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第12話

「ふわぁ~」  俺はあくびをすると、体にかけてあった毛布を見る。柊一さんが夕べ掛けてくれた毛布と一緒だ。リビングからわざわざ取ってきて掛けてくれたのか。俺は寒くもないのに、その毛布に頬ずりをする。彼の匂いを確かめるように。目の前の柊一さんは徹夜したようで、まだキーボードを打っている。  その柊一さんが俺のあくびで、手を止め、俺の方に目を向けてくれてる。 「おはよう、柊一さん」  朝一番に好きな人と会話をするってそれだけで幸せだ。同じ部屋に一緒に居るっていうだけで気持ちが満たされていく。 「柊一さん眠くないの?」 「いつもこんな感じだからな、慣れてる」  柊一さんは作家という自由業。時間を会社に管理されてるサラリーマンの俺とはまるで違う。 「七瀬、六時だぞ。メシ食っていくだろ?」 「うん。柊一さん作ってくれるの?」 「お前何も作れないだろ。簡単なスクランブルエッグくらいなら作ってやるよ」 「ありがと、柊一さん」  俺は軽く手のひらを前に合わせ、拝む。昨晩に続き朝も柊一さんの手料理が食べられる。昨晩は口論(というか勝手に俺がキレた)した所為で、途中で味がしなくなったけど、朝は美味しく食べられる…と願いたい。 「その前に俺シャワー軽く浴びたいんだけど」  昨日俺は柊一さんに追い出され、リビングで寝てしまっていた。その後柊一さんを探してこの仕事部屋に来た。せめてシャワーぐらいは浴びたい。柊一さんは即座にOKの返事をしてくれた。脱衣所にあるタオル適当なら好きに使っていいとも言ってくれた。  俺は柊一さんの言葉に甘えて、階段を下り、一度リビングに寄り、置いてあるカバンに入っている着替えを取ってから浴室へ行く。  伊達に三年間通ってない。案内されなくても憶えてしまった柊一さんの家。今じゃ何がどこにあるかもおおよそ見当がつくぐらいになってしまった。  脱衣所に行くと、新品のタオルが積まれていた。どのタオルも俺の家で使っている物よりも高そうなのが一目でわかる一流品揃いだ。どれでも使っていいとのことだったので、手っ取り早く一番上の淡いブルーのタオルを手に取る。きっとこのタオルも明記はないがどこかの一流ブランドの物だろう。  どこまでも違う俺と柊一さんの地位、名誉、財力。その差をタオル一枚にも感じてしまう。俺は浴室に入り、置いてあるスーパーやドラッグストアじゃ売ってない通販限定のような横文字で印刷されてるボディソープを、これも浴室にあったボディブラシにつけて泡立てる。  「関根柊一」は俺みたいな一般庶民からすれば雲の上のような人。そんな人の家に来て、今はこうして浴室で一人、体を洗っている。  夕べは手まで触れた。それに柊一さんは俺が寝てると毛布を掛けてくれる。リビングで寝ていた時も、柊一さんの仕事部屋で寝ていた時も。俺には悪態ばかりつくけど、それだけじゃない。あの毛布は温かくて柊一さんの匂いがした。  俺はずっと中高、小学校の頃とかも合わせると10年サッカーボールをひたすら追いかけてた。その頃はその頃で楽しかったけれど、今は何もかもが新鮮で刺激的な柊一さんとの三年間の方が日々充実した毎日を過ごせている。  あの雨の日、俺が柊一さんと出逢ったのは運命。偶然であったとしても、今となっては必然の出逢いに感じている。 「七瀬、そろそろメシ出来るぞ」  柊一さんの低くて艶のある声が響く。 「そろそろ出るよ」  俺は浴室から出て、脱衣所でタオルで体全身を拭く。拭きながら、俺は考える。  柊一さん、美也子さんが隠す柊一さんの過去。一体何が柊一さんの身に起こったんだろう。 柊一さんが教えてくれないのは仕方ないとしても、柊一さんのマネージメントをしてる美也子さんまでもひた隠す柊一さんの過去ってなんだろう。  どんな検索エンジンを使おうが、ネットの情報にも引っかからない、柊一さんの過去。  かつてジャズピアニストだったとしか表記がない。  三年程度の付き合いじゃダメって事?それとも俺なんかじゃ教える気がない?  俺には柊一さんの過去への扉の鍵は渡されなくて。  