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心拍数6 『恋のゆくえ』

 俺と柊一さんは浴室を出て、リビングに向かう。お互いタオルを纏っただけの生まれたままの姿に少し俺は面食らう。 「今更だろ、七瀬」  柊一さんはそう言うが、俺としてはやはり慣れない。男同士だけど相手は俺の好きな人で、俺はまだ身体に熱が残っていて、恥ずかしい。  柊一さんはテキパキと服を着ていく。俺は彼の見えない位置まで移動し、そこで着替えをする。 「七瀬、意識しすぎ。まだヤリたりないのか?」 「そ、そういうのじゃないよ!なんとなく恥ずかしくて…」  俺は顔を赤らめる。彼はさっさとベッド状態のソファーに腰かける。 「音楽でも流すか」 「じゃこの間柊一さんが弾いた『My funny Valentine』かけて」 「気に入ったのか」 「うん…柊一さんが弾いたの思い出すし」  柊一さんはアレクサを呼び出し、『My funny Valentine』をリクエストした。リビングに美也子さんを思わせる女性ボーカルの『My funny Valentine』が流れる。俺はやっと着衣が終わり、タオルを肩にかけ、彼の隣に座る。 「『My funny Valentine』は映画で何回か使われてる曲だ。売れないジャズ・ピアノ兄弟の物語『恋のゆくえ』とかな。俺の生まれる前の映画だが、面白かった」 「『恋のゆくえ』?へえ、そんな映画あるんだね。ジャズ・ピアノ兄弟の話…柊一さんもジャズピアノ弾くから気になったの?」 「まあな。ジャズを()ってる人間とか好きな人間は気になった作品だな、恋愛劇を越えたいい人間ドラマだった。確かアカデミー賞授賞してるな。監督・脚本は、後に「ハリー・ポッター」シリーズの脚本を手がけるスティーブ・クローブス」  柊一さんの解説を俺はうん、うんと頷き聞いている。 「配信とかはされてるの?」 「ああ、配信されてる」 「アマプラだったら見られるんだけど…」 「アマプラでは配信してない。ここなら見れる。二時間はかかるが、見るか?」 「今九時手前だから丁度いいかも。見る!見る!」  柊一さんはアレクサに音楽停止の命令を出し、42インチテレビのスイッチをオンにして、サブスクを立ち上げる。 「二時間あるなら飲み物あった方がいいよね?柊一さんコーヒー淹れる?俺はスポドリ貰うから」 「俺は冷蔵庫に紙パックのタリーズコーヒーが入ってるからそれでいい」 「わかった…アイスコーヒーだね。氷いれる?」 「無しでいい」  俺は立ち上がり、キッチンへ向かった。  冷蔵庫を開け、紙パックコーヒーとスポーツドリンクのペットボトルを取り出す。紙パックは1リットルサイズなので、適当にグラスを用意し、そこに適量を注ぐ。  紙パックコーヒーもタリーズか。流石、スーパー特売品の紙パックコーヒー愛用者の俺とは違う。適当にグラスを取ったけれど、このグラスだって多分ブランド品。100均で統一している俺とは段違いだ。  柊一さんの家は俺にとって別世界。柊一さん自体が別世界の人間だから仕方がないのだけど。有名作家と無名な平凡サラリーマン。よく出逢ったものだと思う。 「持ってきたよー。柊一さんコーヒー」  部屋が少し変化していた。ベッド状態だったものがソファーになり、テーブルもソファーの近くまで寄せている。画面にはそのサブスクで配信されてる作品のアイコンが並んでいた。ソファーに座っている柊一さんにアイスコーヒーの入ったグラスを手渡す。 「サンキュ。七瀬、これでいつでも見れる」  柊一さんはリモコンを弄り、『恋のゆくえ』を選択する。 「『恋のゆくえ』っていうんだから、女性が出てくるの?」  これは恋愛劇といっていた。タイトルからしてもそう物語っている。兄弟が出てくる話なら、相手は通常の恋愛劇なら女性だろう。 「ああ。