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第9話

 二時間ほど経ち、柊一さんが野菜サラダとペペロンチーノをバゲットとバターと共にだしてくれた。今日はイタリアンな夕食だった。  家庭料理でペペロンチーノが出てくるところは流石だなあと何も作れない俺は思う。少なくても自宅に居る頃俺の家のテーブルにあがったことはない。パスタ系だったら、もっと庶民的なミートソースやナポリタン(関西だとイタリアンか)。俺の母親があまり料理得意な人ではなかったというのもあるけど。パスタにバゲットも一緒なんていったら、イタリアンレストランかカフェか…俺の日々日常はそんなもんだ。 「俺の家はレストランでもねえんだけどな」  そう言いながら、柊一さんは自分の作ったパスタを口に運ぶ。 「俺からしたら立派なレストランだよー。柊一さんのパスタ美味い」  しっかりと鷹の爪が入ったペペロンチーノはちょい辛くて、さっぱりとした味。ニンニクの風味が効いてる。ほくほくとした顔で俺は柊一さんのペペロンチーノを食べる。 「幸せそうな顔してんな、七瀬。お前の幸せの基準って低くねえか?」 「だって、美味しいごはんだけでも嬉しいのにさ、その美味しいご飯を柊一さんが俺だけに作ってくれたんだよー!」  こんな幸せが続くのなら、料理スキルゼロでもいいかな。好きな人の作ってくれたご飯を食べる、それにそのご飯は凄く美味い。これを幸せと言わずして何が幸せというんだ、俺は世界中に言いたい。 「別段、お前のためだけに作ったんじゃねえけどな。美也子さんが帰ったから仕方なくだろ」  美也子さんの作る料理が美味いことは知っている。美也子さんが作ればもっと高レベルの夕飯にありつけただろう。でもここは柊一さんと二人きりで柊一さんの作ったメシを食べるという、今の俺にとって最高のシチュエーションには敵わない。 「いいの、いいの。柊一さんの作るメシ美味いし、二人きりだし」  呆れ顔をした柊一さんは短いため息をつく。 「ため息ばかりしてると、幸せが逃げるよ、柊一さん」 「ため息もつきたくなるだろ。何が悲しくて七瀬と二人きりなんだよ」  俺は飲みかけのスポーツドリンクを一気に飲み干す。 「だって今日ならいいって言ってきたの柊一さんじゃん。時間も約束通りに来たじゃん、俺」  今はメールからLINEというものに連絡手段は変わったが、柊一さんがこの日なら空いてると俺に連絡が来たのだ。 「スルーしてもらっても良かったんだけどな」  俺は口に含んだサラダを飲み込み、彼に文句をつける。 「今週全然会ってないじゃん!柊一さんが忙しいのはわかるけどさ」 「忙しいのわかるんだったら、空気を読んで来ないって選択は七瀬の中にないのか?」 「来てほしくなかったらそう言えばいいのに!」 「そう言ったらまたグチグチと拗ねるんだろ、お前は」  俺は押し黙る。  柊一さんは俺をどうしたいの?俺はどうすればいいの?何をすれば柊一さんにとって正解なの?さっきまでの幸せ気分はどこかに霧散してしまった。今は黙々と柊一さんの手作り料理を食べる。  美味しいのに美味しくない、否、味がしない。柊一さんとのやりとりで、大きく膨れ上がっていた幸せという風船は一瞬でしぼむ。  美也子さんが居てくれた方が良かったのかな。二人きりというのはリスクが大きすぎたのかな。  柊一さん、答えを教えてよ。俺にわかるように教えてよ。  閑散とした室内。  柊一さんも何も言わない。ただ時間だけが過ぎていく。  この部屋には音がない。一目見てわかる防音もしっかりしてそうな豪華そうなマンションに料理に使う器具や調味料は揃っているのに、どこか質素なダイニング。花一つ飾られていない、女性たちが行き交う部屋なのに。たまに花がある日もあるけれど、今日は花がない。愛でるものがあるだけでも違うのに。  今どきの音声で指示をし、音楽を流してくれるスピーカーもリビングにはあるが、今いるダイニングにはない。  俺か柊一さんが言葉を発さない限り無音は続く。 「さて、洗うか」  無音状態を打ち破ったのは柊一さんだ。言うなり立ち上がり、自分の食べた皿と二人で食べ、何もなくなった皿を数枚重ねていく。 「俺も手伝う」  俺も立ち上がり、自分の食べた皿を持つ。 「いい。七瀬はリビングでおとなしくしてろ」 「作ってくれたの柊一さんだし、俺何もしてないし…」  柊一さんは手を振る。 「いい。七瀬にやらせると皿とか割りそうだし、お前はリビングに行ってろよ」  彼は皿さえ洗わせてくれない。俺そこまで不器用じゃないんだけどな。柊一さんの食器どれもブランドものっぽくて、色彩まで統一されてる。一つでも欠けると嫌なんだろう、きっと。…そう自分に言い聞かせる。  俺はリビングへ行き、ソファーに寝転がる。三年前と同じように。  柊一さんの部屋を行き交う女性たち。彼女たちはきっと柊一さんとそれぞれに濃密な時間を過ごしているのかもしれない。  美也子さんも?  マネージャーだし、付き合いも長いし、柊一さんは絶大の信頼を置いているし、そういう関係があっても不思議じゃない。  触れ合うことのない俺の指はそのままソファーの上でただ暇を持て余す。  ダイニングよりも広いリビングは一人でいると淋しさと嫉妬で押しつぶれそうになる。  柊一さんの部屋に来るプライベートなつきあいをしている中、俺だけ何もない。メールは知ってる、LINEも知ってる、電話番号も、住所も、顔も、声も。知識ばかり増えていくのに、俺は何もない。  柊一さんにとって俺は何なの?  近づこうとすると離れてく。彼に触れたくて。でも触れられなくて。  三年かかって少しは距離近づいたと思ってはいるけど、それでも彼に触れることは俺には許されていなくて。  いつになったら触れられるの?そういう日は俺には訪れないの?  俺はいつだってここにいるのに。柊一さんの傍にいるのに。

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