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第7話
「美也子さん帰った。七瀬君によろしくってさ」
柊一さんがリビングに戻ってきて俺に告げる。俺がうだうだと考えてるうちに美也子さん帰ってしまったか。
美也子さんが言った柊一さんと二人っきりになった。確かにこうなることを願ってはいたけれど、実際そうなるといささか緊張する。
「美也子さん帰って、七瀬と一緒だと俺がメシ作らなきゃならねえから面倒なんだよ…」
いかにも面倒くさげな顔をしている柊一さん。俺は貼り付けた笑顔を浮かべる。
それもその筈、俺は一人暮らししてるっていうのにカップラーメン位しか作れない。他にレパートリーはインスタントのお茶漬けとか、冷凍食品を温めるだけの食事とか。親に口酸っぱく「これからの男は料理ができなきゃダメだ」と言われてきたが、全く出来ない。故に俺の部屋のキッチンはとても綺麗だ。インスタントの焼きそばでお湯を捨てるだけだからだ。
逆に柊一さんは長く一人生活をしていただけあってか、それなりに料理ができる。いわゆる男飯っていう無骨なモノではなく、家庭料理の温かさがあるほんわりとした料理。何もできない俺からすると素直に尊敬に値するレベルだ。そして美也子さんは更にレベルが高く俺からすると神のレベル。家庭料理からレストラン仕様の一品までなんでもござれの美也子さんの料理スキル。柊一さんが美也子さんが帰るのを惜しがる理由はそこにもあるのだろう。
「じゃ出前取ろうよ、ウーバーとかで」
一人前じゃ難しいが、二人ならピザでも頼める。若干高価にはなるが。
「食材あるンだよ、今日食わなきゃ悪くなるヤツもあるからな」
そう言いながら柊一さんはキッチンの方に向かっていく。俺もそれについて行く。
「七瀬が来ても意味ねーよ。どうせ俺が作らなきゃならねぇし。少しは七瀬も簡単な料理ぐらい覚えろ」
俺の方を振り向き、柊一さんは吐き捨てるように文句を言う。その顔は月明かりで三年前に見た時と何も変わらず美しい。あの時と違って今はえらく不機嫌そうだが。
「よくこの不景気に一切炊事やらずに一人暮らしなんてできるもんだよ。高給取りでもないってのに」
それは柊一さん以外でもよく言われる事だ。自分で料理出来たら、食事代だけで生活費かなり削れる。栄養の偏りも今よりなくなるかもしれない。だが、出来ないものはどうしようもない。
「柊一さん教えてくれたら考える」
「やだね、めんどくせ」
即答。
「俺じゃなく美也子さんに教えてもらえよ。美也子さんの料理の腕は知ってるだろ」
「そりゃそうだけど…」
「何か不満か?」
「・・・・・」
俺は柊一さんに何も言い返せない。そりゃ美也子さんの料理スキルは神レベルなのは知ってる。それでも俺は柊一さんに教わりたい。そう言おうとしたが、言葉にならない。俺はたまらず下を向く。
「…バカかお前は」
俺は唇をへの字に曲げる。感情がそのまま顔に出る。こういうところが子供っぽいのだろう、25という年齢の割に。
中高とサッカー部のキャプテンというポジションに居ながらも、中身はコレだ。…俺は25年間何を学んできたんだろう。大人の階段上ってるはずなのにな。
「さてと」
柊一さんはキッチンの奥にある大きな冷蔵庫の前に歩いていく。俺は黙ってその場に留まる。俺は柊一さんの後姿がきちんと目に映るように顔を上げる。柊一さんは冷蔵庫を開ける。
柊一さんの家の冷蔵庫は一人暮らしとは思えない大きな冷蔵庫とその大きさに比例して中身もごっそり入っている。ほとんど冷凍食品の保存庫と化してる俺の部屋の冷蔵庫とはえらい違いだ。
そこから彼は何をチョイスして、何を作ってくれるんだろう。今日は彼の手料理が食べられる。
よく胃袋を掴むとはいうけれど、それは男性同士でも成りうるんだろうか。俺が作るならともかく、柊一さんが俺の胃袋を掴みにいかなくても俺はここにいる。
……。
やっぱり美也子さんに料理教えてもらおうかな。少しでも柊一さんへのポイントをアップさせることが出来るのなら。
確か柊一さんって食べ物についてもどこかの雑誌でコラムを書いてた。棚にずらりと和洋中全部賄えそうに並んだ調味料。食というものにこだわりがある証拠だ。
一回ぐらい柊一さんに俺の手料理を食べさせて「美味しい」と言ってもらえたならさぞや満ち足りた日が俺にくるだろう。好きな人に褒めてもらえるという当たり前の幸せを享受できる。
皮肉屋で素直な性格ではないし、口も肥えている柊一さんにその一言を言わせるのは至難の業なのは百も承知だし、そう簡単に25年間何一つ料理を学ばなかったスキルゼロの俺がそのレベルまで到達できるとは考えられない。
何かしら奇跡が起こって、そんなことになったらいいなと俺は夢想する。
「七瀬、嫌いなもんは無かったよな?適当でいいだろ」
「うん」
現実は逆だ。柊一さんが作って俺が食べる。俺は食べるだけの人。胃袋を掴まれてる方だ。柊一さんの家に来る女性の中でも柊一さんの手料理は好評で、俺以外にも胃袋を掴まれている人は居る。それが目当てで来る女性も居るらしい。
…どんだけ人を魅了するんだよ。その恵まれたルックスだけでも十分なのに文才もあるし、料理の腕もある。サッカーしか無かった俺には眩しすぎる。
「柊一さんって、確かピアノも弾けたんだよね?美也子さんと一緒にセッションもしたことあるって美也子さんが言ってた」
「よく覚えてたな。昔の話だ」
柊一さんは冷蔵庫からいくつか食材を取り出し、レシピを考えているようだ。
「関根柊一」は、ジャズピアノも弾く小説家でコラムニストという話だった。本に詳しい同僚が教えてくれた情報によると。ジャズボーカルをやってる美也子さんとジャズ繋がりか。サッカーボールと戯れていた俺と同じ時期、彼は文学だけじゃなくピアノも弾いていた。恐ろしいほどに俺と接点が皆無だ。
三年。知り合って三年。
あの雨の夜から三年。いまこうしているのが奇跡だ。「関根柊一」を知らなかった俺は少しだけ覚えたジャズのフレーズとともにこの街の風景に消えていく。
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