バットマンリターンズのキャットウーマン役で知られてる、ミシェル・ファイファーって女優が出てくる、演技だけじゃなく、歌も上手い女優だ」  やはり女性が出てくるのか。兄弟と絡むという事は三角関係になるってこと?まだ見ていない映画だけに気になる。しかし、柊一さんは生まれる前のことなのによく知っているな。作家という職業の(さが)か。俺がどうでもいい事を考えてる間に映画は始まった。  ここは柊一さんの自宅だから、映画館でのマナーは関係ない。私語もOKだ。だけど、何となく声を出すのがマナー違反な気がして、俺は沈黙している。柊一さんも言葉を発しないし、きっと俺の判断は間違っていないのだろう。  気になるのは俺と柊一さんの距離だ。さっきまであんなに密着してたのに、彼は何事もなかったように素知らぬふりをして隣に居る。物理的にはたかだか数センチの差なんだが、心が少しだけ遠くなった気がする。  映画を見たいと言い出したのは自分だが、それを一緒に見ている彼は何とも思っていないんだろうな。  俺は少しだけ彼に近づいて彼の手におそるおそる手を重ねてみる。先程までの激しい繋がりは求めていないが、二時間の間、これ位しても問題はないよな。  彼は、手を握り返してきた。少し前まで拒まれていたのが嘘みたいだ。俺はその距離感に安心してテレビ画面を見つめた。  劇中、ジャズバーが出てきた。俺と柊一さんを結びつけたジャズバー。俺には苦い思い出もあるが、概ねオシャレで大人の遊び場というイメージ。柊一さんのピアノを聴けたのもジャズバーだ。あの時の柊一さんはカッコよくて、今でも鮮明に憶えている。  この映画は売れない、というかかつては人気があったが時代と共に仕事が減り、寂れたラウンジで演奏して暮らしていた兄弟が、現状打破の為に女性歌手を入れてトリオとして活動を始めて人気のあるトリオになっていくサクセスストーリーでもあった。  途中で、弟が女性歌手と恋に落ちて、兄と対立し、徐々に歯車がズレていき、最後は三人がそれぞれの道を歩く。恋は成就しなかった。俺はその結末にびっくりする。上手くいくと思っていたのに。  かなり大人向けの恋物語であり人間ドラマだった。ジャズが好きじゃなくてもこれは名作といえる。 「凄い大人な映画だった―。女の人すげー色っぽくて歌上手い~」  率直な俺の意見だ。美也子さんとは性格が違うけど、色っぽくて歌が上手いところは似てる。 「そうだな、最初俺が見た時も七瀬と同じ感じだった。スージーが美人であの声だろ?いいよな」  友達みたいに語る俺と柊一さん。このソファーが記憶している情事が嘘のよう。 「でも、別れちゃうんだね…結局みんなバラバラで幸せなのかな…」 「ビターエンドってやつだな。これはこれで幸せの形なんだろ」 「俺は嫌だな、恋は成就してほしい」 「そうならないから、これは名作なんだろ」 「そうだけどさ…」  お互い好きに映画を語る、こういう時男同士って便利だ。したことはないが、Y談とかもできそうなのかな。一方的に俺が好きになって、常に恋愛という感情があったから、そういう感覚わからなかったな。まず俺が対等に柊一さんと話せるとは思っていない。  柊一さんは与えてくれてくれる人で、俺はもらう人。彼は持てるだけの財や地位、名誉を持っていて、俺には何一つない。出逢った時からアンバランスな関係だった。俺が彼に与えられるのってちょっとだけ高いプリンと俺の身体だけ。前まではプリンしか与えられなかったから、少しだけ進歩している。  ―――『太一』とはどうだったんだろ。  彼の精神衛生上を考慮すれば、これ以上『太一』の話題を振ることは非常によろしくない。 それに俺が処方箋になって今だけはそれを忘れさせたんだから、あの時間をないがしろには出来ない。ただの甘い時間じゃない、あれは彼への応援も兼ねてる。  もう俺も『太一』の事を考えるのは止めよう。

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