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心拍数11 点と線

 川田との濃すぎる四十五分を過ごし、なんとか部署に戻る。柊一さんの事を教えてくれたのは感謝しているけど、それだけだ。柊一さんの残した痕も川田に見つかってしまって、架空の彼女ができてしまったし。もう騒ぎに巻き込まれたくない。 「七瀬さん、彼女いるんですね」 「え?!」 「嚙み痕~。情熱的な方なんですね」  うちの部署でもか。女性の勘は鋭いからな、俺は愛想笑いを浮かべる。午前中は何事もなかったからだと油断してたのが悪いのか。 「え~七瀬さん、彼女さん居たんですねーショックー」  隣に座っていた年下の女子社員が続く。  それはどういう意味でショックなのか。この脳筋バカにも彼女が居たとでもいいたいのか。それとも少し好意があったからのショックなのか。女性からのこの言葉にはどういう意味が含まれるのか教えてほしい。  午後一から打合せだったな。ブースは抑えてあるから大丈夫だろう。俺は残っている請求書をパソコンに入力していく。  打ち間違えないように、そして出来るだけ速やかに。それを心がけながら入力していると、電話が鳴る。  営業部には外部からの電話も多い。クレームの電話がひっきりなしという事もある。電話応対も仕事の一つで、特に外部からの電話は、その対応の良し悪しで仕事につながるかどうか左右される時もある。会社のフロントマンとして頑張らなくてはならない。俺は一度深呼吸して、電話に出る。 「はい、新生日本印刷会社です」 「あ、すみません。昨日伺った者で、ジャズベースの本について御社の企画部室長とスケジュールを調整したく…――」  渋みのある低い声だ。俺は、 「こちら営業部です。企画部にお繋ぎします」  内線番号を押して、企画部へ繋ぐ。  ジャズベース?まさか「太一」…市原太一じゃないよね?名前を名乗らなかったから誰だかわからないけど。企画部室長もたくさんの人と打合せしていると思うから、昨日俺と会った30代のイケメンって決まったわけでもない。  気になる。けれど俺は部外者だから首をつっこめない。「太一」だったとしたら…?俺とは繋がりがない。繋がりがあるのは柊一さんだ。色々と話したいことはあるけれど、ジャズを最近憶えた俺には縁もゆかりもない。  胸に重い石があるようだ。その石がどうにも動かない。――ダメだ、プライベートを仕事に持ち込んでは。俺は左右に首を振り、パソコンの前に座り直した。  午後五時。仕事終わりのベルが鳴る。どうにか渡された請求書は全部入力を終えた。俺は他に今日はやることも無いので帰る支度する。今日も定時あがりできそうだ。俺はスマホを取り出し、通知がないか確かめる。諦めの悪い妹からまた一件、他は公式の登録しているサービスからのライン、それと同僚の数人からのラインが来ていた。  開いてみると、「彼女出来たんだって?」「いつからつきあってた?」「どこで知り合った」…そればかりが並んでいる。川田から広まったんだろうか。俺は既読スルーを決め込んだ。  会社を出ると、すらりと背の高い髪を茶髪に染めた髪の長い三十代くらいの男性…昨日企画部の部屋で見たイケメンが立っていた。俺は声を掛ける。 「どうしたんですか?企画部の室長に用事ですか?」  彼は少し口角をあげ、 「いや、君に用事」 と、だけ。俺に用事って?俺は瞠目する。 「君、『関根柊一』とつきあいあるよね」 「―――!!」  俺は持っていたバッグを落としそうになる。フリーズして動けない。 「良かった、間違ってなくて。君、『関根柊一』とクレセントっていう新宿のジャズバーに居たよね」  俺の背中や手足に冷汗が走る。鼓動が早まる。 「人が来るね。――どこか近くのカフェでも入って話そうか」  俺は彼に連れられて、会社近くのチェーン店のカフェに入る。ここもスタバと同じようにレジにいるスタッフに声を掛けてオーダーするシステムだ。 「ブラックコーヒーでいいかな」  彼は低い声で柔らかく俺に話しかけてくる。彼の優しい問いに俺は頷くだけ。それしかできないのだ。彼はブラックコーヒー二つをオーダーして、隣の受け取り口に向かう。俺は一言も発せず、ただ彼についていくだけで精一杯だ。  カフェは仕事を終えたサラリーマンやOL、学生たちで賑わっていたが、空いてる席がないわけではなかった。彼はブラックコーヒーを受け取り口で受け取ると、空いているソファー席に座り、俺に相対する席に座るよう勧めてきた。俺が座るのを見届けると、彼は話し始めた。 「美也子さんボーカルのライブだったね。俺もあの時、クレセントに居たんだよ」  俺は再びフリーズする。  美也子さんまで知っている?一体彼は何者なんだ? 「いいライブだったよ。まあ、君と柊一は途中で帰ってしまったけどね」  俺はポカンと口を開けたまま、コーヒーも飲めずに固まっていた。 「コーヒー飲みなよ、俺のおごりだから」  彼は人懐こい笑顔を見せる。俺はその笑顔につられて、おそるおそるコーヒーカップを手にして、一口だけコーヒーを口にする。 「美也子さんのボーカルはいいね。情熱的で美しい。見惚れるね。彼女と()れるバンドマンが羨ましいな」  彼は笑顔を崩さない。俺は何も言えず、俯く。 「どうしたの?どこか悪いのかな?」 「い、いえ…―――」  話が途切れ、沈黙が訪れる。 「そういえば、さっきから気になってるんだよね、君の首に噛み痕があるね、誰がつけたのかな?」  言葉は至って穏やかだが、尋問されてる気がしてくる。俺は視線を泳がせ、顔を触る。 「わかりやすいね、君。――柊一だろう、噛み痕つけたのは」  彼の低くて柔らかい声が胸に突き刺さる。一瞬で顔が青ざめる。 「あいつはさ、つけたがるんだよね、昔から。独占欲が強いんだろうね」  俺は顔を上げる。目の前に居るイケメンの顔を見ながら、訝しげに首を傾げる。彼は笑んだ顔を保ったまま、 「昔も今も変わらないね、柊一は。――何で俺がそんなこと知ってるかって?」  そう告げてくる。俺の心臓の音がドクンと跳ね上がり、息を呑むと同時に喉がごくりと鳴った。 「俺は柊一と昔つきあってたから。あいつのクセはきっと君より知ってる」  彼は楽し気に笑みを浮かべる。完全に硬直している俺を嘲笑っているかのように。 「君に頼みがあるんだ。柊一に俺とセッションしてくれないかって。ドラムだったヤツの七回忌だからその弔いも兼ねてね。なかなか柊一のヤツ、オッケーしてくれなくてね。もしかして音楽の事なんか何もわからないずぶの素人の君からだったら違うかなって」  俺の事を貶しつつ、彼は迫ってきた。  柊一さんのバンドのドラムだった人の七回忌の事を知ってて、セッションを柊一さんに打診している…この人は―― 「俺?俺は市原太一…ジャズベーシスト」  点と線が繋がった瞬間だった。

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