その扉の向こうに何が待っているのか、俺はどんな柊一さんだって受け入れる準備はいつでも出来ているのに。 「柊一さんありがと、さっぱりした」  俺はダイニングに行き、朝食の準備をしている柊一さんに声を掛ける。 「あとパンが焼けるの待つだけだからな」 「うん」  ダイニングに広がる香ばしいパンを焼いている匂い。既にスクランブルエッグはできあがっていて、テーブルに並んでいる。その横にはマグカップに入ったスープ。どうやら今日はコーンスープのようだ。 「柊一さん、俺が会社行ったら寝るの?」 「俺もシャワーまだだったから、シャワー軽く浴びてから寝る予定」 「締め切り前だったの?徹夜までしてさ…」 「まだ締め切りには日がある。夕べは筆が乗ったから書いてただけ」 「それって新作?」 「コラムだよ、連載中の」 「いつか本になったりする?」 「まだ予定はないけどな。評判が良ければだな」 「うん、うん」  チーンと音が鳴り、パンが焼けた。柊一さんはそのパンと共にバターを出してくれる。 「いい匂い~。焼き立てのパンは最高だよね」 「目の前に居るのが、七瀬じゃなく可愛い女の子だったら尚良かったけどな」 「すみませんね、俺男で。可愛くもなくて」  俺は焼き立てのパンにバターを塗る。 「七瀬も十分可愛いけどな」  唐突の言葉に、俺はパンを落としかける。 「バカな子ほど可愛いっていうだろ」 「ハイハイ、どうせ俺はバカですよ」  期待して損した。この人が俺を単純に褒めるとは思えないけど。 「わかってるじゃねーか」  嬉々とした顔を浮かべる柊一さん。全く、何がそんなに嬉しんだか。刹那、俺は呆気にとられたが、無視してスクランブルエッグを口に含む。 「美味しい~。スクランブルエッグってこの触感がいいんだよね~」 「七瀬以外は誰でも出来るぞ、コレ」 「すみませんね、何もできなくて」 「七瀬だから仕方ねーよ」 「・・・・・」  どうせ、俺は何もできないよ!サッカーボールと仲良くするぐらいしか能がないよ!俺は黙って食事を進める。俺が黙ると、柊一さんは喜色満面の笑みを浮かべる。柊一さん絶対サディストだろ。いいや、もう…。俺は柊一さんの顔を見ないように、今度はマグカップのスープを飲む。またこれも美味しいんだよな。俺、柊一さんに胃袋掴まれっぱなしだ。 「七瀬、いいのかそろそろ七時になる」 「え?もうそんなになる?」  柊一さんのマンションと西新宿の駅はさほど離れてないが、西新宿から俺の会社は電車を乗り継ぎ、徒歩を合わせて約40分程かかる。出勤時刻は朝の九時。まだ時間はあるが、急いだほうがいいに越したことはない。  俺は柊一さんの作ってくれた朝食を適当に味わいながら、口に放り込む。 「ごちそうさまー。ありがとう、柊一さん。美味しかった」  今度こそはと立ち上がり、キッチンに使った皿を持っていく。夕べと違って、柊一さんは何も言わない。この皿も昨日と同じで一流ブランドの皿っぽいけどな。洗っちゃってもいいよね?俺は食器用洗剤をスポンジにつける。 「七瀬」  名前を呼ばれて、俺はビクリと肩を震わせる。洗っちゃまずかったかな…。 「俺も洗うから少しスペース開けろ」 「うん」    良かった。俺イチャモンつけられるとばかり思ってた。俺は左に50センチ程移動する。二人並んで洗い物。夕べの恋人の距離ほどではないが、今も結構近い。手を伸ばせば彼が居る。触れるか触れないかの距離。友達の距離といってもいい距離。  …友達かあ。三年で友達か。  俺の中でどんどん膨らんでいく柊一さんへの想いは、とても友達という言葉では表現できない。  美也子さんは、どれくらいで柊一さんと深い仲になったんだろう。  他の女性とは、どのくらいで寝室のキングベッドで眠れる仲になったのだろう。  いくつもの疑問が湧いてくる。彼にそれを投げてもまともに答えてはくれなさそうだ。  今は二人並んで洗い物をする距離で良しとしなきゃな。それ以上の事考えると、モヤモヤが心の中から零れ落ちてしまう。  俺はいつもここにいる。気持ちはいつも貴方の傍にいる。

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