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第11話

「どうした」  柊一さんと視線がぶつかる。柊一さんの顔との距離が20センチあるかないか位。恋人の距離といわれる距離だ。胸のざわめきが激しくなる。  触れたい、彼に。三年間触れられなかった彼に触れたい。 俺はそっと手を伸ばしてみる。 「七瀬、なんだこの手は」  彼の手が俺の手に触れる…というか、掴まえられる。 「な…なんでもない…」  手を引っ込めようとしたが、彼の手のひらに収まったまま手が動かせない。  思ったのとは違うけど、初めて彼に触れた。その手はしなやかで細く丸みはないが、女性の手のようだった。  顔も近い。彼に触れられて、俺の胸の鼓動は大きく跳ねる。彼から目を逸らせない。刹那、手をはねのけられる。 「何のつもりだ、七瀬」  少し強めの口調で俺を諌める。  俺が何をしたというのだろう。ただ純粋に触れたかっただけなのに。その想いさえも彼は持つなというのか。 「柊一さん、俺だって…」  俺だって、美也子さんや他の女性たちみたいに柊一さんに触れたい。女性たちに許されて俺には許されないのはあまりに不平等だ。  それに今このまま離れたら二度とこの人に触れられないかもしれないという恐怖にかられる。あのしなやかな細い手に触れられなくなるのは絶対に嫌だ。  柊一さん、同性同士の恋愛を嫌うのか。俺も三年前まではそちら側に居た。恋愛嗜好は異性にしか向かなかった。  …けれど。 「気分がそがれたな。終わりだ、終わり」  柊一さんはまたパソコン画面に目を移し、俺の体を腕で除ける。その瞬間、俺との恋人の距離も終わりを告げた。 「十一時も過ぎたし、七瀬明日会社だろ、さっさと寝ろよ」 「俺、寝に来てるんじゃないのに…」 「仕方ないだろ、もう遅い時間だろ。それとも何かやりたい事でもあるのか?」  柊一さんの家にはゲームは二台ある。  任天堂スイッチと、PS4だ。どちらもリビングに置いてある。この仕事部屋には柊一さんの仕事に関するものしか置いていないが、柊一さんの出した本もある。ゲームをするにも、本を読むにもいい。俺が選んだのは… 「俺も柊一さんの寝室使いたい」  あのキングサイズのダブルベッド。何を夜中しているのか想像するのも容易い大きなベッド。 「…結局寝たいのかよ。お前いつもソファーベッドだったからな」 「…しゅ、柊一さんも一緒に寝てよ」  俺だって、柊一さんに触れたい。二人きりの夜をベッドで過ごしたい。何もなくてもいい。あった方が嬉しいけど…。 「何が悲しくて七瀬と寝るんだよ。ベッドは貸してやるから一人で寝ろよ」  彼からの返事は冷たかった。甘い夜は俺にはお預けってことか。今まで触れることすらできなかったんだから、当たり前といえば当たり前か。  少しぐらい夢を見せてくれてもいいのに。  でもね、柊一さん。あのベッドに寝ろと言われて誰が寝られるんだ。あのベッドには女性たちと柊一さんの甘い残り香が残ってる。柊一さんと一緒ならともかく、一人でなんかとても眠れない。 「……このまま寝るなんて無理。子供みたいだって笑われてもいいから、もう少しだけ、柊一さんも起きててよ」 「俺は仕事があるから起きてるけど?リビングでゲームあるからゲームしてるか?それとも俺の原稿を書くのを隣で見てろよ」 「じゃ、俺、柊一さんの隣に居る…」 「何にも出ねえぞ」 「いいよ、別に。ここに居るだけでいい」  柊一さんはまた短いため息ついてる。今日で何度目だろ。後ろ側で柊一さんの顔は見えないけど、呆れてるのかな。  画面の光に照らされた横顔は冷淡で、視線はこちらにすら向かない。はねのけられた手のひらが、酷く冷えていく気がした。もう寒い季節は過ぎたというのに。追い出されなかっただけマシだと思いながら、俺は一番遠い壁に背中を預け、ずるずると床に座り込む。  カタカタ、と静かな部屋にタイピングの音だけが響き始めた。俺の知らない、華やかで、どこか狂った世界の言葉を、あの綺麗な指先が紡いでいく。触れることは許されなくても、この音を聞いているだけで、彼の世界の片隅に混ぜてもらえたような気がして――俺はそっと、膝に顔を埋めた。

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