るって話なの。七瀬君の会社が印刷担当するかもしれないわ」
美也子さんは軽く手を叩く。
「え、そうなんですか。でも俺事務班だからなぁ…」
切ないけれど、事実だ。俺の会社は凄くても俺自体とは関係ない。出版系の話があっても部署が全く別だ。グラフィック関係の部署なら関係あるかもだが、俺は蚊帳の外。プライベートはどうあれ公的には全く柊一さんとは会うことのない。俺の立場から見れば、柊一さんは雲の上の人で、有名人と一般人。普通なら到底結びつかない。
そんな訳で、日々の平和を尊重する俺としては、柊一さんの関係をごくごく一部以外誰も知らずに穏やかに続いていて、幸せである。出版業界という枠の中でそれでいいのかという疑問はちょっとだけ湧くけど。
「パソコン大好き七瀬君だからな」
また嫌味を柊一さんは俺に言う。
「七瀬君は仕事でずっと使ってるだけでしょ、柊一は口が減らないわね。柊一だってさっきまでパソコンいじってたじゃない」
俺の代わりに美也子さんが柊一さんにつっこむ。
柊一さんはパソコンで創作活動をしている。昔気質のペンと原稿用紙という感じではない。数回だけ入れてもらった仕事部屋がパソコンと数冊の本があるだけで質素だった。俺のイメージの作家というと、本がやたら並んでいて、書きかけの原稿とかがそこら中にあるっていうモノとはかけ離れていたので驚いたことがある。今や原稿もデータで取引する時代。柊一さんのスタイルは決して珍しくはないんだろう。
でも、自分の書いた本もろくに置いてないっていうのは柊一さんの独自のスタイルなのか。ナルシスとではないけれど、自分の書いたものってそれこそ大事にするって感じあったけど、彼にはそれが欠落している。俺だったら全冊そろえていつでも自分で振り返られるようにしておくけどな。
「まあ今の時代使って当然の道具だからな」
そう、道具。物書きでも俺のような事務屋でも使うマルチな道具、パソコン。それを通じて交流や果ては犯罪までもが起こせる怖い道具でもある。使っているようで、使われているってこともある怖いツールでもある。
「今はスマホなんてものも出てきたけどね」
スマホのおかげで世の中が一層データ化時代に拍車がかかった。今は老若男女問わずスマホで、簡単にネットの海に潜れる。会社ではパソコンを使っているが、普段はスマホしか俺は使わない。家にパソコンが無いってこともあるけれど。
「それこそ七瀬君大好きスマホ様じゃねーか」
屈託なく笑う柊一さん。何が面白いのか。
確かにスマホは好きだ。好きというよりなくなっては困るモノだ。メッセージツールにスケジュール管理、簡単な調べもの、困ったときのAI頼みで、困りごとがあった時等に無料のAIツールに頼み込むこともある。スマホのゲームもたまにやるし。俺が特別好きって事じゃないって思うけどな。世の中俺よりスマホ依存症の人間なんてザラにいる。
「ああ言えばこう言う…ね。柊一は子供なんだから」
美也子さんは短くため息をついて、自分の淹れたコーヒーを口に運ぶ。
「そうそ、柊一さんはガキなんだよー」
美也子さんの言葉に乗ってみる。これ位ならいいだろう、俺だって言いたいこともある。柊一さんは俺に一瞥をくれると、手に持った美也子さんの淹れたコーヒーに口をつけた。言い返せない?これは美也子さんの言葉に乗った俺の勝ち?ささいなことだが、ちょっとだけ嬉しい。
「ま、七瀬だしな」
その一言で終わってしまった。本当に食えない人だ。
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